証言 当事者たちの声今も“煙”のにおいが~命の価値に差をつけないで

2022年8月12日社会 事件

夫が選んでくれた 夫婦おそろいの腕時計。

クリニックの放火事件に巻き込まれた夫が、最後まで身につけていたものでした。

まだ煙のようなにおいが残っています。

幼い子どもを1人で育てていかなければならない不安のなか、さらにがく然とさせられたのが、犯罪被害者への国の補償制度でした。

「命の価値に差をつけないで」

妻の訴えです。

(大阪放送局記者 後村佳祐)

※2022年12月16日更新/2023年12月15日更新

家族思いの夫が選んでくれた おそろいの腕時計

夫を亡くした女性

夫が選んで買った、夫婦おそろいの腕時計。

この腕時計は大阪の心療内科のクリニックに通っていた夫が、最後まで身につけていました。

幼い子どもの育児や家事に前向きに取り組んでいた優しい父親。

家族の穏やかな毎日は、突然、壊されました。

夫を亡くした女性
「おそろいのものを夫婦で選んで買ってもらいました。家族のことをすごく大切にしてくれる人で、私も子どももみんな彼の深い愛情を感じながらとても充実した日々を送っていました。私は彼の妻だったことが自分の誇りでした」

届かなかった夫へのメール

放火されたクリニックが入るビル

去年12月、大阪・北区のビルに入るクリニックが放火され、巻き込まれた患者やスタッフら26人が死亡した事件。

女性は、仕事中に、パソコンの画面に飛び込んできたニュースを見て、夫が通うクリニックがそのあたりにあったことに気づき、メッセージを送りました。

午後1時43分。

「大丈夫?火事、近くみたいやけど」

ふだんはすぐに返事をしてくれるのに、既読の表示にはならず、電話もつながらない。

もしかしてと思う気持ちと、信じたくない気持ちでぐるぐると考えながら、仕事を終えてすぐに帰宅しました。

幼い子どもが不安にならないように、普通に接していたといいます。

「帰ってくることを信じて待ちながら家で子どもには何も言わず、ふだんどおり過ごしました。本来であれば、夕方主人が帰ってくる時間になっても帰ってこない。家の中に携帯電話を忘れているかもと思ってさがしても見つからない」

だんだん不安が募ってきたとき。

午後9時前、警察から電話がかかってきました。

「大変申し上げにくいのですが…」

夫が放火事件の犠牲となり、亡くなったことを知らされました。

「私がメールをしたときには主人はもう亡くなっていたことなどがわかりました。1人で警察署に向かい、やっぱりああ主人だったと確認しました。やけどもしていないし、とてもきれいでした。子どもや親にも会わせられると思い、司法解剖までの短い時間でしたが家族で夫の遺体と対面しました。大切な家族が急に理由もなくいなくなってしまった。なぜという問いの答えはどこにも見つからない。その混乱がまず襲う。そして、いなくなってしまったという喪失感です」

「家族を守りたい」 職場復帰を目指していた夫

被害に遭ったクリニック

もともと資格を生かした仕事で正社員として働いていた夫。

真面目で一生懸命な性格から頑張りすぎてしまい、心と体のバランスを崩して、仕事を辞めざるを得なくなりました。

大切な家族のためにもう一度働きたいと通っていたのが、クリニックの職場復帰を支援する、リワークプログラムでした。

心の持ち方などについての講座を一番前の席で熱心に聞いていたといいます。

夫の遺品の中から、女性は、家族への思いがつづられたメモを見つけました。

「家庭を守る為、子どもの成長の可能性を広げてやりたい。家族の笑顔を作りたい」

「とても仕事が好きな人だったので、自分の仕事への情熱とかやりがいも大事にしていたでしょうし、ここに書いてあるように、家族を守るためであるとか、子どもの成長の可能性、そういう働く父親の姿を見せたいとか、そういうことだと思います。本当に、家族のことを考えて、これから先もう1度働けるように、前向きに取り組んでいる気持ちで書いたんだと思います」

