目の前にチャンスがあるのに挑戦しない方がリスク

大迫傑

陸上

日本新記録でマラソン代表の最後の切符をつかんだ2020年3月の東京マラソン。
大迫はガッツポーズを繰り返し、喜びを爆発させた。
普段冷静な男がむき出しにした感情、走り終えたあとは涙をぬぐった。

2時間後、記者会見場には大勢の報道陣が詰めかけた。
気になる涙の理由。問われた大迫には、いつもの冷静さが戻っていた。

「いろいろな感情があったんですが、その辺はプライベートなことなので、内緒にしておきます」

さらりとかわした大迫だったが、思い当たるところがある。半年前に行われた代表選考レース、MGCだ。上位2人がその場で代表に内定するいわば“一発選考”のこのレースで、日本記録保持者の大迫は大本命とみられていた。しかし、ライバル、設楽悠太がスタートから飛び出し、焦りが生まれる。
代わるがわる先頭が入れかわる後続集団の中で、むだに足を使ってしまった大迫は、ラストスパートで競り負けて3位。何度も後ろを振り返って後続を気にする姿が象徴する大迫らしくない負け方だった。

MGCで3位の大迫は、3月までの選考レースで自身の日本記録が更新されなければ内定するという有利な状況。レースに出ずに結果を待つ選択肢もあった。しかし…。

「目の前にチャンスがあるのに挑戦しない方がリスク」

マラソンに正面から向き合ってきた大迫らしいことばだった。
そして東京マラソンに向け、大迫はある決断をした。これまで拠点にしていたアメリカを離れ、ケニアで2か月半の合宿を張ったのだ。標高2000mを超えるマラソンの聖地「イテン」には、大迫が練習で置いて行かれるほどの世界強豪選手たちが集まる。
「速くなりたい」という一心で、強豪の佐久長聖高校や早稲田大学、そしてアメリカと、常に厳しい環境に身を置いてきた大迫。ケニアで「自分の走りを追求する」という原点に立ち返っていた。

「新しい挑戦の裏には、僕にとって負けというものが常にあった。
本当に目の前の練習を積み重ねることでしか速くなれないので、速くなれると信じているからこそ、次の一歩を踏み出せる」

結果は日本新記録での代表内定。だれにも文句をいわせない完璧なレースで代表の座を勝ち取ったのだ。
大迫に東京オリンピックの鍵となる言葉を聞くと、答えはとてもシンプルな『平常心』だった。

「常に『平常心』で冷静でいることが大事だと思っていますし、あとはオリンピックだからといって、何か練習が変わるのかといったらそうではない。
今まで続けてきたことをより質を高めながら、淡々とやっていくこと」

MGCの敗戦からつかんだ日本記録。
涙としてあふれ出た熱い思いと揺るぎない自信を胸に、大迫は東京オリンピックを走る。

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