証言 当事者たちの声「どうして代わってあげられなかったんだろう」妻と子ども3人を失った警察官は

2024年2月1日災害

家族全員で過ごす久しぶりのお正月。

「ことしも家族が安全で健康に過ごせますように」

神社でいつもと変わらないお願いをしました。

その数時間後の激しい揺れ。妻と子ども3人がいた家は目の前で土砂崩れに巻き込まれました。

災害対応に向かおうと、家族のもとを離れた直後のことでした。

「どんなに怖かっただろう。苦しかっただろう。どうして代わってあげられなかったんだろう」

家族そろっての年越し

年の瀬、大間圭介さん(42)は金沢市にある自宅から、石川県珠洲市の妻の実家に3人の子どもたちと一緒に帰省していました。

珠洲警察署で警備課長を務める大間さんは、例年は忙しい年末年始に久しぶりにまとまった休みがとれました。

小学生の長女(11)と長男(9)、それに3歳の次男は、はしゃいだ様子でした。家族でそろって里帰りをするのを楽しみにしていたようです。

去年5月 自分たちで作ったピザと

親戚もたくさん集まって、料理を囲みながらテレビを見たり、みんなでゲームをしたり。にぎやかな年越しでした。

年が明けると、家族5人で近くの神社へと足を運びました。

「ことしも家族が安全で健康に過ごせますように」

いつもの年と同じように1年の幸せを願い、手を合わせました。

初詣から戻り、大間さんは子どもたちと一緒にボードゲームをして過ごしていました。
次男は、お気に入りのいつものおもちゃで遊んでいました。

あの日 目の前で起きたこと

最初の揺れが襲ったのは、午後4時をすぎた頃でした。

久しぶりに大きい地震がきたと直感した大間さんは、急いで子どもたちのところに駆け寄ります。

「大丈夫だよ」

長女の優香さんは不安そうな表情で大間さんを見ていました。去年5月に起きた大きな地震のあと、子どもたちは、ちょっとした揺れにも敏感になっている様子だったといいます。

それでも、大間さんは勤務先の警察署に向かうため、支度を始めました。

災害から市民の命を守ることは、警備課の使命のひとつです。

被害の情報を集め、住民の避難誘導を助ける。人命救助や行方不明者の捜索も必要になるかもしれない。

「ごめんね。お父さん仕事に行かなくちゃいけないから」

妻のはる香さん(38)に子どもたちのことを頼んだあと、慌ただしく外に飛び出しました。そして、駐車場から車を出そうとしているときでした。

一度目とは比べものにならない、長く、激しい揺れ。震度6強の揺れを観測しました。

その直後、聞いたことのないようなごう音があたりに響きわたりました。

家の裏手を見ると、崖が大きく崩れ落ちはじめ、あっという間に家に土砂が押し寄せました。

目の前で起きたことにパニックになり、周囲に助けを求めたといいます。

どんなに怖かっただろう

すぐに近所の人たちが集まってきてくれました。みんなで必死に土砂やがれきを取り除きました。

「はる香!」「優香!」「泰介!」「湊介!」

次第にあたりが暗くなるなか、大間さんは4人の名前を何度も呼び続けました。

「もしかしたらまだ生きているかもしれない。どうか無事であってほしい」

そう願い続けましたが、4人から返事は戻ってきませんでした。

翌日から消防の捜索が始まり、その2日後からは自衛隊も加わりました。

1月4日に妻のはる香さん、長女の優香さんが見つかりました。

そしてその翌日、長男の泰介くん、次男の湊介くんが発見されました。

大間圭介さん
「どんなに怖かっただろう、苦しかっただろうと思うと、涙が止まりませんでした。『守ってあげられなくてごめんね』って。どうして代わってあげられなかったんだろう」

妻の指輪、娘のお気に入りの黒いリボン、息子が大好きだったおもちゃ。
ふだん身に付けたり遊んだりしていたものが、大間さんの手元へ戻ってきました。

「最後にもう一度だけ抱きしめてあげたかった」

数日後、大間さんは4人と一緒に金沢市内の自宅へと戻り、葬儀を行いました。

かけがえのない存在

「妻も子どもたちも自慢の家族だし、ずっと宝物です」

大間さんは思い出のひとつひとつを振り返ってくれました。

妻 はる香さん

「僕の一目ぼれみたいな感じだったと思います」

照れながら見せてくれたのは、はる香さんが地震があった日も身につけていたという指輪とネックレスでした。まだ2人が結婚する前に大間さんがはる香さんにプレゼントしたものです。

「結婚して何年かたっても、当時贈ったものを大切に使ってくれていたんだと思って」

子どもの頃、大間さんの妹と同じバスケットボールチームに入っていたというはる香さん。2人は社会人になって再会し、結婚しました。

大間さんが単身赴任で珠洲市にいる間も、子どもたちを守ってくれていました。

「自分の前では弱いところを見せることもあったんですけど、優しくて、芯を持った人でした。雑貨屋に行くのが好きで、いまでも妻が選んで買ってきたコップやお皿を使ってご飯を食べています。子どもたちが大きくなって手が離れたら、2人でゆっくり旅行に行きたいねって話していました」

