2024年04月24日
(聞き手:豊田俊斗、平野昌木)
去年10月に始まったイスラエルとイスラム組織ハマスの戦闘。その戦闘のまっただ中にあるのが「ガザ地区」です。繰り返される軍事衝突の中で、どんな暮らしがそこにはあったのか。ガザ地区に住む人たちの思いとは。ガザ出身で、NHKガザ事務所でプロデューサーを務めるムハンマドさんに1から聞きました。
きょうはよろしくお願いします。
ムハンマドさんは、今どのような生活を送っているんでしょうか。
2023年10月7日、ハマスとイスラエルの戦闘が始まった、まさにあの日から私たち市民の生活は一変しました。
ガザにあった暮らし慣れた家から離れざるを得ず、今はエジプトに避難しています。ただ、ガザから出ることができない友人や同僚も多く、安心を感じる日はありません。
ムハンマド・シェハダ プロデューサー
1990年生まれ。10年以上にわたり、NHKガザ事務所で勤務。家族がカナダ国籍を持っていたことから、軍事衝突後の去年11月に家族でエジプトに避難することができた。現地に残るカメラマンとともにガザ地区の取材を続けている。5歳と2歳の2人の子どもの父親。
そもそも、ガザ地区からは自由に出ることができないんですか?
できません。人の出入りは特別な許可が必要で、厳しく制限されています。
そして、この状況は今回の戦闘の前から続いているんです。
ガザ地区はイスラエルによって建てられた壁やフェンスに囲われていて、15年以上にわたって、「封鎖状態」になっています。
外へのアクセスは極端に限定され、出られるのは国連やメディアで働く人、外国籍の人などに限られ、事前に調整したうえで、リストに名前を載せて、待たなければいけません。
その意味で、ガザ地区は“天井のない監獄”のようだと言われています。
ガザ地区
パレスチナは歴史的な経緯からガザ地区とヨルダン川西岸に分かれている。ガザ地区は地中海に面し、面積は365平方キロメートル(福岡市よりやや広い)。北側と東側はイスラエルと、南側はエジプトに接している。約220万人が暮らし、世界で最も人口密度が高い地域の1つとされている(福岡市の人口は約150万)。
モノの行き来はどうなっているんですか?
モノの行き来も検問所で厳しく制限されています。そのため、今回の戦闘の前から、食料、日用品、医療品、燃料など日々の生活に欠かせないものが常に不足している状態でした。
検問所
ガザ地区には人の出入りができる検問所として、イスラエルに通じるエレズ検問所とエジプトに通じるラファ検問所の2つがある。エレズ検問所の先にはパレスチナ暫定自治政府の検問所、ハマスの検問所があり、3重の検問を越えて初めてガザ地区に入ることになる。
また、電力の供給をイスラエルに頼らざるをえない状況でした。そのため、電力の供給も24時間あるという状態ではなく、電気が使える時間帯が12時間だったり、4時間だったりと、どんどんと短くなっていきました。
でも、私たちは何か困難があったなら、常にそれを乗り越える解決策を探してきました。
例えば電力の供給が減るならば、消費電力が少ないLEDライトに変えることからスタートし、次に太陽光パネルで発電しようとしてきたんです。
ガザ地区での生活は非常に困難な状況ですが、みんな、できるだけの事をして、きちんとした生活を、また、すばらしい生活を送りたいと努力してきました。
例えば、レストランもあります。シーフード料理がとてもおいしかったです。
そうなんですね!
