2021年11月25日
(聞き手:白賀エチエンヌ 堤啓太)
新型コロナのワクチン接種が最も早く進んだ国の1つとして注目されたイスラエル。ワクチン接種を急いだ背景には、長年続くパレスチナとの対立の根底に共通する「ある考え」が存在するとの見方もあるそうです。どういうことなのか、そして、なぜ対立は続くのか、1から話を聞きました。
「イスラエル」と聞くと、どんなことが思い浮かびますか?
最近だと、新型コロナウイルスのワクチンに関するニュースをよく耳にしたことを思い出します。
そう。イスラエルは世界的にも、かなり速いスピードでワクチン接種を進めてきました。
イスラエルでは16歳以上の8割以上が2回目のワクチン接種を終え、一時は1日の新規感染者が1桁に減った時期もありました。
こうしたニュースが報じられるのと、ほとんど時期を同じくして、5月にはパレスチナ暫定自治区のガザ地区を空爆します。
両方のニュースを見比べて「同じ国の話だとは思えない」との印象を覚える人もいると思います。
確かに…。
国民のワクチン接種を進めることと、ガザ地区を空爆すること。全く異なる話のようですが、この2つの話は根底のところでつながっていると僕は思っています。
えっ?どういうことですか!?
その手がかりを得るために、少し時代をさかのぼってみましょう。
鴨志田郷デスクは、2000年から2004年までエルサレムに駐在。イスラエル・パレスチナの和平交渉や紛争の現場を取材してきました。
1991年に起きた湾岸戦争を契機に、国際社会では「パレスチナ問題を解決しないと何が起きるかわからない」と事態打開を求める声が高まりました。
パレスチナで住民の抗議活動が広がってきたことにも押されるかたちで交わされたのが、パレスチナ暫定自治合意、いわゆるオスロ合意です。
1993年、アメリカとノルウェーの仲介で、イスラエル・パレスチナ双方のトップにより交わされました。
望んだというよりは、国際社会の圧力に押されたかたち?
そういう側面もありますが、イスラエルのラビン首相が、いくら力で抑えても抵抗運動が起きるなら、最後はパレスチナ側と手打ちをしないと枕を高くして寝られないという悟りに至ったんです。
具体的にどんなことが決まったんですか?
パレスチナに暫定自治区を設置して、いずれはイスラエル、パレスチナの双方が共存することを目指しましょうという内容です。
「パレスチナ自治、暫定自治」という言葉は、この時から使われるようになりました。
「暫定」というのは、いずれ独立することを想定してのことなんです。
でも結局パレスチナは独立していないし、対立も続いていますよね?
和平交渉の期限とされていた2000年までは楽観論が広がっていました。
双方の人たちの多くが、共存できる夢のような時代がくるのではないかと思っていたんです。
そうだったんですね。
僕はちょうど、2000年の夏にエルサレムに赴任したんですけど、その時、まさに和平交渉が大詰めを迎えていました。
エルサレムをどう分割するかとか、そういう具体的な話が詰められていて。
街も自由でした。今では信じられないけど、エルサレムから自分で車を運転してパレスチナ側に行くことができたし、ガザ地区に国際空港が完成して国際線も飛んでいました。
こうして、ついに交渉がうまくいくんじゃないかと、赴任して最初の3か月間は希望に満ちた日々を送っていました。
ところが、2000年9月、当時右派の政治家でのちに首相になるシャロン氏が、エルサレムのイスラム教の聖地に足を踏み入れてしまったのです。
エルサレムの旧市街には「嘆きの壁」というユダヤ教の聖地があるんですが、その上側に「岩のドーム」というイスラム教の聖地があるんです。
同じ構造物の壁と天井が、ユダヤ教の聖地とイスラム教の聖地としてくっついているんですね。
シャロン氏はものすごい数の警察官に守られながら「嘆きの壁」の上側にある階段を上り「岩のドーム」を一回りして帰ってきたんです。「私は平和の使者だ」と言って。
お祈り中だったイスラム教徒は、それを見て暴徒化しました。
そして今度はイスラエルの警察がそれを力ずくで鎮圧し、死傷者が出たのです。
これをきっかけに、各地で激しい衝突が始まってしまいます。
約7年もの歳月をかけて築き上げてきた和平への希望が、わずか数日で崩れていったんです。
シャロン氏が歩いただけで?
そうです。イスラム教の聖地にイスラエルの政治家が行かないというのは不文律なんです。
シャロン氏はあえてそこに赴き「ここは渡さないよ」という意思表示を暗にしたんです。
パレスチナの人たちからすると、侮辱的な行為だった?
