長渕さんはお客さんに対して120%のステージ。自分はいま家の中で120%、何ができるか

三浦浩

パワーリフティング

パラリンピック競技の1つ、パワーリフティングの三浦浩は、前回の東京大会が開かれた1964年生まれ。
2016年のリオデジャネイロ大会では、この競技の日本選手最高となる5位に入賞した第一人者だ。
東京パラリンピック開幕までおよそ5か月のタイミングで決まった「1年延期」にも、幾多の試練を乗り越えてきた55歳が動じることはなかった。

「1年延びようが2年延びようが、パラリンピックが開催されるのであれば、自分の中ではまたベストを尽くすための時間を与えられたという気持ちになっている」

インタビューに常に前向きに答える三浦。
「その根底に何があるのか」とストレートに尋ねた。

「長渕さんのツアーを貫いてきたところじゃないですかね」

日本を代表するアーティストの存在。長渕剛さん。18年前に事故で脊髄を損傷した三浦。
当時、ライブスタッフをしていた長渕さんの後押しがパワーリフティングに出会ったきっかけだった。
入院して1か月。病室を訪ねてきた長渕さんから手渡された手紙に書かれていたのは、トレーニングメニューだった。三浦は、こう振り返る。

「『お前は手で歩くんだからこのメニューをやって鍛えて車いすをこいでこい』ということだったと思う」

「できないこと」に目を向けるのではなく、「できること」に目を向ける。
長渕さんらしい背中の押し方だった。

その手紙を締めくくった「ネバーギブアップ」ということばが、アスリートとしての三浦に貫かれている。

「長渕さんは来るお客さんに対して120%のステージを見せる。
目標や、やるべきことに対して全力で突き進んでいく」

その姿を見てきた三浦は言い切る。

「新型コロナウイルスの感染が拡大するこの状況の中で、自分はいま家の中で120%、何ができるかを考えているのでマイナス面の感情は出てこない」

ウイルスの感染拡大がとまらないなか三浦の心に響く長渕さんの曲がある。
「ひとつ」
東日本大震災のあと「ともに困難を乗り越え生きていこう」と作られた歌だ。
ライブスタッフだった時からリハーサルなどで、長渕さんの曲を歌ってきた三浦。
今もギターを弾きながら「ひとつ」を歌う。

「ひとつになって ずっといっしょに 共に生きる
ひとつになって 君と生きる 共に生きる」

長渕さんとその曲に支えられてきた競技人生。
「いまは団結するとき」と話す三浦は、「今度は自分が多くの人を励ます時」と動き始めている。
自宅でのトレーニングの様子をSNSで発信することだ。
瓶や輪ゴムなど身近なものを使って鍛える姿を見せて「いまやれることをやろう」と呼びかけている。
頭に浮かぶのは、いま厳しい状況に追い込まれている音楽関係の仲間たちの姿。
離れていても「ひとつ」になって乗り切りたいという強い思いが伝わってくる。
常に前向きに話したインタビューだったが、彼らを思い語った時は思わず涙がこぼれた。

「僕の仲間がいま仕事を失って大変な状況にいる。
だからその人たちを楽しませる意味でも、自分が何か発信していきたい」
「日常に戻ってオリンピック・パラリンピックが開催された時には、いま一番苦労している人たちに自分の姿を喜んで見てもらえるようになりたい」

今度は自分が応援してくれる人たちの支えになる。
三浦は1年延期となった東京大会へ、多くの仲間とともに歩む。

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