長女 優香さん

小学5年生だった優香さんは、何事にも一生懸命取り組む頑張り屋さんでした。

「ことしは去年よりも高い順位を目指そう」
学校のマラソン大会では大間さんと一緒に目標を決め、弟と一緒にタイムを計って練習していました。

「本当に頑張り屋で、夜も遅くまで勉強していました。自分に似て負けず嫌いで、何事も全力で取り組んでいました」

小学校の音楽活動に参加して鉄琴を担当していたという優香さん。大間さんが見せてくれた楽譜は、表紙がぼろぼろになっていて、ページをめくると手書きのメモがたくさん記されていました。

「学校から鉄琴を借りて、友だちと一緒に練習していました。私や妻の前で演奏してくれたこともありました。管弦楽部に入れたのがとてもうれしかったみたいです」

おしゃれも大好きで、去年のクリスマスプレゼントは洋服をもらいました。地震があった日も黒いリボンの髪留めをつけていました。

「お年頃というか、K-POPが好きで、家族で車で出かけるときもはやりの曲をかけて聞いていました」

長男 泰介くん

小学4年生だった泰介くんは、友だちと遊ぶことが大好きでした。

「朝早く家を出て行って、お昼ご飯だけ食べに帰ってきて、また遊びに行って、夕方暗くなってきたらやっと帰ってくるみたいなこともたくさんありました」

大間さんにとって、待ち望んだ男の子でした。

青春時代に野球に打ち込んだ大間さんの影響で、泰介くんも野球を始めました。
休みの日には一緒にキャッチボールをしたり、大間さんも野球の練習を見に行ったりしました。ポジションはセンター。ピッチャーをすることもありました。

「一緒にキャッチボールしているときは、『学校はどう?』とか2人で色々な話をしました」

家族思いで優しい一面もありました。去年の大間さんの誕生日には、お小遣いでトレーナーをプレゼントしてくれました。

「とにかく優しい子で、姉弟のためにお菓子を買ってきてくれたりしました。『自分のものを買え』って言っても聞かなくて。トレーナーも、自分が家に帰ったら『ちょっと着てみて』って渡されて、妻からお小遣いで買ってくれたものだと聞きました。うれしくて、いまでも毎日着ています。ボロボロになってもずっと着ていると思います」

次男 湊介くん

甘えん坊だった末っ子の湊介くん(3歳)。みんなから「そうちゃん」と呼ばれ、お母さんやお兄ちゃんにべったりでした。

最近は、日増しに話せる言葉が増えるようになっていました。

「家に帰ってくると、『たかいたかい』をせがまれました。だっこしてあげて飛行機みたいにしてあげるのも好きでした」

最近はお気に入りの仮面ライダーのおもちゃで、「変身!」といつも楽しそうに遊んでいました。みんなで公園に行くと、お姉ちゃんやお兄ちゃんの後ろを追いかけていました。

「おままごとでお弁当を作って、持ってきてくれたりしました。『美味しいよ』って言って食べてあげると、すごくうれしそうでした。パンケーキとかも好きで、お母さんがつくるのを手伝っていました。そういうお菓子づくりとかも好きだったのかもしれないですね」

家族がいつも集まっていたリビングには、3年前に子どもたちが父親に宛てて書いたメッセージが置かれていました。

「いつもみまもってくれてありがとう」
「だいすき」

“もしも”を繰り返す日々

「おはよう」

4人がいなくなった金沢市の自宅で、大間さんは毎朝、遺影に声をかけています。
夜には1日にあった出来事を話すのが日課になっています。

外出するときは必ず、4人の写真をかばんに入れて持ち歩いています。
家に帰ると、その写真は一緒に食事をしていたテーブルの上に移されます。

誰かといるときは、写真を見ることができるという大間さん。
それでも、1人で食事をしているときには、写真の向きを変えてしまうこともあります。

もしも帰省ではなくて旅行にしていれば‥。
どこかに外出していれば‥。
土砂崩れにもう少し危機感を持っていれば‥。
地震のあと全員ですぐ外に出ていれば‥。

多くの“もしも”が浮かんでは自分を責めてしまう日々。日がたつにつれて、涙を流す回数は増えています。

「自然に対して怒りをぶつけてもどうしようもないって。でも怒りとか悔しさをどこに向けたらいいんでしょうか。一歩ずつ進んでいこうと思うんですけど、現実を受け入れるのはとてもつらく、進んでいるのか、立ち止まったままなのかもわかりません」

生きていた証しを残したい

自宅は、年末に珠洲の実家に出かけたあの日のままにしています。

「この家で暮らしていたら、普通に帰ってきてくれるような気がして。お風呂に入っていたら、いつものように子どもたちが入ってくるんじゃないかって思ってしまうんです」

リビングの壁には1枚の写真が飾られています。
親子5人が同じ色の服を着て、笑顔を浮かべています。

湊介くんが生まれて100日になるのを記念して、写真スタジオで撮影したものでした。

「これからもたくさん写真を撮ってこの壁に飾っていきたかった」

4人の生きた証し。
大間さんはできるかぎり伝えていきたいと考えています。

大間圭介さん
「芯があって優しいはる香、頑張り屋の優香、家族思いの泰介、甘えん坊な湊介。4人が私の前からいなくなってしまったことに、まだ実感がもてません。もっといろんなことをしたかっただろうし、いろんなところに行きたかったと思います。いま思うのは、妻も子どもたちも頑張って毎日、本当に一生懸命に生活していたということなんです。だから私が伝えることで、犠牲になった4人ではなく、ちゃんと4人が生きていた証しを残したいって思うんです」

(能登半島地震取材班記者 山崎里菜/吉元明訓)

※2月1日 ニュース7、ニュースウオッチ9などで放送