聖地を一周するというのは、パレスチナ人にとっては十分な冒とくです。
これを導火線に、暴力の応酬が始まりました。
イスラエルの街中では、バスが吹き飛ばされるような爆弾テロが起きるようになりました。
これに対してイスラエルは、パレスチナの過激派の拠点を空爆します。
直前まで和平交渉がうまくいくんじゃないか、という状況だったのに…。
「共存したい」と思う人も、和平交渉に反対する人も、イスラエル・パレスチナ双方にいたんです。
イスラエルでは、シャロン氏のような右派の人たちが和平交渉を阻止しようとしていたんですね。
当時のエルサレム支局には日本人は僕1人で、イスラエル人、パレスチナ人、双方のスタッフと仕事をしていました。
イスラエルで発生したテロの現場にはイスラエル人のスタッフと行くんですね。
たくさん人が死んでいるような悲惨な現場を見ると「絶対許せない」と震えて怒るわけです。
その翌日に、イスラエル軍がパレスチナを空爆して、瓦礫の中から子どもの遺体が出てきて…
同行したパレスチナ人のスタッフは涙を流しながら「イスラエルは悪魔だ」と言うんです。
スタッフ同士が相手を憎むことが起きないよう、一生懸命心がけたんですけど、こういう状況が続くと、それぞれの考え方がずれていって、とてもつらい時期でした。
イスラエル人、パレスチナ人、ともに自分たちの被害の現場だけを見ているので、どんどん相手への憎しみを強めていくんです。
僕は1人で1日、2日おきに両方の現場を行ったり来たりしていたので、それがとてもつらかったですね。
鴨志田さんがいた支局の周りでもテロはあったんですか?
しょっちゅうありました。家のすぐ近くのレストランが吹き飛ばされるとか、オフィスの前の道路で、乱射が起きるとか。
東京の本部から危ないところには行くなと指示されるんですけど、安全な場所とそうでない場所の線が引けないんです。
きのうまで買い物をしていた市場が突然、テロで血の海になってしまうとか。
だから道路に面しているところは狙われるかもしれないから、目立たないスーパーマーケットに買い物に行ったりとか、レストランで食事する時も、なるべく奥の席に座ったりとか、その時々の情勢を肌で判断しながら生活していました。
和平の雰囲気はまったくなくなってしまったんですか?
交渉しなければという動きは、最初の頃にはありました。
でも衝突が長期化していく中、イスラエルの世論が右傾化し、選挙であのシャロン氏が首相になります。
そのシャロン氏は、ヨルダン川西岸の境界に食い込むように分離壁をつくりました。
分離壁?
テロリストがイスラエル側に入ってこないようにするためのものです。高さは、最も高いところで8メートル、全長は700キロ以上にもなります。
この壁ができて、テロが減ったことをきっかけに、危害がないなら交渉はもういいじゃないか、という考え方がイスラエル側で広がっていきます。
持続的な国を作るためには和平しか手段がない、という考え方が次第に失われていったんです。
パレスチナ側はどうなったんですか?
オスロ合意後、暫定自治政府のトップとしてパレスチナをまとめていたアラファト議長が2004年に亡くなります。
後を継いだのはアラファト議長と同じ、穏健派の政治勢力「ファタハ」に属していたアッバス議長です。
和平派の指導者として期待されましたが、過激派を抑えるだけの力がなかったというのが大半の評価です。
それで、イスラム組織の「ハマス」に2006年の議会選挙で負けてしまうんです。
「ハマス」というのはどんなグループなんですか。
イスラム教の教えを厳格に守ろうという人たちで、ガザ地区を中心にパレスチナの解放を訴えています。
「過激派」と呼ぶ人も多いんですが、軍事部門でイスラエルと武装闘争を続ける一方、慈善活動や教育支援で貧しい人の生活を支えたりもしているんです。
そのハマスは選挙に勝ったあと、2007年からガザ地区を独自に支配するようになってしまいます。
一方、ヨルダン川西岸はイスラエルと和平交渉を続けるという立場をとっている「ファタハ」が統治を続けています。
パレスチナが一体ではなくなってしまったんです。
分裂してしまったんですね…
このため、パレスチナ内での和平への足並みがそろわなくなってしまいます。
その結果、和平交渉そのものが、ほとんどできなくなってしまうんです。
イスラエル側も、パレスチナ側にやる気がないのなら別に急がない、という態度です。
ファタハがやる気でも、ハマスがテロを繰り返すのであれば、そんな連中とは話ができないというような。
結局、今のまま現状維持でいこうという力のほうが強く働いてきたんですね。
その後は今に至るまで、事あるごとに衝突が起きてきました。
ハマスがガザ地区からイスラエルに向けてロケット弾を撃ち、イスラエルが報復として空爆することの繰り返しです。
ことし5月にも武力衝突があって、ガザ地区で200人以上が死亡しました。
いつもパレスチナ側にすごく多くの犠牲者が出るので、どうしてもイスラエルの方が乱暴だという印象を持ってしまいます。
イスラエルのユダヤ人を見るときには、3つの座標があるといわれます。
3つの座標?
