原子力

処理水放出1か月 日本と中国のはざまで

処理水放出1か月 日本と中国のはざまで

2023.09.28

東京電力・福島第一原子力発電所にたまる処理水の海への放出が始まってから9月24日で1か月が過ぎた。

 

周辺海域のトリチウム濃度は、東京電力が放出停止を判断するレベルを大幅に下回っているが、反発する中国は日本産水産物の輸入を全面的に停止する措置を継続。

 

中国のSNS上では、処理水の不安をあおる根拠のない情報が今も拡散し続けている。

 

こうした状況を日本で暮らす中国出身の人たちはどう受け止めているのか。

 

取材すると、心を痛めながらも、立場を生かして自分たちにできることを模索する姿があった。

福島と中国 板挟みの思い

大熊町で食堂を経営する十川彩さん

福島第一原発が立地する福島県大熊町。

2019年4月に一部の地域で避難指示が解除されたこの地で、食堂を営む1人の女性がいる。

中国・陝西省出身の十川彩さん(56)だ。

来日したころの十川さん(右)

十川さんは1997年に来日し、北海道のレストランで働きながら日本国籍を取得。その後、友人の紹介で福島県に移り住み、2022年12月に大熊町の交流施設で食堂をオープンした。

大熊町での生活にもなじんできていて、処理水の放出にも不安はないと話す。

(十川さん)
「最初、大熊に住む時は私ひとりで不安はあった。水を飲んで危なくないかとか思っていたが、5年ぐらい住んで慣れました。思ったよりお客さんも増えて、いまは楽しいです」

「処理水の放出も全然気にしないです。日本のみんなが魚を食べているのに、自分が食べないのはありえない」

そう語る十川さんにも、処理水の放出開始後、中国からとみられる迷惑電話がかかってきたという。

(十川さん)
「1回来たことがある。福島のこと「いま危ない」と(中国語で)言っていたが、私は「危なくはない」と言った。その後も知らない番号の電話が結構来たが、ほとんど出ていない」

また、十川さんは中国にいる親戚から帰国を促されている。店を手伝いに来てくれる予定だった親戚の1人も、今は来ないと連絡してきたという。

(十川さん)
「(親戚は)日本危ないから早く帰ってこいと。私は『そんなことないよ』と言ったが返事はなかった。私も年だし、ずっと1人ではできないので、弟の息子を(中国から)呼んで来るはずだった。でも、いまのことがあって(弟の息子は)『来ない』と言った。(私は)『え、なんで』と言った。来ないんだって。いまのところはね」

板挟みの状況のなかでも、十川さんは関係改善を願いつつ、大熊での暮らしを続けていきたいと考えている。

十川彩さん

(十川さん)
「店を始めて、大熊の皆さんにお世話になったので、何とか恩を返さないといけない。国と国は難しいが、早く和解するといいなと思っている。少し時間が経ったら大丈夫だと思う。私は信じる」

草の根の一員として

徐銓軼さん(左)と十川彩さん(右)

十川さんの食堂によく足を運ぶ徐銓軼さん(じょ・せんい、39)も、いまの中国の状況にもどかしさを感じている1人だ。

徐さんは20年前に中国・上海から留学で来日し、その後福島県の上海事務所に就職。原発事故後の2013年からは福島県に滞在し、県の国際交流員などを務めてきた。

いまは、福島県の外郭団体の職員として、原発事故で被災した地域への移住や定住を促進する仕事をしている。

福島第一原発を視察した徐さん 左手に持っているのは処理水が入った容器

過去5回にわたって福島第一原発を視察し、処理水についても説明を受けたという徐さん。いま感じるのは、福島で暮らす現実と、中国のSNS上で目にする処理水についての根拠のない情報とのギャップだという。

(徐さん)
「正直、中国のSNSの動画を2、3本見るだけでも本当に気分がよくないと感じる。さまざまな難解なデータより、1人の有名人のひと言、猟奇的なニュースの報道の仕方が、人の心を揺るがすような効果を持っているのがいまのネット時代の特徴ではないか」

「現在もリアルタイムで福島で暮らし、沿岸部で仕事をしているので、通勤途中でも海が見える。みんなここで暮らしていて、何気ない日常を過ごしている。中国のSNSなどで報道されている内容とあまりにも乖離していて、そのギャップにもどかしさを感じている」

そのギャップはどうすれば埋まるのか。

1つは、福島に来て、自分の目で見て判断してもらうことだ徐さんは言う。

徐銓軼さん

(徐さん)
「中国にも日本にも『百聞は一見にしかず』ということわざがある。ネットではいろんな動画が出回っているが、数少ないが自分で直接福島に来て、見て、感じた映像があるのは確か。どちらか一方的な報道を信じるより、さまざまな角度の報道を総合的に見て、自分の中で見比べて、やがて自分が現地に来て、見て、1つのオリジナルの、自分自身の判断を下すのが一番いいのではないか」

そして、福島で働く中国出身の自分だからこそできることがあるのではないかと模索している。

「私はインフルエンサーでも有名人でもないので、影響力はせいぜい、家族や友達の一部かもしれないが、彼らにフェイクニュースに惑わされないように注意しているし、草の根の一員として、これから出会った人々に福島の正しい姿と、処理水の正しい情報を地道に伝えていきたい」

試行錯誤する輸出業者も

高岩豊さん 東京で水産物の輸出会社を経営

処理水について正しい情報を発信しようと試行錯誤しているのは、福島に住む中国出身者だけではない。

東京で水産物の輸出会社を経営する中国・青島出身の高岩豊さん(44)(2020年に日本国籍を取得)もその1人だ。

高岩さんの会社では、東京の豊洲市場から、香港や台湾などに水産物を輸出している。

処理水の放出後、香港政府が東京や福島を含む10の都県からの水産物の輸入を禁止した影響もあり、売り上げが3分の1ほど減っているという。

(高岩さん)
「私自身は処理水の安全性に不安はないが、取り引き先からは『本当に大丈夫か』と聞かれるし、現地の飲食店や客の不安の声も多い。安全性に問題はないが、自分で証明できないと注文がどんどん減っていくというのがある」

水産物のサンプルを検査機関に送る(写真提供:千里)

安全性の証明を求める取り引き先の依頼にどう答えていくか。

高岩さんの会社では、まず、輸出可能な水産物についてもサンプルを自主的に検査機関に送り、放射性物質の検査を実施。その結果をすべての取り引き先に報告した。

放射線の測定器を新たに購入(写真提供:千里)

さらに、放射線の測定器を新たに購入し、仕入れた魚を梱包する際に魚介類から異常な放射線が出ていないことを確認する取り組みを始めた。毎日、その様子を撮影して取り引き先に送り、変化がないことを伝えているという。

高岩豊さん

(高岩さん)
「SNS上では、自分のアクセスを増やすために完全なデマをどんどん流して、無責任なことを言っている人が多い。日本の食品を食べるかどうかだけでなく、日本に対するイメージが悪くなる可能性もあり、とても悲しい」

「正しい情報をこちらから発信しないといけない。新聞やテレビは信用しないかもしれないので、市場で放射線を測って、変化がないので大丈夫だといったことを、SNSでも発信している。私たちの影響力はほとんどないが、東京の市場で仕事をしている中国出身者として、正しい発信をしていきたい」

取材後記

国同士の主張に埋もれがちな草の根レベルの動きにこそ、根拠のない情報の拡散によって膨れ上がった不安や不信を解消し、関係を解きほぐしていくためのヒントがあるのかもしれないと感じた。今後も市井の人々を丁寧に取材していきたい。

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