原子力

あの日、もし原発事故が起きていたら

あの日、もし原発事故が起きていたら

2024.03.29

「原発は本当に大丈夫なのか」

 

元日に起きた能登半島地震では、志賀原発の立地する石川県志賀町を最大震度7の揺れが襲った。

 

原発で重大な事故は起きなかったものの、住民達は大きな不安の中にいた。

 

万が一の時にはどこに逃げ、どう身を隠すか。

 

思案する住民達に突きつけられたのは、過酷な現実だった。

地区唯一の避難所が被災

北陸電力の志賀原発からおよそ1点5キロに住む能崎亮一さん。

地震発生時は自宅で子どもや孫たちと過ごしていた。

能崎さん
「これまでの地震と比べものにならないくらい、家が潰れるのではないかという揺れだった。家族にとにかく家の外に出ろと言って、そしたら大津波警報のアナウンスが流れてとにかく避難所に行こうと。原発のことを考える余裕はなかったよね」

旧小学校を利用した公民館

当時、区長を務めていた能崎さん。地震後しばらくは地区唯一の避難所の運営に携わったが、そこで想定外のことが起きていた。

能崎さん
「地区の人口は400人ちょっとなんだけど、正月で家族が帰省していたから500人以上が避難所に来ていた。たまたま去年町にお願いして廃校を公民館として使えるようにしてもらっていたので、体育館や教室が使えると考えていたんだけど」

被災した体育館 ブルーシートで補修されている

想定以上の人数が避難したことに加え、最も多くの人を収容できるはずだった体育館は、地震で窓ガラスが割れたり入り口の扉が壊れてしまったりして使用できなかった。

結局、避難所に入れなかった人たちは、校庭で車中泊をしていた。
その数は最大100台以上にのぼった。

原発に不安も ”安心してください”

地震発生当日は停電でテレビが見られなかったこともあり、原発の情報は一切なかったいう能崎さん。

志賀原発で変圧器から油が漏れるなどのトラブルが起きていたという情報をはじめて知ったのは翌日の夜。

車中泊をしていてテレビを見ていた人から聞いて知った。

能崎さん
「北陸電力の担当者に問い合わせても、安心してくださいと言われるだけ。詳しくはHPを観てくださいと。こっちは避難所の運営でHPをいちいち見る余裕もなかった。外部電源のトラブルの情報とか色々入ってきたので、もし事故が起きていたらどうしようかと役員の間で話していた」

避難道路 全滅

今回の地震で志賀原発では重大な事故に至ることはなかったものの、能崎さんが住む地区のような原発から5キロ圏内の住民は原発事故が起きた場合、即時避難となる。

町の計画では、50キロ以上離れた能登町までバスに乗り合わせて避難することになっている。

しかし、今回の地震では避難道路として使う県道や国道までにつながる道路のほぼ全てが地震の影響で使えない状況だった。

復旧作業済みの道路 当時は土砂が道路全体を覆っていた

能崎さんが住む地区から能登町に避難する場合、山を越える道路が2本、海岸線沿いを通る道路が1本、合計3本の道路があるが、この3本全てで崖崩れや陥没が発生した。

比較的被害が少なかった海岸沿いの道路も、避難する途中で志賀原発の真横を通る必要があり、仮に事故が起きた場合、避難の途中で原発に近づくことになる。

屋内退避にも困難な課題が

避難できない場合、残された手段は自宅や避難所などでの屋内退避だ。

ただ、余震が続く中、強い地震を受けた自宅にとどまるのは不安が大きい。
地域の避難所である小学校も、前述の通り体育館は地震で壊れて使えなくなり、避難者は入りきれない状況だった。

さらに大きな課題もあった。そもそも避難所は原発から1点5キロとごく近傍にあるため、万が一放射性物質が放出されれば、被ばくのおそれが高い地域にあたる。

このため、敷地内には放射線や放射性物質を遮るコンクリート製の施設が備えられていたが、基本的には、避難することがかえって健康を害するリスクが高いとされる高齢者やその支援者のために用意されたもので、避難できるのは80人程度に限られていた。

能崎さん
「私たちのような住民は車で避難できないし、家も壊れていたら放射線から逃れる手段もない。今のままだと原発の近くに住む人たちは、事故が起きたら座して死を待つ状況になってしまう。これまでの避難計画は机上のもので役に立たないことがはっきりわかった」

“指針は変えず”

能登半島地震を受けて、原子力防災を担当する内閣府は自治体から道路や避難所の整備など必要な対策の要望を聞き取り、必要に応じて支援する方針を示している。

また、原子力規制委員会も「屋内退避」の運用について検討するため、外部の有識者を交えた検討チームを設置し1年程度かけて方針をとりまとめることにしている。

一方、福島第一原発の事故のあとに原発で重大な事故が起きた際の対応を定めた「原子力災害対策指針」については、原子力規制委員会は能登半島地震の状況を踏まえても明らかな不備はなかったとして、指針自体を見直すことは考えていない。

原子力防災に詳しい福井大学附属国際原子力工学研究所の安田仲宏教授は、避難計画をつくる行政が実際に原発近くに住んでいる住民の意見に耳を傾けることが重要だと指摘する。

安田教授
「行政がつくった避難計画を住民にさらして住民と議論することが、福島第一原発事故後の13年間で欠落していた。結果的に住民の要望が反映された避難計画になっていなかったのではないか。屋内退避や避難はあくまでも放射線から身を守る手段なので、それ自体を目的にするのではなく、その手段をどう確保していくかを地域ごとの特性にあわせて考える必要がある。そうしたきめ細やかなフォローアップを国の方でも考えることが今後ますます必要になる」

“安全神話”に戻るな

能登半島地震が突きつけた、原子力防災の課題。

あの日、もし原発事故が同時に起こる複合災害に陥っていたら、今の避難計画では十分に機能しなかった可能性が高い。

ただ、今回取材した内閣府や原子力規制委員会の担当者は、対策を強化する必要性は認めながらも「厳しい審査に合格した原発は安全対策が取られているので、万一事故が起きても放出される放射性物質も限定的だ」とか「再稼働している原発ではすでに避難計画がつくられていて、避難所の整備も進んでいる」といった、安全性を強調するかのような説明を繰り返した。

そうした説明を聞くにつけ、国の認識がまるで原発事故の前に戻ったかのように感じる。
あの事故から学んだ大きな教訓の1つは、「100%の安全はない」ということだったはずだ。
いざという時に住民の命と健康を守るため、「安全神話」に戻ることなく対策を進める必要がある。

(3月11日 「ニュースウォッチ9」で放送)。

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