最初の大きな地震が発生してからの1週間、トルコ国内では「服喪期間」が宣言されました。
テレビを付けると、ふだんは速報を赤い帯で伝えるテレビ各局は、帯を黒に変えていました。

赤地に三日月と星のトルコ国旗も半旗になっていました。
また、南部アダナにあるトルコの携帯電話会社の入り口近くには、「トルコよ、あなたの傷が癒えますように」という言葉とともに、黒い喪章が掲げられていました。

店内に入るとBGMは流れておらず静まりかえっていました。店員に話を聞くと、服喪期間は音楽を流すのをやめているのだそうです。
被災者のために、SIMカードを無料で提供するサービスも行われていました。
「あなたの傷が癒えますように」とともに、現地でよく聞くようになった言葉があります。
「ゲチミシュ・オルスン」
日本語で「過ぎたことになりますように」という意味です。
体調を崩した人に対して「お大事に」という意味合いでふだんから使われる言い回しですが、地震のあとトルコでは、行き交う人たちが頻繁に「ゲチミシュ・オルスン」と声を掛け合っています。

日本から現地入りした国際緊急援助隊の詰め所には、隊員たちがトルコ語の基本的な表現を覚えられるように、手書きの表が貼り出されていて、この言葉もありました。
私も被災した人に話を聞くときは、胸に右手を当てて「ゲチミシュ・オルスン」と伝えるようにしています。
また、改めてトルコの人たちの心の支えになっていると感じるものもあります。イスラムです。
救助現場では、生存者が助け出されれば「アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)」と多くの人たちが唱えます。
救助隊ががれきの中から聖典コーランを見つけ出せば、丁寧に拾い上げてほこりを払い、ポケットに大切そうにしまう姿を見かけました。

甚大な被害を受けた南部ハタイ県アンタキヤで出会った11歳のフセイン・セイカルくんは、父親とともに倒壊した自宅からコーランを手に出てきました。
「7歳になったときにお母さんがプレゼントしてくれたものです。まだ難しくて全部は読めないけれど、これからいっぱい読みたい」
そう話すと、コーランの章句を暗唱してくれました。
フセインくんの父親は、自分たちにとってのコーランの存在について次のように話しました。
「コーランは、私たちのすべてです。家から思い出のコーランを持ち出すことができてよかったです」

地震から8日目の2月14日。
エルドアン大統領は、トルコ国旗を彷彿とさせる赤いネクタイを締めて、会見に現れました。
服喪の期間、作業着を身につけていましたが、スーツとネクタイ姿に戻りました。
そして、次のように国民に語りかけました。
「1年以内に住宅を再建する。1年間辛抱してほしい」
首都アンカラでも地震の話をしながら泣き出してしまう人や、最大都市イスタンブールでも地震の影響でシャワーを浴びられない人もいます。
地震がトルコの人たちに与えている影響は非常に大きく、被災地以外でも痛みを共有している人は多いと感じます。
被災した人たちの心が少しでも軽くなるよう願いを込めて、きょうも「ゲチミシュ・オルスン」と声をかけます。