改めて家族が支えてくれたありがたさを感じた

森重航

スピードスケート

北京オリンピック、スピードスケートの男子500メートルで銅メダルを獲得した森重航。この種目で日本選手がメダルを獲得したのは、2010年のバンクーバー以来3大会ぶりだった。新星のごとく現れた21歳の大学生がメダリストとして出席した記者会見で、口にしたのは『家族への感謝』の言葉だった。

「今までたくさん支えてもらったが、オリンピックを通して、改めて兄弟や親が支えてくれたありがたさを感じた」

このメダルは、誰よりも近くで支えてくれた母・俊恵さんに送るものだった。
森重は酪農一家の8人きょうだいの末っ子に生まれた。俊恵さんには、自宅からスケート場までのおよそ20キロの道のりを父親と交代で送り迎えしてもらった。凍る冬道で安全のためにゆっくり車を走らせる俊恵さんに森重は「遅い」と文句を言って困らせたという。厳しい練習に「行きたくない」と泣き言をはいたときも「自分でやると決めたことでしょう」とたしなめられた。
NHKが6年前、中学3年生だった彼を取材したとき、実家の居間のソファーで息子と一緒に座る俊恵さんの姿があった。

「結果がどうであれ、本人が納得いくレースだったらそれでいいのかな」

大会を控える息子への言葉には、プレッシャーをかけすぎず、優しく見守る俊恵さんの気持ちが表れていた。
森重が高校入学から親元を離れてスケート漬けの毎日を送っていた矢先、俊恵さんは病に倒れ、3年前の夏、57歳の若さで旅立った。
入退院を繰り返していた俊恵さんが亡くなる前、かすかな声で力を振り絞るように森重にかけた言葉、それが「航、スケート頑張れ」だった。

迎えた北京オリンピック男子500メートル。森重は「いつもどおりいこう」と臨んだがフライングがありプレッシャーがかかるなかのスタートとなった。それでも後半から伸びのある滑りを見せ、いつもどおりのスケーティングで銅メダルを勝ち取った。

「母親が亡くなってからスケートにかける思いが強くなった。『恩返ししたい』ということをずっと考えていた。今回このような結果を、成績を出せて本当によかった」

森重の父・誠さんは地元・北海道の別海町で行われたパブリックビューイングに参加した。

俊恵さんの遺影を持ってレースを観戦し、「航がやったよ、メダルを取ったよ」と声をかけたという。
息子の雄姿を俊恵さんは天国から見守っていたにちがいない。
オリンピックの表彰台に上った21歳の森重。母への思いを胸に、さらなる飛躍を誓った。

「4年後、8年後にはこれ以上の成績を期待されると思うので、その期待に応えたい。1年1年自分の力をつけてオリンピックでもっと自信を持って臨めるように頑張りたい。母も喜んでいるんじゃないかな。帰ったら仏壇の前でしっかり報告したい」

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