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今後30年以内に高い確率で起きると予測されている列島各地の大地震。いつかは必ず噴火する富士山…。どこで何が起きるのか? 「命を守る」ために知っておかなければならない情報です。

地震 教訓 知識

関東大震災とは? 被害の特徴・メカニズム・教訓は?

1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分に発生した関東大震災。都市を襲った大地震によって、死者・行方不明者が10万人を超える未曽有の大災害となりました。

日本の防災対策の礎となった大震災の当時の被害の状況を振り返ります。

2023年9月 関東大震災100年関連番組などで紹介

目次

    明治以降の日本で最大の災害

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    内閣府の報告書によると、関東大震災を引き起こした大地震の規模はマグニチュード7.9

    首都圏などが、現在の震度7や6強に相当する激しい揺れに襲われ、住宅の倒壊、火災、土砂災害が相次ぎ、沿岸部には津波も押し寄せました。東京や神奈川を中心に11万棟近くの住宅が全壊、火災による焼失建物は21万2000棟を上回りました。死者・行方不明者は10万5000人を超え、明治以降の日本では最大の災害となりました。

    大地震のメカニズムは?

    地震は神奈川県西部の深さ23キロの地下を震源に発生しました(気象庁による)。

    関東周辺は「北アメリカプレート」「フィリピン海プレート」それに「太平洋プレート」と呼ばれる3枚の岩盤が複雑に重なり合っていて、過去にも繰り返し大きな地震が発生してきました。

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    3枚のプレートが互いに押し合っているため、地下では地震の原因となる「ひずみ」がたまり続けています。

    関東大震災は、このうち北アメリカプレートとフィリピン海プレートの境目「相模トラフ」付近が一気にずれ動くことで発生しました。

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    地震の規模でみると、1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災を引き起こした大地震(マグニチュード7.3)と比べても8倍ほど大きかったとみられています。

    首都圏を中心に震度6~7相当の揺れ

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    首都圏を中心に激しい揺れとなり、当時の震度階級で、東京・神奈川県・千葉県・埼玉県・山梨県で震度6を(現在の震度6弱から震度7に相当)。北海道から四国にかけての広い範囲で震度5から1の揺れを観測しました。

    内閣府の報告書によりますと、東京・神奈川県・千葉県など関東南部を中心に11万棟近くの住宅が全壊しました。

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    神奈川県の鎌倉では鶴岡八幡宮の拝殿など歴史ある神社や仏閣が倒壊したほか、重さ121トンもある鎌倉大仏が30センチ以上ずれ動いたとされています。

    東京市(当時)の約4割焼失 猛威を振るった火災

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    地震の発生時刻が昼食の時間帯に重なり「かまど」や「しちりん」などを使っていたこともあって同時多発的に火が出て次々と延焼しました。

    内閣府の資料などによると、当時の東京市(現在の千代田区や港区、台東区など)では、130か所余りで火災が発生し、このうち70か所以上で消し止められず、火が広がったとみられています。

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    焼失面積は34平方キロメートル余りと東京市の約4割を占めました。この日は日本海から東北へと台風が通過していた影響で、関東地方でも強風が吹いていたことも火災を広げた要因だと分析されています。

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    当時の本所区にあった被服廠跡(現在の墨田区)と呼ばれる工場の跡地では、避難していたおよそ3万8000人が四方から迫る火災と、炎を含んだ竜巻状の渦が発生する「火災旋風」によって犠牲になったということです。

    周りが火に囲まれて逃げ場がなかったうえ、避難した人々が持ち込んだ家財道具などにも火が燃え移り、甚大な被害になったと考えられています。

    斜面崩壊や地すべり 津波被害も相次ぐ

    激しい揺れなどにより東京、神奈川県、千葉県、山梨県、静岡県の山沿いの各地で土砂災害が発生しました。

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    内閣府の報告書によると、このうち神奈川県の根府川では大規模な土砂災害が発生し、駅に止まっていた列車がホームごと海に流され、200人が死亡しました。その後の大雨によっても、土石流などの土砂災害が各地で発生しました。

    関東や静岡県などの沿岸で大津波が観測され、高さは静岡県の熱海で12メートル、千葉県の館山で9メートルに達したとされています。

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    関東大震災では住む家を失い、避難を余儀なくされた人も膨大な数にのぼりました。避難者は推計で100万人を超えるとされ、当時の東京市の人口のおよそ40%にあたり、上野公園には50万人以上が避難しました。

    地震そのものの被害だけでなく、「災害時のデマ」も問題となりました。内閣府の報告書では朝鮮人が武装したり放火したりするなどといった根拠の無いうわさを背景に、各地で殺人事件が多発したとされています。

    震災を教訓にした復興計画

    その後、「帝都復興計画」などをもとに東京や横浜市では土地区画の整理や河川の改修、「昭和通り」など舗装された幹線道路の新設も進みました。

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    こうした復興事業を通じて新しい町並みが誕生し、東京の銀座や京橋は「晴海通り」の拡幅でしだいににぎわいを取り戻しました。

    一方で、内閣府の報告書によると、住民が自主的に建てたバラックと呼ばれる簡易な造りの住宅が一部の地区で残され、当初の計画通りに復興が進まない地域もありました。また、震災をきっかけに多くの人々が郊外に移住したため、被災地周辺でも密集市街地を作り出したことなどが課題として指摘されています。

    次の地震「首都直下地震」への備えを

    関東大震災の教訓は日本の防災対策の礎になっています。

    内閣府や国土交通省によると、被害を受けた建物の調査が各地で行われ、その結果から市街地建築物法(今の建築基準法)が改正されて、日本で初めて耐震基準が定められました。また、災害時の避難や防火の役割を担う「隅田公園」など数多くの公園が整備されました。さらに「地震研究所」が創設され、今も東京大学地震研究所として地震や防災の研究が続けられています。


    関東大震災の発生から100年がたちました。首都圏の町並みは様変わりし、日々の暮らしの中で、当時の甚大な被害の様子を感じることは少なくなっています。

    しかし、首都圏の下では3枚のプレートが押し合うことで、ひずみが蓄積されていて、国は、マグニチュード7クラスの地震「首都直下地震」が30年以内に70%程度の確率で起きるおそれがあるとしています。

    100年前の教訓を改めて学び、みずから出来る備えを1つずつ積み重ねていく必要があります。


    報道局 災害気象センター 頼富重人
    報道局 社会部 若林勇希

    当時撮影された写真や動画から災害の状況を読み解くNHKアーカイブスサイトはこちら。
    NHKアーカイブス「地図で見る関東大震災の写真と動画」

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    「安否確認・帰宅困難者・デマ」いまも続く関東大震災の教訓


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