追跡 記者のノートから京アニ放火殺人事件 初公判 被告は何を語るのか

2023年9月5日司法 裁判 事件

死亡36人、重軽傷32人。

殺人事件としては記録が残る平成以降、最も多くの犠牲者が出た「京都アニメーション」の放火殺人事件。4年あまりの月日を経て、9月5日から裁判員裁判が始まった。

重いやけどを負ったが、一命を取り留めた被告。事件に至った詳しい動機やいきさつなどは、明らかになっていない。

今後の裁判の中で、被告は何を語るのか。

(京都放送局記者 岡本なつみ・岡﨑琢真)

あのとき何が

2019年7月18日、午前10時半過ぎ。京都市伏見区にある「京都アニメーション」第1スタジオで、黒煙が激しく上がった。

煙は、らせん階段をつたうなどして3階建ての建物に充満。全体に広がるまで、わずか1分ほどだったという。当時、現場のスタジオにいたのは70人の社員。

逃げる間もなく煙にまかれた人、ベランダや窓から飛び降りた人。20代から60代までの男女合わせて36人が死亡、32人が重軽傷を負う大惨事となった。

青葉真司被告

当日、現場から100メートルほど離れた路上で身柄を確保されたのは、無職の青葉真司被告(45)。1階の正面玄関から建物に侵入し、いきなりバケツでガソリンをまいてライターで火をつけたとされる。

警察によると、前日に宇治市内のホームセンターでガソリンの携行缶や台車などを購入し、当日の朝まで現場近くの公園で野宿していたという。

みずからも全身に重いやけどを負い、そのまま入院。容体は予断を許さない状態が続いたが、皮膚の移植手術などを受けて会話ができるまでに回復し、事件から10か月あまりがたった2020年5月、殺人や放火などの疑いで逮捕、専門家による精神鑑定などを経て12月に起訴された。

警察署に移送される青葉被告

青葉被告は、警察の調べに対し、京都アニメーションが制作した作品の具体名を挙げ「自分の小説を盗用されたから火をつけた。会社に恨みがあった」などと供述。会社が過去にアニメの原作となる小説を公募した際に、被告は応募していた。会社側は「自社の作品との類似点はない」と盗用を否定。これ以上の詳しい動機などは明らかになっていない。

遺族「しょく罪の気持ちあるのか知りたい」

今回の裁判に、遺族はどんな思いで向き合おうとしているのか。

事件で犠牲になった1人、武本康弘さん(当時47)の両親が取材に応じてくれた。

武本さんは、京都アニメーションを代表する「らき☆すた」や「氷菓」といった作品で監督を務めるなど、アニメ制作の中心的な存在だった。

子どもの頃から絵を描くことが好きで、地元・兵庫県の高校を卒業後、アニメの道を目指して大阪の専門学校に進学。その後、念願の京都アニメーションに入社した。

遺影の両脇には父親が彫った文字が

その仕事ぶりが認められ、30代の若さで監督に抜擢されただけでなく、アニメーターの後輩たちに講義を行うなど、後進の育成にも力を入れていたという。

武本さんは、父親の保夫さん(80)・母親の千惠子さん(75)には仕事について語ることはなかったが、自身が手がけた新作映画が公開されるたびに、2人に招待券をプレゼントしていたそうだ。

父親 保夫さん
「映画の最後に、監督として息子の名前が出てくる。それを見て誇らしいなと思っていました。手前みそかもしれませんが、アニメの世界でそれなりに名を残す仕事をしてくれるのではないかと、親としては期待していました。それなのにこんな事件が起きてしまった。もう残念としか言いようがないです」

事件から4年余り。悲しみは癒えない一方、体力の衰えを感じるようになったという両親は、これからの裁判をすべて傍聴することはできないと考えている。

それでも、来年1月に予定されている判決は、法廷で見届けるつもりだ。

母親 千惠子さん
「息子を亡くした悲しみは今も変わりません。何年たとうと、亡くなったあの頃のままなんです。裁判が始まるからといって息子が帰ってくるわけではないので、特別な感情もありません。ただ、36人もの命が奪われた今回の事件について、被告が今どう思っているのか、しょく罪の気持ちはあるのか。それだけは知りたいと思っています」

