目指せ!時事問題マスター

パレスチナ問題ってなに? 1からわかる!イスラエルとパレスチナ(1)

2021年11月11日
(聞き手:白賀エチエンヌ・堤啓太)

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武力衝突、爆弾テロ、空爆、そして民間人の犠牲…そんなニュースがとても多い気がするイスラエルとパレスチナ。ちょっと遠い地域の出来事だけど、「この問題を知らずして、世界を知ることはできない」んだそうです。これからグローバルな世界でのビジネスを目指す大学生が、最低限知っておいた方がいい基礎知識について1から聞きました。

 

イスラエルとパレスチナって?

学生

「イスラエルとパレスチナ」ということなんですが、すごく複雑というか、ややこしい話という印象があります。

自分自身もあやふやなことが多いので、初歩的なところからかみ砕いてお話をお聞きできればと思います。

僕も学者ではなく、一記者なので百科事典のように何でもわかるわけではないんですが(汗)。

鴨志田
デスク

ただ「この問題を知らずして、世界を知ることはできない」と思っています。

パレスチナ ガザ地区で取材する国際部 鴨志田デスク(2002年撮影)

鴨志田郷デスクは2000年から2004年までエルサレムに駐在し、イスラエル・パレスチナの和平交渉や、紛争の現場を取材。その後もこの問題を追い続けています。

全部を説明するのは難しいかもしれないけど、社会に出る大学生が知っておいてほしい内容について、できるだけかみ砕いて説明しますね。

学生
白賀

そもそも「パレスチナ」ってどこを指すのでしょうか。

昔から、地中海の一番、東の沿岸にある地域のことを「パレスチナ」と呼んでいました。

南にエジプト、東にヨルダンがあって、北にはシリアやレバノンがある場所です。

もともと、土地の名前なんですか?

そうです。このパレスチナの地にあるエルサレムには、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、それぞれの聖地があります。宗教上とても重要な地域なんです。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、3つの宗教の聖地、エルサレム

この地では、1948年にイスラエルというユダヤ人の国ができました。

その後は、この土地の中で〝将来、パレスチナ人の国家になりたい地域”(東エルサレム・ヨルダン川西岸・ガザ地区)を総じて、パレスチナと呼んでいます。

パレスチナは「国」ではなくて、「国になれていない地域」ということ?

そうです。イスラエル、パレスチナがそれぞれ国として共存するのが理想なんですが、イスラエルの建国を発端に対立しているのがパレスチナ問題です。

2つの悲劇

パレスチナ問題の根源は「2つの悲劇」にあるとも言われています。

1つは、ユダヤ人が2000年の長い歴史の中で世界に離散し、迫害を受けてきた悲劇です。

やっとの思いで悲願の国(=イスラエル)をつくり、それを死守していきたい、二度と自分たちが迫害されるような歴史に戻りたくない。

そんな、私たちには想像もつかないぐらいの強い思いをユダヤ人はもっています。

オンラインで取材しました

もう1つは、パレスチナの地に根を下ろしていた70万人が、イスラエルの建国で故郷を追われたという、パレスチナ人の悲劇です。

離散したユダヤ人が戻って国をつくったことで、今度はパレスチナ人が離散するんですね…

いまパレスチナ人が住んでいるのは、ヨルダン川西岸とガザ地区というところです。国にはなれないまま、イスラエルの占領下におかれているのが現状です。

周辺の国にも多くが難民として暮らしているんです。

具体的にどんな状況なんですか?

ガザ地区は、日本の種子島ほどの面積に約200万人が住んでいます。

空爆で建物が破壊されたパレスチナ ガザ地区(2021年5月)

NHKが撮影した独自映像とデータで伝える ガザ紛争2021 現地ではあのとき何が  はこちらからご覧ください

200万人!?

ものすごく人口密度が高い。高い塀やフェンスで囲まれ、人やモノの厳しい封鎖が続いていることから「天井のない監獄」とも呼ばれています。

イスラエルと武力衝突があると、空爆を受けて亡くなる人もたくさんいるし、地域一帯が瓦礫になって、住宅や道路、水道などのインフラも破壊されます。

国連が学校や病院を運営したり、食料を無料で配ったりしているけど、我々が当たり前に思っているような最低限の生活さえできない状況です。

一方、ヨルダン川西岸は完全な自由はないものの、今はイスラエルから物資やお金が入り、許可があればイスラエル側に働きに出ることもできます。

ヨルダン川西岸の主要都市 ラマラ

最近では、ショッピングモールもあるんですよ。

ガザ地区とは、だいぶ様子が違いそうですね。

ただ、ヨルダン川西岸には入植地という問題があります。

入植地って何ですか?