それこそ日本の友人がガザ地区に来て本当に驚いていました。「ガザ地区というのはこんなに美しい場所なのか」と。
皆さんの基準と比べると、“普通”ではないかもしれませんが、私たちにとっての“普通”の生活はありました。
普通に誕生会をやったり、ビーチに遊びに行ったり、学校に行ったり、レストランに行ったり。
時折、小競り合いや空爆もありましたが、そういう日常生活があったのです。
それに今では多くの人がスマートフォンも持っていて、SNSや動画も見ています。なかには日本のアニメや漫画が好きで見ている人もいました。
特別な思い出の場所もたくさんありました。このホテルは私が結婚式のパーティーを開いた場所です。
きれいなホテルですね。
ガザで暮らしていくということは簡単なことではありませんが、いろいろな困難は、このガザを美しい街にしていくための挑戦だというふうに捉えていました。
戦争のニュースしか見ることがありませんでしたが、ガザ地区にも日常生活があったことを感じました。
私たちのような大学生もいるんでしょうか。
もちろんです。ガザには大学もありました。
そもそも日本と同じように、小学校、中学校、高校のような学校のシステムがあります。
正式な数字はわかりませんが、ガザにいる子どもたちのほとんどは学校に通い、高校まで学んでいると思います。
ガザでは高校の最後の1年が大事で、その成績によって、どういう大学に行けるかが決まってきます。
教育制度は整っているんですね。
大学で学んだあとは、どういう職業につくんですか?
そこが皆さんと大きく違うところです。
残念な事に、大学を卒業しても、職につけないという人たちが多くいるのが事実です。
友人の中には、工学部を非常によい成績で卒業したにもかかわらず、エンジニア関係の仕事にはつけず、小さなお店で野菜を売ったり…
若者に限ると、失業率は70%を超えているとされていました。
失業率が70%…なぜ、そんなに高いんですか?
端的に言えば、ガザ地区というのは、イスラエルによって封鎖されているような状態だからです。
2007年ごろから、「封鎖状態」に置かれて、原材料が入ってこない、自由に海外にも行けない…そうした状況ですと、経済もなかなか成長しないということが、この失業率に結び付いていたと思います。
そんな状況なのですね…
ただ、食料に関しては、国連の機関がサポートしてくれ、配給を受けることができました。
日本では失業などに対して政府が対策を取りますが、ガザでは政府はあるんでしょうか?
ガザを治めているのは「ハマス」という組織です。
ハマス
1987年に創設、正式名称は「イスラム抵抗運動」。2006年、議会にあたるパレスチナ立法評議会選挙で過半数の議席を獲得し、2007年6月にガザ地区の実効支配を始めた。軍事部門がイスラエルと武装闘争を続ける一方、慈善活動や教育支援も行っている。
ガザ地区の人たちは、ハマスのことをどう思っているんですか?
その問題は非常にセンシティブで複雑で、今この場ですっと答えられるような問題ではないんです。
ただ1つ、一般の人たちがハマスをどう見ているのかということに対して、私から言えることは、10月7日以降、ガザの人たちが置かれている非常に厳しい状況、そして今回の攻撃によって家族や友人を失っている人が多くいるということから、ハマスに対する支持はどんどん下がってきている、失われてきているということです。
今回の戦闘は、これまでとはまるで違う様相となっています。ガザで暮らしている人たちの生活が完全に破壊されてしまいました。
改めて、10月7日以降、どんな風に生活が変わってしまったんでしょうか。
前日までは、日常の生活が続いていました。
ところが10月7日、朝6時に妻に起こされました。「ロケット弾の発射音が聞こえる」と。
ロケット弾の発射音…
そう、訓練ならば数分でやむはずの音が止まらない。何かが変だ、何かが違うというふうに感じました。
すぐに、妻と母に「荷物をもって逃げるぞ」と伝えました。日本で言うところの防災バッグのように、ガザでは攻撃に対する準備として避難用のものは全部まとめてあるんです。
家族を避難させたあと事務所に行って状況を調べると、ハマスの軍事組織がイスラエル側に入っていく映像を見つけ、最初は生成AIで合成されたものだと思いました。
それほどショッキングな映像で、NHKのエルサレム支局に、このようなエスカレーション(緊張の高まり)は今まで見たことがない、この先どうなるか分からないから備えてほしいとお願いしました。
