証言 当事者たちの声2人のために誓ったこと~決意支えた1冊のノート 池袋暴走事故4年

2023年4月19日社会 事件 事故

東京・池袋で高齢ドライバーの車が暴走し、11人が死傷した事故からきょうで4年。

突然の事故で最愛の妻と娘を失い、絶望と混乱に陥ったという遺族の松永拓也さん。

「もうこんな思いを誰にもしてほしくない」

その決意を支えたのは1冊のノートでした。
(社会部記者 田畑佑典)

あの事故から4年

2019年4月19日、東京・池袋で高齢ドライバーが運転する車が暴走して歩行者などを次々にはね、自転車に乗っていた松永真菜さん(31)と長女の莉子ちゃん(3)が死亡したほか、9人が重軽傷を負いました。

事故から4年となるきょう、現場近くの公園に設けられた慰霊碑には、たくさんの花束が手向けられていました。

妻の真菜さんと娘の莉子ちゃんを亡くした松永拓也さんは、ことしも真菜さんの父親の上原義教さんとともに慰霊碑を訪れ、事故が起きた12時23分に合わせて黙とうをささげました。

“大きな波に飲まれているようだった“

4年前のあの日、松永さんは仕事中に事故の連絡を受けました。

突然の知らせに混乱し、「これは夢だ」と何度も自分に言い聞かせながら病院に向かったといいます。

しかし、対面した2人はすでに冷たくなっていました。

その日の朝、「いってきます」「いってらっしゃい」といつものように玄関で3人で抱き合ったのが最後のお別れになってしまいました。

松永拓也さん
「もう心が壊れそうでした。あの日、僕は家の屋上から飛び降りようかと悩んだんです。ただそのときに『お父さん死なないで』って真菜と莉子の声がした気がしました」

事故によって突然、失われた日常。

“底知れぬ絶望”に突き落とされた松永さんを待っていたのは、葬儀の準備や警察、役所などでの膨大な手続きでした。

松永拓也さん
「日常の生活から突然すべてが失われ、心に衝撃を受ける中で様々な手続きをしないといけない。お葬式や役所回り、警察への捜査協力などで心もズタズタ、頭もパニックみたいな状況で、まるで大きな波に飲まれているようでした」

気持ちを支えた「被害者ノート」

松永さんの沈んだ気持ちを支え、奮い立たせたのは1冊のノートでした。

事故から1か月余り後、弁護士を通じて「被害者ノート」と書かれたノートが手元に届けられたのです。

送り主は交通事故の遺族団体の代表で、添えられた手紙には

「どうか一人で抱えないで下さい」
「一人で苦しまないで下さい」と記されていました。

手紙

当時、すべて自分ひとりで解決しないといけないと思い込んでいたという松永さんは手紙を読み「苦しいときだからこそ誰かの力を借りることも大切だと気づかされ、はっとした」と振り返ります。そして、ノートのページをめくっていきました。

「被害者ノート」は犯罪被害者や遺族、それに支援者などの有志が2014年に作成しました。当事者としての経験をもとに、事故直後に必要だと感じた情報がまとめられています。

「わからないことや今は書きたくないことは空白にしておき、後から書けば十分です」と事故直後の心情に配慮した注釈も添えられていました。

松永拓也さん
「被害者や遺族は、混乱のさなかで手続きへの対応を求められます。インターネットなどで調べる力があれば情報にたどりつけるかもしれませんが、パニックの状態ではなかなかできません。ノートには犯罪や事故の被害者・遺族の方たちの経験やノウハウが1冊につまっているんです。パッと開いただけで様々な情報が得られるので非常に優れていると思いました。
何もわからない自分に多くの知識を与えてくれるバイブルのようで、大きな波に飲まれている中で救いの船が現れた感じでした。波には飲まれているけどその波をうまく乗り切れるような、そんな気持ちになりました」

“もうこんな思いを誰にもしてほしくない”

犯罪や事故の痛みを知る当事者たちが作った被害者ノート。

「起きたことを自分でどう思いますか?」と心境を書き込むページもあります。

松永さんのノートにはたったひと言だけ、つづられていました。

「もうこんな思いを誰にもしてほしくない」

松永拓也さん
「当時のことは正直よく覚えていませんが、これしか書けなかった。この思いは忘れてはいけない、絶対忘れてはだめだと振り絞ったのだと思います。
あの当時、真菜と莉子の命を無駄にしたくないって本当に心から思っていたんです。そこがぶれちゃうと、自分自身も生きていけないと思いました。交通事故防止などの行動につなげることで、妻と娘に『お父さん頑張ったよ、2人の命を無駄にしなかったよ』と言えればいい。今の僕の根底にある思いと同じです。これからもそうやって生きていきたいと思います」

松永さんにとって被害者ノートは、情報の助けとなるだけでなく、事故の事実と自分の気持ちに向き合うきっかけとなったのです。そして「一人で抱え込まないで」と一緒に送られてきた手紙が「誰かを頼っていい」と気づかせてくれました。

松永さんはノートを届けてくれた団体「関東交通犯罪遺族の会」に連絡をとり、同じ境遇の人たちと出会うことができました。

その仲間に支えられ、交通事故の悲惨さを訴えたり、各地で講演を行ったりするなど、事故防止の活動に積極的に取り組むようになったのです。

被害者支えるノート 各地で

被害者や遺族たちの手によって始まった被害者ノート。
今では東京都や佐賀県など、自治体が作成する動きも広がっています。

自治体の被害者ノートには地域にある身近な相談窓口や支援団体の情報がまとめられています。

中には、加害者やその家族などが葬儀への参列や香典を申し出たり、示談を求めてきたりした際の対応など、実際に起こりうる場面を想定した具体的なアドバイスが書かれているものもあります。

さらに去年には国土交通省が交通事故に特化した被害者ノートを作り、公表しました。
作成には松永さんが所属する遺族団体の代表も関わったということです。

国土交通省の被害者ノートでは、事故の発生からその先の大きな流れが、警察、医療、遺族、損害賠償などの項目ごとにまとめられ、自賠責保険の説明や、保険会社とのやりとりのポイントなどの解説もあります。

国土交通省作成の『交通事故被害者ノート』より

また、「高次脳機能障害」など交通事故で多い後遺症などについても詳しく説明され、交通事故の被害者や支援者によるコラムも設けられています。

被害者ノートに支えられた松永さんもことし2月、国土交通省を訪れ「より多くの人に届いて欲しい」と伝えました。

これらのノートは自治体や国土交通省のホームページ、警察署などで手に入れることができます。

「交通事故は毎日起きていて、今この瞬間もパニックになっている人がいる」。松永さんは自分を支え、仲間とつないでくれた被害者ノートが多くの被害者により早く届いてほしいと考えています。

松永拓也さん
「命日を迎えて、真菜と出会った日から莉子が生まれたときの感動、事故の後過ごした4年間の日々を思い出して悲しくつらい気持ちになりましたが、同時に心配かけないように生きていかねばならないと思いました。2人の命というのは私にとって本当に大切で、かけがえのないものでしたが、この世に生きる全ての人々の命が同じように尊いと思います。だから交通事故によって命が失われることがないように、ぜひ安全運転、交通ルールを守ってお互いの大切な命を守り合うような愛のある運転をしてほしいと願っています」

  • 社会部記者 田畑佑典 2012年入局 
    警視庁交通・生安担当を経て、遊軍
    池袋暴走事故は発生時から一貫して担当
    事件・事故の被害者支援も取材