重い経済的負担 “殺された側の自己責任なのか”

夫の仏壇

「夫をはやく連れて帰ってあげたい。冷たいところに入れられてかわいそう」

大切な夫を見送ろうとする女性に、膨大で込み入ったさまざまな手続きが押し寄せました。

混乱している状態の中で、病院の治療費や、夫を搬送する費用、それに葬儀代など、次々と経済的な負担を強いられます。

事件の直後に負担をしなければならないお金は、女性が想像していたよりもはるかに多いものでした。

「経済的な負担は生きていくためには避けて通れないことです。しかし、それは殺された側の自己責任なのでしょうか?そろばんをはじかずに、大切な人との別れをさせてほしかったと思います」

「命の価値を勝手につけないで」

それでも、憎しみや悲しみ、悔しさのような、前を向いて歩いていけなくなる感情に飲み込まれてはいけない。

女性は幼い子どもを1人で育てていく覚悟を決めました。

しかし、そのやさき、さらにがく然とさせられる事実を突きつけられました。

犯罪被害者の遺族に対する国の補償制度では、被害当時の収入で給付額が算定され、無職だった夫は、大幅に減額されるというのです。

「夫は、無職でリワークプログラムに通って、将来のために家族のために復職することを目指して頑張っている中で、理不尽に命を奪われました。

経済的な補償をしてもらおうと国を頼ったときに、『当時の収入に基づいて算定されます』とか『あなたの家族の場合はこれが減額にあたります』というようなことを突きつけられる現実は、命の価値を勝手につけられているようです。命の価値に差があってはならない。そしてその差を作っている国の制度に対しても、強い憤りを感じます」

“無職”の被害者 補償は大幅に低く

遺族給付金の申請書

国の犯罪被害給付制度は、犯罪の被害者やその遺族に一時金として補償を給付する制度です。

給付額は、被害者の年齢や収入、家族の有無、それに、加害者との関係性などを基に算定されます。

犯罪行為で死亡した場合の遺族への給付額は、最高2964万5000円で(50~54歳で4人以上の家族の生計を支えている場合)、都道府県の公安委員会が裁定します。

年齢や被害者の当時の収入額で算定の基準が決まり、家族の生計を支えている場合はその人数に応じて加算され、全体の給付額が決まります。

※2022年12月16日更新

犯罪被害者の支援団体「犯罪被害補償を求める会」の試算によりますと、例えば、30代で家族が3人いる場合、被害者本人に収入があり家族の生計を支えていると認められれば、給付額は最高で2207万円余りとなります。

しかし、無職など収入がなく家族の生計も支えていないとされれば、最低基準額の530万円になります。

つまり、収入の有無でおよそ1600万円以上の差が出るのです。

女性の夫のように資格を生かして長年働いていた人も、たまたま被害に遭ったときに無職で収入が無いと、最も低い給付基準額に該当するおそれがあり、女性は不安を感じています。

さらに、この補償制度では、さまざまな「減額規定」があり、親族といった関係性や、口論など犯罪被害を誘発するような行為があった場合には、給付基準額から減額されたり、全く支給されなかったりします。

