ドーハの悲劇を、ドーハの歓喜に変えたい

森保一

サッカー

2022年サッカーワールドカップカタール大会の開幕まで半年となった5月。日本代表を率いる森保一は特別な思いを抱いていた。大会の舞台、カタールは「ドーハの悲劇」の舞台となった森保にとって因縁の地だからだ。

1993年、ドーハで行われたアジア最終予選のイラク戦。日本が勝てばワールドカップ初出場が決まる大一番、当時25歳の森保はピッチにいた。1点リードで迎えた試合終了間際。クロスボールが森保の頭上を越えると、相手のヘディングが無情にもゴールに吸い込まれた。一瞬にして日本サッカーの悲願と森保たちの夢は打ち砕かれた。
失点のシーンは今も鮮明に覚えているが、試合後のことはほとんど記憶がないという。

「夢を手に入れられるところまで行ったのにつかみきれなかった。泣いている自分しか、下を向いている自分しか覚えていない」

クロスボールを上げた選手にもっとプレッシャーをかけるべきだったのではないか。
消極的だった自分を責め、周囲が心配するほど、思い詰めていた。ホテルに戻り、ベランダから外を眺めていると、同じ部屋だった当時のキャプテン、柱谷哲二が「大丈夫か」と声をかけてくれた。
喪失感はとてつもなく大きかった。

「ワールドカップに出るためにチームみんなで努力していろんなことを犠牲にしてきたので、ショックは大きかった」

ドーハの悲劇から29年。
日本代表を率いる立場になった今も森保の心にはあの日の教訓が深く刻まれている。

「ドーハでの経験は『最後守りに入ったら逆にやられてしまう』ということ。守るにしてもボールを奪いに行く。その先に攻撃があるということを常に考えながら」

その姿勢が表れたのが、2022年3月のアジア最終予選、オーストラリア戦だ。
試合は0対0のまま終盤へ。守りを固めて引き分けに持ち込んだとしても出場権獲得は大きく近づく状況だった。
それでも森保は、攻撃の切り札として三笘薫を投入した。

「消極的に守って試合を終わらせることはしない。最後、点を取るために交代を考え、カードを切った」

三笘は期待に応えて2ゴール。森保の積極的なさい配がこの試合でのワールドカップ出場につながった。

指揮官として挑むワールドカップカタール大会。
日本は強豪のスペイン、ドイツと同じグループとなった1次リーグを突破し、日本史上最高のベスト8以上が目標だ。森保はドーハで得た教訓を胸に日本サッカーの歴史を塗り替える決意でいる。

「ドーハの悲劇を、ドーハの歓喜に変えたい。もちろんスペイン、ドイツにも勝つ気でいるし、選手とともに戦ってベスト8以上に行く」

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