最初の大きな地震から4日後、特に大きな被害が出たハタイ県に向かって移動していたときのことです。
港湾都市イスケンデルンを過ぎ、休憩のためガソリンスタンドに立ち寄りました。地震の影響でガソリンが届かず、売店だけが営業していて、店内には店を営む夫婦がいました。

昼食代わりにお菓子を買い、おつりを渡された際、「これはあなたたちのために使ってください」と2人に伝えました。
その地域も、地震の被害を受けていたことから、少しでも助けになればと思ったからです。
ただ、2人は「それは受け取れません」と言います。
「では、支援を必要とする人たちのために」と改めて伝えたところ、女性が次のように言いました。
「この先のアンタキヤは被害がより深刻です。気持ちはありがたくいただきました。ご支援は、アンタキヤでお願いします」
彼女の心遣いにお礼を伝えガソリンスタンドをあとにし、アンタキヤに向かいました。
到着すると、彼女の言葉通り、あちらこちらで建物が倒壊していました。

ある救助活動が続いていた倒壊現場を取材していると、3人の青年と出会いました。細身のデニムにパーカー姿の、今どきの若者たちでした。
自分たちも被災したと話す彼らは、周囲の被害の様子を説明してくれました。別れ際、3人と連絡先を交換しました。
その後、その日のうちに1人から連絡が来ました。
「サノベイ(“ベイ”はトルコ語で“さん”)、私たちはテントには入ることができましたが、暖を取るための薪がありません。どうか助けてもらえないでしょうか」
まきを買うための費用を支援してもらえないか、という相談でした。
ガソリンスタンドの夫婦の優しさを思い出しながら、彼に心ばかりのお金を振り込みました。
それから3日後。同じ青年から連絡がありました。
「サノベイ、あなたからいただいたお金についてお話があります。実は、私や友人たちは住む場所が見つかりました。ですので、薪を買う必要はなくなりました。お金を返したいのですが、口座番号を教えてください」
青年の義理堅さに驚きつつ、必要な人のために使ってほしいと伝えると、「ありがとうございます。このご恩は決して忘れません」と返信が来ました。
トルコの人たちは、義理堅く、生真面目な一面もあるのは1年半の駐在生活で何度も見てきました。
震災で大変な状況の中にあっても、良心に従って生きる姿に胸を打たれました。