災害列島 命を守る情報サイト

これまでの災害で明らかになった数々の課題や教訓。決して忘れることなく、次の災害に生かさなければ「命を守る」ことができません。防災・減災につながる重要な情報が詰まった読み物です。

地震 教訓 知識

100年前の「フェイク画像」 関東大震災でも拡散したデマ

ひしめき合う人の姿…迫る黒煙。

100年前の関東大震災を撮影したとするこの写真、実は”フェイク画像”だ。

地震発生後、世の中に出回り、震災の惨状を描いたものとして伝えられた。

今でも災害のたびに流れるフェイク画像やデマ。その背景には時代を超えて私たちに共通する人間心理があった。

2023年 関東大震災100年関連ニュースで紹介

目次

    ねつ造された写真

    関東大震災の恐ろしさを伝えるケースとして有名なのが東京・墨田区(現在)にあった工場跡地「被服廠跡」の火災だ。炎を含んだ竜巻状の渦が発生する「火災旋風」で約3万8000人が死亡したとされている。

    この惨状を表しているとして流通した、ある「絵はがき」がある。

    20230619_01_01
    (大正十二年九月一日大震災の實況)
    「本所被服廠跡避難民の群集是が哀れ白骨の山と化すとは」

    ”被服廠跡の被災者の様子”を撮影したとする絵はがき。「哀れ白骨の山と化す」感情をあおるようなことばも書かれている。

    手前には大勢の人が荷物を持って集まり、奥には火災による煙が立ち上り、こちらに迫っているようにも見える。

    しかし、この写真を見てほしい。

    20230619_01_02

    これは報知新聞が震災発生の直後、宮城前(今の皇居)に避難した人を撮影したパノラマ写真。

    写真の右側をよく見てみると・・・。

    20230619_01_03

    絵はがきのもとになっているのが、パノラマ写真の右側部分であることがわかる。

    20230619_01_04

    絵はがきと比較しても被災者の服装、傘のようなもの、集まっている人の様子などがすべて一致。「被服廠跡」とされた絵はがきは、別の場所の写真の奥に「煙」を加えてねつ造されていたものだった。

    ある写真編集者の発見

    絵はがきにある写真のねつ造を指摘したのは、写真編集者の沼田清さん。共同通信社のOBだ。

    20230619_01_05
    沼田清さん

    報道写真を研究してきた沼田さんは、2013年に復興記念館で行われた震災90年の企画展に向けて、さきほど紹介した報知新聞のパノラマ写真の復元に取り組んでいた。

    その過程で、絵はがきの写真はねつ造されているものだと気づいた。そして2018年には関東大震災の写真の改ざんやねつ造の事例や背景をまとめ、論文を歴史地震学会に発表するに至った。

    「関東大震災写真の改ざんやねつ造の事例」沼田清さんの論文(※NHKサイトを離れます)

    論文の中で沼田さんは、他にも多くの写真のねつ造や改ざんがあったと指摘している。

    例えば、日比谷交差点で撮影されたとされる写真。

    20230619_01_06

    正面の建物の裏側から、もうもうと黒煙が立ち上っている様子が見て取れる。

    しかしこちらの写真。

    20230619_01_07

    同じ構図だが、背景の「煙の量」が大きく違う。沼田さんは、最初の写真は、この写真に別の写真の煙を焼き込んだものだと指摘している。

    20230619_01_08

    なぜ改変されたのか

    なぜこのような絵はがきや写真が出回ったのか。沼田さんは今にも続く教訓「ないものねだりの結果だ」と考えている。

    「被服廠跡」の火災について、報知新聞が震災発生直後の9月5日に「遺体のうつった写真」を掲載したところ、警察当局から発売禁止処分を受けていたことが、警視庁の震災の記録集に残されていたという。

    1925年 警視庁『大正大震火災誌』(※NHKサイトを離れます)

    この処分の後、表向きには遺体の写真は見られなくなったという。

    しかし、3万8000もの人が亡くなった「被服廠跡」での出来事は人々の不安や恐怖をあおり、その後も注目を集め続ける。このため、ねつ造された写真を掲載した絵はがきが出回るようになったのではないかと沼田さんは指摘する。

    写真編集者 沼田清さん
    「報道写真は確かな画像と正しい説明が備わって成立するものですが、説明次第で白が黒になってしまう危うさもあります。検証の結果、震災後の混乱によってチェック機能がきちんと働かなかったケースと思われる例もありました」

    “デマ”はなぜ広がったのか

    関東大震災で問題になったのは写真だけではない。根拠のないうわさ「デマ」だ。

    警視庁が1925年まとめた記録集には、当時寄せられたとされるデマが多く記載されている。

    20230619_01_09
    『大正大震火災誌』警視庁 1925 国立国会図書館デジタルコレクション(※NHKサイトを離れます)
    「富士山に大爆発、今なお噴火中」
    「東京湾に猛烈な海嘯襲来する」
    海嘯…当時の津波の別名
    「さらに大地震が来襲する」
    ※1925年 警視庁『大正大震火災誌』より

    「昨夜の火災は不逞鮮人の放火または爆弾の投擲」
    「朝鮮人約200名神奈川で殺傷、略奪、放火。東京方面に襲来する」
    「朝鮮人、市内の井戸に毒薬を投入」