戦闘開始直後の10月にムハンマドさんにインタビューしたこちらの記事も合わせてお読みください。
その後、戦闘が拡大していき、2か月近くで7回も避難先を変えることを余儀なくされました。多くの人が住み慣れた家を捨てざるをえず、何度も避難を繰り返している状況です。
私は去年11月に家族とともに、エジプトに避難できましたが、子どもたちは、夜中に突然、「爆弾だ」と叫び出すということもありましたし、今も飛行機の音を怖がります。
そのような状況ですが、やはり私は父親として強くなければならないというふうに思っています。
そして、ガザ事務所の同僚でカメラマンのサラームは現地に残っていて、協力しながら取材を続けています。
ガザにいる同僚や友人はまだまだ危険にさらされた状態にいます。戦争はまだ終わっていません。
ガザの状況は深刻です。これからも伝え続けたいと思います。
イスラエル・パレスチナをめぐる最新のニュースはこちらからご覧ください。
戦闘前には確かにあった“日常”がなくなってしまったんですね…
ガザの人たちというのは困難に直面したら、それをどうにか解決していこうという心持ちの人だと説明しましたよね。
ただ、今まで積み上げてきたものが全て、破壊され、さまざまな活動も止まってしまいました。
正直言って、どうしていつもガザは紛争にさらされなくてはならないのか、私には理解ができません。
私の友人を含め多くの人々が命を失いましたし、生き延びても、その先の人生・生活をしていこうという気力を失っている人たちも多くいることを忘れないでください。
今は困難な状況が続いていますが、今後どのようになっていってほしいと考えていますか。
今、想像することは難しいですが、平和になることを祈っています。決して、希望は捨ててはいけないと思っています。
そうした平和、自由のために、私たちすべてのパレスチナ人、特にガザに住んでいる人は、日々、闘うのだと思っています。
子どもがいるお母さん・お父さんも、医師も看護師も、教師も、私のようなジャーナリストも、自由を求めて闘っている人たちです。
パレスチナの人にとって「闘う」ということは、日々の生活の中にも組み込まれているものなんです。
日本にいる私たちにできることはあるんでしょうか?
パレスチナをめぐる問題は、この10月7日からスタートしたわけではないんです。パレスチナ問題というのは70年以上前からあって、パレスチナ人は苦難を経験してきました。
ですが、これまで注目度は低かったと感じます。ウクライナの紛争だけなく、世界の目をパレスチナにも向け続けてほしいと思っています。
そして、日本の大学生の皆さんにお願いしたいのは、10月7日に起こったことだけを見て意見をもつのではなく、それまでの歴史を学んでいただいた上で自分の意見をもってほしいと思っています。
しっかり歴史にも目を向けたいと思います。最後に、日本の学生にメッセージをお願いできますか?
悩みましたが、これを伝えたいと思います。
Life is not always easy, but Good education make(s) it easier.
「人生は簡単なことばかりではない。けれど、いい教育を受けられれば、人生を少しいい方向にしていける」
日本のような先進国ではベストな教育がうけられると思います。
でも、よい教育はどこでも受けられるものではありません。みなさんには、その恩恵を最大限いかしてほしいと思います。
パレスチナでは困難な状況が続いていますが、だからこそ、どの家庭も、どんなに金銭的に厳しくても、子どもたちにきちんと教育を受けさせようというモチベーションがあります。
この先、いろんな困難を、乗り越えていくためには、唯一の希望となるのが教育を受けることだからです。
日本では戦争によって殺される心配はありません。それは実は貴重なことだと意識して、世界を、より豊かにしていくために、精一杯、頑張ってほしいと思います。
ありがとうございました!
これまでのパレスチナやイスラエルをめぐる歴史は「1からわかるイスラエル・パレスチナ」で、1から解説しています。合わせて、お読みください。
故郷が戦場となる中、市民として、そしてジャーナリストとしての思いは?ムハンマドさんに密着した番組「BSスペシャル」が5月9日(木)23:25~24:24に放送予定(NHK・BS)です。是非、ご覧ください。
撮影:岡本瑶、加治桜、竹澤満咲、西澤美咲
編集:岡谷宏基
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