パレスチナは、イスラエルの占領下にあると言いましたが、そこにユダヤ人が住み着いてイスラエルの土地として既成事実化したのが入植地です。

ヨルダン川西岸を中心に約130か所あり、40万人のユダヤ人入植者が住んでいるといわれています。

そんなにたくさん…

パレスチナ人の住宅やオリーブ畑をなぎ倒して土地を収用することもしばしばありました。

ひとたび居座ると、立ち退くことはありません。

ヨルダン川西岸のユダヤ人入植地

パレスチナ問題は、局所的な場所で、2つの悲劇がぶつかり合っているように見えますが、実はイスラエルの背後にはアメリカが、パレスチナにはアラブ・イスラム世界がある。

世界の大きな対立の最前線みたいになってしまっていて、未だに解決が難しい状況が続いているんです。

問題のきっかけはイスラエル建国

そもそも、どうしてイスラエルは、この土地で建国されたんですか?

それを知るには、2000年前に歴史を遡る必要があります。

2000年!?

パレスチナの地には、ユダヤ教を信じるユダヤ人の王国がありました。しかし、この国は2000年ほど前にローマ帝国に滅ぼされてしまいます

このとき、ユダヤ人は、パレスチナを追い出されて世界に散り散りになります。これを「ディアスポラ」と言います。

2000年の迫害の歴史を経て…

その後パレスチナの土地の支配者は、歴史に応じて変わっていきますが、アラブ人、今で言うパレスチナ人が住み続けることになりました。

散り散りになったユダヤ人はどうなったんですか?

ヨーロッパや中東、アフリカで暮らすことになるんですね。

ただ、特にヨーロッパでは差別や迫害に苦しむことになります。

どうしてですか?

ユダヤ教の国で新しい教えを広めたのがイエス・キリストです。彼はユダヤ教の聖職者たちと対立し、十字架にかけられてしまいました。

だから、のちにヨーロッパでキリスト教が広がると、ユダヤ人はキリストを処刑した人たちとみなされ、差別や迫害の対象になってしまうんです。

そうなんですね。

ユダヤ人はそれぞれの土地で、普通の人がなかなか就かないような仕事に就かざるを得ませんでした。その代表例が金融業です。

中世ヨーロッパのキリスト教国の多くでは、お金を貸して利息をとることがいやしいこととされていたからです。

しかし、やがて金融業の需要が増すにつれ、その土地土地で富を握るようになります。

また、昔から自分たちの宗教を守るのに熱心で、子どもの教育にも力を入れてきました。

識字率が高く、知識階級の中でも影響力を持つようになります。

教育レベルが高くて、富を握っていて…というと、妬みもあるんでしょうか?

そうですね。いろいろなことが重なって、疫病などの災難が起きるとユダヤ人を迫害する、という歴史がずっと繰り返されてきた。

迫害が続く中、19世紀にユダヤ人たちの中で、かつて王国があったパレスチナの地に戻ろう、国をつくろうという運動が起こります。

これを「シオニズム運動」と言います。

でも、すでにパレスチナ人が住んでいますよね?簡単には戻れないような…

それが現実化してくるのが第1次世界大戦の時です。

イギリスが「ユダヤ人の国家建設を支持します」と約束して。

どうしてですか?

ユダヤ系の財閥、ロスチャイルドから資金援助を引き出そうという狙いです。

ユダヤ人の国をつくろうという動きを、利用したんですね…。

一方イギリスは、当時パレスチナを含むアラブ地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すため、アラブ人にも「オスマン帝国と戦えば、独立国家をつくろう」と約束します。

さらに盟友のフランスとは、この地域を山分けする密約も結んでいたんです。

相容れない約束ですね。

歴史上、悪名高い「三枚舌外交」と呼ばれるものです。

ユダヤ人にも、アラブ人にも国を認めると言って、その後の混乱を招く元凶になりました。

結局、オスマン帝国の領土は、イギリスとフランスが山分けすることになりました。

ユダヤ人は「だまされた」と思いつつ、パレスチナの地に移り住む動きを強めていきます。

そして、最後の決め手となったのが、ナチス・ドイツによるホロコーストです。

600万人のユダヤ人が殺害されました。

ユダヤ人というだけで、虐殺されたんですよね…

ユダヤ人の大量虐殺が行われたアウシュビッツ強制収容所

もう二度とユダヤ人が迫害されることはあってはならないと、悲願の国をつくる思いを強めていったんです。

ナチスの犠牲者になったユダヤ人への同情もあり、1947年には「パレスチナの地に国をつくらせてあげましょう」という国連決議が採択されました。

パレスチナ分割決議

1947年に国連総会が採択。パレスチナの地を、ユダヤ人とアラブ人の2国に分けたうえでエルサレムを国際管理下に置く。当時、この土地のユダヤ人が占める割合は、全人口の3分の1だったが、56%の土地が与えられることになった。

そして翌年には、ユダヤ人がイスラエルの建国を宣言します。

2000年越しの思いでユダヤ人がつくった国が、イスラエルだったんですね。

でもパレスチナ側からすると、広大な土地を取られてしまう。反対はなかったんですか?