加害者に対して、損害賠償を求める民事裁判を起こすこともできますが、この放火事件では、容疑者も死亡し、賠償を求めることが難しい状況です。

加害者にお金を支払う能力が無かったり拒否されたりして、賠償金が支払われずに被害者や遺族が泣き寝入りするケースも多いのが現状です。

「犯罪」と「交通事故」 被害補償に大きな差が

不十分な支援制度に傷ついた女性。

知人から紹介された、兵庫県にある「犯罪被害補償を求める会」に相談しました。

そこで、亡くなった人の尊厳や遺族側が守られているとは言えない、あまりにも理不尽な実態を知ったといいます。

団体の理事を務める大竹有利子さん(69歳)も、夫を犯罪被害で失った遺族です。

夫の浅一さん(当時53歳)は、平成13年に隣の家に住む幼なじみに路上で刺されて殺害されました。

国の補償を申請しましたが、浅一さんの防御が過剰だったと認定されたため、給付額は3分の1に減額され、およそ125万円でした。

加害者からの賠償は、一部しか支払われず、弁護士費用などに充てると手元には何も残らなかったといいます。

事件以降、今も不眠症などに悩まされている大竹さん。

団体の支援を受けながらパートで働いていますが、高齢になってから始めた仕事はなかなか覚えられず、わずかな収入でやりくりする苦しい生活が続いています。

大竹さんは、自分と同じような思いをする犯罪被害者の遺族を無くしたいと、ほかの遺族への支援活動にも取り組んでいます。

大竹さんは、経済的に苦しい生活を強いられている遺族たちの声を耳にして、犯罪被害者への補償額が交通事故の被害者よりも大幅に少ない現状があり、課題だと感じています。

団体は、「犯罪」と「交通事故」で補償額に差が出るのはおかしいと指摘して、国に一刻も早い制度の見直しを求めています。

犯罪被害補償を求める会 大竹有利子さん
「自分も犯罪被害に遭ったあとは、日々、あすの生活をどうしようということで、他には何も考えられない状況でした。せめて、これまでの生活ができるように、そういう補償を求めることはぜいたくな要求でしょうか」

交通事故は “無職”の場合も平均給与額で補償

交通事故の被害者や遺族への補償制度はどうなっているのか。

国の補償制度では、交通事故による被害者遺族への補償制度として、自動車損害賠償責任保険、いわゆる自賠責保険があります。

自賠責保険は、自動車ユーザーが保険料を支払って運営されています。

過失による自動車事故について、被害者が当時、無収入だったとしても、原則、一般の年齢別などの平均給与額を基準に給付額が算定されます。

ひき逃げで加害者が特定されなかったり無保険の車だったりして、自賠責保険が適用できなかった場合でも、加害者に代わって国が政府事業として被害者に対して、自賠責並みの補償をしています。

こうした制度の違いから、被害に遭った時点で無収入だった場合、収入に応じて算定される犯罪被害者の補償の方が、交通事故による補償より、給付額が大幅に低くなってしまうのです。

専門家「自賠責保険並みの補償を」

犯罪被害の補償制度について詳しい常磐大学の元学長の諸澤英道さんは、現在の犯罪被害者への補償は不十分だと指摘して、自賠責保険と同じ水準で補償すべきだといいます。

常磐大学 諸澤英道 元学長
「現在の補償制度は、被害者の経済的な損失を補うのには金額が少なく、多くの被害者や遺族の現状に寄り添っていません。犯罪被害者と交通事故の被害者で補償の違いが出るというのはおかしな話であり、自賠責保険並みにするなど、同じ基準にすべきです。国が経済的支援を行い、加害者からも確実に賠償させる仕組みを整えるなど、現在の補償制度そのものを見直すべきです」

制度の見直し 国に要請

女性は、ことし4月、大竹さんたち支援団体のメンバーとともに参議院議員会館を訪れ、国に被害者支援の充実を要請しました。

「犯罪被害補償を求める会」の要請

犯罪被害者への補償を自賠責保険の水準にすることや、国が加害者に代わって賠償金を立て替え、加害者に請求する制度といった新たな支援の枠組みを作ることなど、現在の補償制度の抜本的な見直しを求めています。

これまで夫と協力してきた子育てを、仕事を休み1人で対応しなければならなくなったこと。

仕事をセーブせざるを得なくなり、収入も減ってしまったこと。

女性は、集まった国会議員や国の関係者を前に、経済的な苦しさや不安を訴えました。

夫を亡くした女性
「子どもはこれからいっぱい食べて、いろんなことに興味を持ってどんどん健康で大きくなってくれると思います。彼も見守ってくれていると思います。そのときに何か新しいことをしたい、あれやってみたい、この学校に行ってみたいと子どもが言ったときに『いや、うちはお父さんがいなくなって、お金がないから無理』とそんなことは絶対に言いたくない。そういう思いを持っている人は事件の被害者の数だけいると思うんです。制度がきちんと運用をされればありがたいし、たくさんの人を救ってくれると思います」