そう。1つ目は人種です。もともと世界に散り散りになっていたので、いろいろな肌の色の人がいます。
2つ目が信仰。
黒い服を着てもみあげを長くしている「超正統派」と言われている敬けんなユダヤ教の人もいれば、ものすごく世俗的でヌーディストビーチに寝転んでいるような人もいる。
3つ目はナショナリズムです。
パレスチナ側をねじふせても、イスラエルを存続させたいという人から、パレスチナとの共存を唱えるリベラルな人たちまで。
このように、いろんな人がいるんだけど、どの人にも共通しているのが、攻められた時には、自分たちを守らなくてはならないという、防衛本能がものすごく強いところだと思うんです。
防衛本能…ですか?
歴史に裏付けられた「油断すると、また何をされるかわからない、ユダヤ人は滅ぼされるかもしれない」という恐怖心とも言えるかもしれません。
それが結果として、相手側に何倍もの被害を出すことにつながり、かつ、それを仕方がないと思ってしまっている。そんな気がしますね。
ヨルダン川西岸で取材した帰り、夜、車でエルサレムに帰ろうとしたら、検問所でイスラエル軍の兵士に威嚇射撃されたことがありました。
暗闇の中を手を上げて歩かされて検問所までたどり着くと、そこにいるのは横柄な兵士かと思いきや、そうじゃないんですね。
立っていたのは、小柄でやせた若い兵士。よく見ると、ガタガタ震えながらこちらに銃を向けていました。
確かにイスラエルってものすごく乱暴というか、残酷なことをする国だと感じてしまうことが多いです。
でも、何度かそういう体験をすると、決してただ乱暴だというのではなくて、むしろ自分たちの身を守ることで必死な人たちなんだな、ということをしみじみと感じます。
反対側のパレスチナの過激派と呼ばれていた人たちにも、何度も会いに行きました。
危なくないんですか!?
イスラエルから見れば、テロリストの親玉みたいな人たちで、内心ドキドキしました。
実際に会ってみると確かにテロを指示しているような人物たちでしたが、彼らには彼らなりの、揺るぎない大義があるんですよね。
占領を終わらせるためだとか、自分たちもかつて家族を殺された過去があるとか。
テロ行為自体は絶対に正当化できるものではありません。
でも、相手の行為の結果だけじゃなくて、なぜそういうことをせざるを得ないのか、近づくことで見えてくることがあるんですね。
イスラエルもパレスチナも、それぞれが相手を殺めているというか傷つけているんだけど、それぞれに正義があって、そうせざるを得ない思いがある。
もし自分がイスラエル人として生まれていたらそういう気持ちになるんだろうなとか。もし僕もガザに生まれていたらハマスに共鳴するんだろうなとか。
相手の気持ちがわかるようになるまで近づくことで、この問題がどれだけ根深く、和解するのがどれだけ大変かというのを思い知りました。
そういうことが何度もありましたね。
さて、イスラエルの「ワクチン接種」と「ガザ地区への空爆」の共通点の話に戻ります。
一生懸命生き延びてきたユダヤ人が国を脅かすような過激派から自分たちの身を守ることと、“新型コロナの危険にさらされてはいけない”という危機感。
どちらも国民を守って、この国を存続させていかなければいけないという、ものすごく強い意識が働いているんだと思うんです。
なるほど、そういうことですね。
長い長い歴史の末にできた悲願の国をどう守っていくかというのが、すべてのことにおいて貫かれているように感じます。
次々といろんなことが伝えられているんですが、イスラエルの人の根底にある考えはまったくぶれていないと思うんです。
次回は、アメリカをはじめとした世界がこの問題にどうかかわってきたのか。解決への道筋とともに見ていきます。
編集:栗田真由子 撮影:田嶋瑞貴
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