原子力

スリーマイル島原発事故から40年 事故の教訓考える集会

スリーマイル島原発事故から40年 事故の教訓考える集会

2019.03.28

1979年、アメリカのスリーマイル島原子力発電所でアメリカ史上最悪の原発事故が起きて、28日で40年となります。現地では、事故の教訓について考える集会が開かれました。

1979年3月28日、アメリカ東部、ペンシルベニア州にあるスリーマイル島原発の2号機で、核燃料が溶け落ちるメルトダウンが起き、放射性物質を含む水蒸気が外部に漏れ出して、14万4000人の住民が避難しました。

2号機の原子炉は今も解体されずに残されています。

事故から40年となるのに合わせて、27日、原発の近くにある大学が、事故の教訓について考える集会を開きました。

この中で、参加した住民グループのメンバーの女性は「当時は混乱の中、家族で避難した。政府の担当者から何が起きているのか十分な説明もなく、不安が募った」などと語ったうえで、住民が行政の対応などを監視することが重要だと指摘しました。

また、日本から参加した、福島市在住のフリージャーナリスト、藍原寛子さんは、福島第一原発の事故では、今も原発の周辺に住んでいた多くの住民が避難していることなどを紹介し、日本とアメリカの原発事故の経験者どうしが情報を共有して対応を考えるべきだと訴えました。

参加したアメリカ人の男性は「事故を起こした原子炉から放射性物質が漏れ出さないか、今も不安です。事故はまだ終わっていないと感じています」と話していました。

このあと、参加者は、スリーマイル島原発の事故が起きた午前4時前に合わせて、原発の前でろうそくをともし、事故がもたらした影響などに思いをはせました。

事故起こした原子炉や冷却塔 今も当時のまま

スリーマイル島原発でメルトダウン事故を起こした2号機では、溶け落ちた核燃料が周りの構造物と混ざり合った燃料デブリが合わせておよそ130トンあり、原子炉から取り出す作業を終えたのは事故から11年後でした。

事故を起こした原子炉や冷却塔は、今も当時のままの形で残されています。

一方で、同じ敷地内で隣接する1号機は、事故のあとも運転を続け、2034年まで運転の免許が出されていますが、採算性が悪化しているとして、運営している会社はことし9月に運転を停止する方針を示しています。

ところが、最近になって、地元のペンシルベニア州議会の複数の議員が、温室効果ガスを出さないエネルギーだとして、原発を推進する法案の提出を検討しており、1号機の運転停止にも影響が出る可能性が指摘されています。

2号機は、1号機の運転が停止したあとに1号機とともに解体される予定ですが、解体の具体的なスケジュールは決まっていません。

福島第一原発の廃炉 スリーマイル島原発を参考

スリーマイル島原発2号機は、世界で唯一、事故で溶け落ちた核燃料が周りの構造物と混ざり合ってできた燃料デブリを取り出した経験を持つ原発です。

同じように核燃料が溶け落ちた福島第一原発の廃炉に向けた工程は、当初、スリーマイル島原発の廃炉を参考に策定されました。

スリーマイルでは、燃料デブリはほとんどが原子炉の中にとどまっていましたが、建屋の中の放射線量を下げたり、原子炉の内部を調査したりするのに時間がかかり、取り出しが始まったのは事故から6年後で、全体のおよそ99%にあたる130トン余りを取り出し、作業が終了したのは事故から11年後でした。

一方、福島第一原発では、3基の原子炉でメルトダウンしていることや、燃料デブリが原子炉にとどまらず格納容器まで広がるなどさらに深刻な状況にあることも考慮し、燃料の取り出しの開始は事故から10年後とスリーマイルよりも時間がかかるとしています。

また、最終的に廃炉を完了する時期については、スリーマイル島原発では、隣接する1号機の運転が続いていることも踏まえ、運転の終了後に残る建屋や施設を解体するとしています。

これに対し、福島第一原発では、廃炉の終了までの目標を事故後30年から40年としていますが、取り出した燃料デブリやさまざまな廃棄物の処分方法などは決まっておらず、東京電力は何をもって廃炉の終了とするのか定義することは困難だとしています。

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