もちろん「勝手に国をつくられるのはおかしい」と反発しました。

建国の翌日(1948年5月15日)には周辺のアラブ諸国がイスラエルに攻め込みました。これが第1次中東戦争です。

イスラエルが「被害者」から「加害者」へ

イスラエルは、建国と同時だったので最初は苦戦したんですが、国連の分割決議で認められた土地は死守したんです。

その状態で国を少しずつつくっていくんですけど、パレスチナは相変わらず国にならない状態。

周辺のアラブ諸国は、イスラエルに対する憎しみを募らせながら緊張状態が続くわけですね。

中でも決定的だったのが、1967年の第3次中東戦争です。

第3次中東戦争でイスラエルは、パレスチナ人が住む場所とされてきた東エルサレムを含むヨルダン川西岸(ヨルダン領)とガザ地区(エジプト領)を占領して、国連の統治下にあったエルサレムの併合を一方的に宣言した。

イスラエルは、戦争前まで認められていた休戦ラインを越えて、国際法上、認められていないところまで占領したんです。

一線を越えてしまったということ?

そう。この時イスラエルは事実上「パレスチナ」と呼ばれていた土地のすべてを占領することになったんです。

パレスチナ人は住み続けていますが、イスラエルが占領政策を続けていくことになるんですね。

第3次中東戦争 進軍するイスラエル軍部隊

最初に話した入植地の建設も、これ以降加速します。

占領地での入植活動は、国際法に違反する行為です。

こうしたことから、それまで国際的には「被害者」とみられていたイスラエル、ユダヤ人が占領者となり、ある意味「加害者」としてみられるようになるんです。

結局25年間で4回も戦争が繰り返されるのですが、毎度イスラエルが軍事的に圧倒します

どうしてイスラエルは建国直後の状態で、アラブ諸国の連合軍に対抗できたのですか?

アメリカが武器の援助をしていたこともあるんですが、ユダヤ人の結束というか統率というか身を守ろうという執念というか…。

天才的な軍人が何人も現れて。のちのラビン首相とか、シャロン首相とかですね。

軍事的にものすごく優秀な人たちが、電撃作戦や奇襲作戦を駆使して数で勝るアラブの連合軍を撃退していくんですよね。

天才的な軍人が現れるのは、なぜなんですか。

そこをイスラエルには神の力が働いたと解釈する人もいます。

例えばエジプト軍がイスラエルに侵攻していた時に、イスラエル軍の戦車部隊を率いる指揮官だったのちのシャロン首相が、エジプト軍の補給路を断つんです。

それでエジプト軍が一気に総崩れになって、エルサレムを目前にして敗退しちゃうと。

ほかにも、いろいろ伝説的な展開がいくつかあって勝利を収めていくんですね。

こういったことも「土地を死守しなければならない」というナショナリズムをますます煽り立てることになっていくんです。

パレスチナの蜂起とテロ、世界に募る危機感

戦争に負け続けたアラブ側、パレスチナ側はその後どうなったんですか。

このままでは耐えられないと「インティファーダ」と呼ばれる住民の抵抗運動が広がっていきます。

住民がイスラエル軍に石を投げて抵抗するんですね。この運動がどんどん大きくなっていきました。

一方、パレスチナの外では、アラファト議長率いるPLO=パレスチナ解放機構という組織が各地でイスラエルに対する武装闘争を展開します。

パレスチナ・アラファト議長(当時)

ドイツのミュンヘンオリンピックで、イスラエル選手が襲われるテロもありました。

パレスチナの中でも外でも、反イスラエルの運動が起きてくると。

国際社会が、この問題を放置できない…という状況になっていきます。

そしてもう1つ、大きな動きがあります。1991年にイスラエルから遠く離れたイラクで起きた湾岸戦争です。

イラクがクウェートに侵攻したことがきっかけで起きた戦争ですね。

そう、それに対してアメリカを中心とした多国籍軍が当時のサダム・フセイン大統領をクウェートから追い出します。

フセイン氏は旗色が悪くなる中で「アラブの正義のためにパレスチナを解放する」と言い出して、はるか遠くのイスラエルにミサイルを数十発も発射したんです。

アラブ世界の同情を集めようとしたんですね。

突如、パレスチナ問題を持ち出した?

引きずり込んだというかね。

これをきっかけに国際社会から「パレスチナ問題を解決しないと何が起きるかわからない」と事態打開を求める声が高まります。

そして、その後の歴史的な合意=オスロ合意へと向かっていくことになるんです。

長く続いた対立を経て、共存への道を模索することになるイスラエルとパレスチナ。次回は双方が和平に向けて歩み出したオスロ合意から現在の状況に至るまでのいきさつを見ていきます。

 

編集:栗田真由子 撮影:田嶋瑞貴

このシリーズの内容をまとめて解説「パレスチナ問題がわかる イスラエルとパレスチナ 対立のわけ」はこちらからご覧ください

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