“遅れた”日本の支援制度

公的な救済や損害賠償を得られない犯罪の被害者や遺族を支えるために昭和56年に作られたのが国の犯罪被害給付制度。

これまで、当事者の声を聞きながら改正が進められてきましたが、さまざまな減額規定や補償額の低さなど、多くの課題が指摘されています。

国の犯罪被害給付制度の、令和2年度の支給総額は、およそ8億2000万円でした。

国民1人あたりの負担額は6円の計算になります。

新全国犯罪被害者の会(新あすの会)によりますと、フランスでは、1人あたり742円、ドイツでは592円などで日本の負担額とは大きな差があります。

常磐大学元学長の諸澤さんは、国だけではなく自治体も含めて、日本は犯罪被害者への支援の取り組みが諸外国に比べて遅れていると指摘しています。

あの日から2年

※2023年12月15日更新

犯罪被害者や遺族の声を受けて、犯罪被害給付制度を抜本的に見直すため、国は検討会を設置しました。ことし8月、給付金の大幅な引き上げに向けた議論が始まり、具体的にどのように制度を強化するのか、来年5月までにとりまとめることにしています。

事件から2年。
クリニックの放火事件で夫を亡くした女性には、ことしの夏、犯罪被害者への給付金が支給されました。ただ、当時「無職」だった夫がどのように算定されたのかは、明らかにされませんでした。

女性は、今も働きながら1人で子どもを育てていて、子どもの進学などを考えると、将来への経済的な不安を感じています。

夫を亡くした女性
「子どもが大きくなって進路を選択するときに、理不尽に我慢はさせたくないと思っています。自分がいつ死んでも子どもが健やかに大きくなれるように残せるものは、残しておきたいです。遺族の立場というのは一生続きます。国は、多くの犯罪被害者や遺族の声を聞いて、納得できるような制度作りを進めてほしいと願っています」

幼かった子どもは自転車が乗れるようになりました。字も書けるようになり、事件のあとの父の日にメッセージを書きました。夫がいつでも見られるようにと仏壇の近くに飾っています。

事件当時は、あまり話せなかった子どももことばを覚えはじめ、最近、父親とのできごとを口にするようになったといいます。その中には女性も知らない父親との思い出もありました。子どもの成長を感じるたびに、喜びと同時に、夫と一緒に育てていくことができない寂しさを感じています。

「『お母さんには内緒ねって言ってここでお父さんがこのお菓子を買ってくれたんだよね』とか、散歩をしているときも『思い出の看板なんだよね』とか話してくれます。子どもの思い出の中に、夫のお父さんとしての姿を見つけたりすると、しっかり生きているんだなと感じます。家族を愛してくれていた何よりの証拠だなって。子どものいい面も、悩ませてくれるような面も、本当は2人で見届けたかったです」

取材後記

被害者支援の充実を訴えた女性。

去年4月、国への要請のあと、次のように語りました。 

「制度の概要を説明する文言の中には、『被害者や遺族が早期に平穏な生活を送ることができるための制度』とありました。被害に遭った直後から、長期的に負担や苦しみを軽減することにも、もっと目を向けた制度になってほしいと思っています」

改善を求める当事者たちの声が高まり、国が動き始めました。

女性は「取材に応じたのは、自分が直面した事態を伝えることで、少しでも同じような立場に置かれた人たちの助けになればという思いからだ」と話しました。

やりきれない悲しみを抱えながら、経済的にも大きな負担を強いられる犯罪被害者や遺族。

誰もが犯罪被害者になるおそれがあります。

国は、一人ひとりの現状にしっかりと向き合い、補償制度を充実させる姿勢を見せてほしいと思いました。

  • 大阪放送局記者 後村佳祐 2017年入局
    奈良局を経て現在は事件や司法を担当