    ※1925年 警視庁『大正大震火災誌』より

    当時の警視庁や戒厳司令部が、こうした情報を打ち消そうとしたことも記録に残っていた。

    20230619_01_10
    警視庁が当時配布したビラ
    「有りもせぬ事を言い触らすと処罰されます。朝鮮人の狂暴や、大地震が再来する、囚人が脱監したなぞと言い伝えて処罰されたものは多数あります。時節柄皆様注意して下さい」

    こうしたデマや根拠のないうわさがなぜ広まったのか。内閣府が2008年にまとめた報告書では、情報が広がったメカニズムについても分析している。

    当時17社あった大手新聞社のうち、実に14社が倒壊し、情報の空白が生まれていたこと。生活拠点を失った避難者たちが多く、そうした人々の不安のほか、知識の不足がデマなどの情報の拡散につながったとしている。

    “デマ”がもたらした最悪の結果

    そして、広がり続けた偽の情報は最悪の結果をもたらすことになる。

    内閣府の報告書によると、朝鮮半島の出身者などが犠牲となる多数の殺傷事件が発生した。背景として、当時、日本が植民地支配をしていた朝鮮半島で抵抗運動に直面し、恐怖感を抱いていたことや、無理解と民族的な差別意識もあったと考えられるとしている。

    その一方で、報告書は以下のように指摘している。

    防災上の教訓としては、植民地支配との関係という特殊性にとらわれない見方も重要である。時代や地域が変わっても、言語、習慣、信条等の相違により異質性が感じられる人間集団はいかなる社会にも常に存在しており、そのような集団が標的となり得るという一般的な課題としての認識である

    つまり、これらの根拠のないうわさ「デマ」は、いまにも続く課題であり、今後の重い教訓にすべきということだ。

    自然災害がこれほどの規模で人為的な殺傷行為を誘発した例は日本の災害史上、他に確認できず、大規模災害時に発生した最悪の事態として、今後の防災活動においても念頭に置く必要がある
    関東大震災と流言についてまとめた内閣府報告書(※NHKサイトを離れます)

    流言がきっかけで発生した殺傷事件についてまとめた内閣府報告書(※NHKサイトを離れます)

    内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書(1923 関東大震災第2編)(※NHKサイトを離れます)

    繰り返されてきた災害時のデマ

    災害時に「フェイク画像」や「デマ」が出回るような状況は、100年がたついまも変わらない。

    くわしくは過去のこちらの記事で触れている。

    関連記事「SNS拡散の災害画像 “AI生成の偽画像”も」はこちら

    関連記事「地震雲に人工地震 ”違います”」 はこちら

    なぜいまだに無くならないのか。社会心理学が専門の兵庫県立大学 木村玲欧教授は、災害時のデマの発生自体を防ぐことは難しいと指摘する。

    20230619_01_11
    兵庫県立大学 木村玲欧教授
    「関東大震災のケースを見てもわかるように、災害時にデマが流れる、という事象は100年たっても繰り返され続けています。意図的なデマもありますが、自分の”不安”や”恐怖”を解消したいがために、臆測で誰かのせいにしたり、不確かな情報をうのみにしたりして他人に伝え広がるデマもある。これは時代が変わっても変わらない人間の心理であり、現代でもデマ自体はなくならないという前提でいる必要があると思います」

    木村教授は、関東大震災の事例は「デマが尾ひれをつけて広まり続け、人の命を奪うことにつながってしまった最悪のケース」だとしている。そのうえで、私たちがデマへの耐性をつけること、そして、公的機関などが正しい情報発信をすることが重要だと話す。

    兵庫県立大学 木村玲欧教授
    「当時は、公的機関も被災して、デマを否定する発信自体が難しいという側面もあったと思いますが、今は、公的機関がSNSなど色々な手段で正しい情報を発信することはできるはずです。また、災害時に流れるデマというのは、ある意味、定型的です。災害時には繰り返しデマが流れてきたと知っておくことも耐性を付ける意味で大切なことだと思います」

    時代や地域が変わっても

    関東大震災の発生から100年、社会は大きく変わった。それでも「フェイク画像」や「デマ」が出回るという状況は変わらないままだ。

    木村教授が指摘するように、大きな原因の1つは「人間の不安や恐怖」だと考えられる。しかし、人間を不安と恐怖に陥らせる「災害」を無くすことが出来ない以上、フェイクやデマはこの先何年経っても無くならないのかもしれない。

    では、私たちがこの状況を黙って見ているしかないのかというと、そうではない。

    まずは、関東大震災をはじめ、過去の災害でどんなフェイク画像やデマが流れたかを知ることだ。そうすれば情報をうのみにしたり、拡散したりする前に「あれ?この情報は本当?」と、冷静に立ち止まって考えることにつながるかもしれない。

    私自身も、被災者の不安や恐怖を少しでも減らすことができるよう、過去の災害を学びながら、より正確な情報発信を心がけたいと思う。


    ネットワーク報道部 記者 高杉北斗


    「当時撮影された写真や動画から災害の状況を読み解く」NHKアーカイブスサイトはこちら。
    NHKアーカイブス「地図で見る関東大震災の写真と動画」

    「安否確認・帰宅困難者・デマ」 いまも続く関東大震災の教訓はこちら。
    「安否確認・帰宅困難者・デマ」いまも続く関東大震災の教訓


    banner
    NHK防災・命と暮らしを守るポータルサイト