ガンガンのアスリートになりたい

三原舞依

フィギュアスケート

2020年11月、フィギュアスケートのNHK杯。三原舞依は、演技を終えたあと、全身で喜びを表していた。

「滑れるという『喜び』とか『うれしさ』というものがすごく大きかった」

21歳の三原は、安定感のある演技が持ち味。2017年には、アジアや北米の選手で争う四大陸選手権で優勝した実績もある。しかし、2019年の夏ごろ、体に異変が起きた。
食事がとれているのに、筋力や体力が急激に低下していった。原因がわからないまま療養が続き、リンクから遠ざかることになった。そして、昨シーズンは1試合も出場できなかった。

「スケートだけではなく普通の生活っていうものが、ちゃんとできていなかった。1年くらいその期間があって、苦しい時期だった」

三原を救ったのは、ファンから届いた多くの励ましのメッセージだった。
『舞依ちゃんのスケートが好き』
『ゆっくりでいいから、舞依ちゃんのスケートを見られる日を楽しみにしてるね』
温かいことばが記された手紙を、三原はお守り代わりに持ち歩いたと言う。

「すごく一つ一つが温かくて、本当に早く元気になりたいと自分の中で思うことができました」

再びリンクに立つために、三原は、休養をとることに専念。症状は徐々に改善していった。2020年の夏ごろからは、氷上での本格的な練習も再開した。3回転ジャンプも再び跳べるようになり、休養前と同じ構成で演技できるところまで状態を戻した。

迎えたNHK杯。復帰後初めて観客を前にして演技する大会だった。
ショートプログラム、フリーともに3回転の連続ジャンプをしっかりと決めるなど、納得の演技を見せた。表彰台こそ逃したものの堂々の4位。会場もスタンディングオベーションで、帰ってきた三原を祝福した。

「感謝の気持ちとか恩返しって言うのがスケートを通して自分の演技で表現していけるようにしたいと思った。緊張したけれど体も持ちこたえてくれて、なんとか最後まで滑り切れた。最後は涙で前が見えなかった」

三原が次に見据える2022年の北京オリンピックまでは1年を切っている。紀平梨花や坂本花織といった強力なライバルとの厳しい戦いに臨むなかで、大切にしていることばがある。

「ガンガンのアスリートになりたい」

どこかいじらしさを感じさせる氷上の三原からは想定していなかったひと言。オリンピックを目指すには、まだまだ練習量が足りないと感じていると言う。体調不良という苦い経験を糧に、そして、ファンの存在を励みに、三原舞依はみずからを鼓舞して、その歩みを進めようとしている。

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