僕は変わらず、いいパフォーマンスをしようと思って飛んだ

小林陵侑

スキージャンプ

北京オリンピックで小林陵侑は、個人ノーマルヒルではジャンプ男子の日本選手として長野大会以来24年ぶりとなる金メダルを獲得。
ラージヒルでも銀メダルを獲得し、世界に大きなインパクトを与えた。

すべての種目を終えメダリストとしての記者会見に出席した小林は、大会を振り返り語った。

「やっと、この“ハイプレッシャー”な期間が終わってほっとしているのが、今の気持ちですね」

大きなプレッシャーを感じていた理由には「金メダル候補」として大きな期待を背負っていたことがあるだろう。
それでも競技が続く中での取材には、淡々と、ひょうひょうと「自分のパフォーマンスに集中し…」と答え続けていた。

その姿勢が、個人ノーマルヒルでの「金」につながる。

今大会、日本選手団として初の「金」は、その後、選手団を勢いづけ「メダル数、過去最多」として結実した。

小林は金メダルを獲得した翌日、混合団体の4人のメンバーの1人として出場した。
今大会からの新種目。そこでまさかの事態が起きた。
1回目の1人目、高梨沙羅が103メートルを飛んで2位と好位置につけたはずだった。ところが直後に「スーツの規定違反」とされて失格となる。
競技中のアクシデントにチームには決して少なくはない衝撃が走ったであろう事態。ただ、チームの中心である小林は「泰然自若」としているように見えた。

1回目に102メートル50をマーク。
合計得点で順位を8位に上げ、2回目に進める上位8チームになんとか滑り込んだ。

その直後のインタビュー、高梨の失格がわかったあとに飛んだ1回目のジャンプについて聞かれると、やはり淡々と答えた。

「僕は変わらず、いいパフォーマンスをしようと思って飛んだ」

強がっていたようには見えなかった。
本当に「ふだんどおり」に見えた。その姿は間違いなく日本チームの「柱」だった。

小林と高梨は、同じ1996年生まれ。
誕生日はちょうど1か月、高梨が先に来ただけの違いだ。そして、男女のエース。先に大きな注目を集めたのは高梨だったが、かかる「重圧」は2人だけがわかるものもあるだろう。高梨は、1回目の失格のあと、涙を流しながら、ただ「申し訳ございません」と繰り返し述べて取材エリアを通った。

小林は、その「盟友」のピンチを救いたい気持ちを表に出すことはなく、ただ、みずからがやるべきことに集中した。
同じトップ選手として、それこそが、彼女のためになると感じていたのではないだろうか。

2回目の小林は、1回目よりもさらに飛距離を伸ばした。これ以上飛ぶと危険とされるヒルサイズの106メートル。日本は4位でメダルには届かなかったが、できる限りの力を尽くした。

「自分がやらなければという責任はあんまり感じていなかった。みんな信頼しあっているので自分ができる最高のパフォーマンスをしたと思う」

2回目のジャンプを終えた小林。
ことばでは表さない「熱さ」を見せた場面があった。泣き崩れる高梨を見つけ、ぐっと優しく抱き締めた。

翌日、高梨はSNS上にチームメートへの思いを綴った。

「私のせいでメダルをとれなかったのにも関わらず、最後の最後まで支え続けてくれた有希さん、幸椰さん、陵侑、そして日本チームのメンバーの皆様、スタッフの皆様には感謝してもしきれません。こんな私を受け入れてくれて本当にありがとうございました」

一方の小林。メダリストとしての記者会見では、ひょうひょうとした、いつもの姿に戻っていた。

ージャンプ以外のファンからの注目や反響についてどう感じるか
「いや、何も想像もしていなかったので、特に」

ー次の夢は何か
「あんまり考えてなかったが、とりあえず世界記録くらい飛びたい、254メートルくらい」

気持ちはすでにオリンピック後のワールドカップに向かっているという。
新たな挑戦に向けて。
小林は、また淡々と自分のジャンプを極めていく。

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