被告と向き合った医師「逃げてはいけない」

遺族や被害者のほかにも、これから始まる裁判に特別な思いを持っている人がいる。

当時、ひん死の状態だった被告の治療にあたった、上田敬博医師だ。

広範囲に及ぶやけどの治療などが専門の上田医師。事件の2日後、勤めていた大阪の病院に被告が搬送されてきた。やけどは全身の9割に及び、当初は助からないとみられていたという。24時間体制で治療を続け、複数回にわたる皮膚の移植手術などを行った結果、被告は一命を取り留めた。

上田医師は「被害者のためにも『死に逃げ』させてしまってはいけないという気持ちが強かった」と話す。

容体が徐々に回復し、事件のおよそ2か月後には会話を交わせるようになった被告。本人が発する言葉から感じたのは、自己肯定感の低さや、社会からの孤立感のようなものだったという。

上田医師
「『自分自身に価値がないのに、なぜそんなに懸命に治療をしてくれるのか』といった発言がありました。おそらく、誰かが自分のために一生懸命向き合ったり接してくれたりする機会がなかったのだと思います。人と人との関わりに飢えていたのではないかと」

被告はその後、京都府内の病院に転院し、逮捕された。あれから被告は何を考えて生きてきたのか。裁判ではみずからの言葉で謝罪し、今の思いを語ってほしいと考えている。

上田医師
「治療を受けて、彼は命の重みというものに気が付き、その命をたくさん奪ってしまったという後悔の念があるのではないかと思います。裁判ではそのことを確認したい。やったことに対して目をそらしてはいけない、逃げてはいけないんです」

被告のこれまでの人生とは

事件に至るまでの間、青葉被告はどのような人生を送ってきたのか。捜査関係者や職場の同僚などへの取材で、次のことがわかっている。

1978年に、現在のさいたま市で生まれた被告。父親と兄、妹の4人で暮らしていた。

中学校時代の被告

市内の定時制高校を卒業後、埼玉県庁の文書課で3年間、非常勤職員として勤務する。当時の上司は「まじめで会話もてきぱきとしていて、トラブルはなかった」と話す。

21歳のときに父親が亡くなってからは、きょうだいとも連絡を取らなくなり、埼玉県春日部市のアパートで1人暮らしをしていたとみられている。

その後は、職を転々としていたが、強盗事件に関わり38歳のときに更生保護施設に入る。施設の関係者は「読書が好きで、おとなしい様子だった。あいさつやお礼、日常会話はできていた」と話す。半年で施設を出たあと、事件までのおよそ3年間は、さいたま市のアパートで1人で暮らしていたとみられている。

そして初公判

京都地裁

2023年9月5日。京都地方裁判所で初公判が開かれた。
法廷では、警備を理由に訴訟関係者と傍聴席の間に透明のアクリル板を設置。被害者や遺族も見守る中、裁判は午前10時半すぎに始まった。

車いすに乗って現れた青葉被告は、上下青のジャージにマスク姿で、髪型は丸刈りに近い短髪。視線はまっすぐ前を向いていた。

起訴された内容を認めるかどうかを聞く「罪状認否」で、被告は「間違いありません。当時はこうするしかないと思っていた。こんなにたくさんの人が亡くなるとは思っておらず、やりすぎだった」と述べ、起訴された内容を認めた。

一方、被告の弁護士は「精神障害により、よいことと悪いことを区別して犯行をとどまる責任能力がなかった」などとして、無罪を主張した。

続いて行われた冒頭陳述で、検察と弁護側はそれぞれ次のように述べた。

検察官

「被告には完全責任能力があった。被告は、京アニのアニメに感銘を受けて小説家を志し、みずからの小説を京アニに応募したが落選し、アイデアを盗まれたという妄想を募らせていった。事件の1か月前に、投げやり感や怒りを強め、埼玉県の大宮駅前に行き無差別殺人を起こそうとしたが断念した。その後、人生がうまくいかないのは京アニのせいだと考えて筋違いの恨みによる復しゅうを決意した」

「被告にとって、この事件は起こすしかなかった事件で、人生をもてあそぶ闇の人物への 対抗手段、反撃だった。責任能力は複雑なものなので、今後の証人尋問で専門家の意見を聞いて被告に責任を問えるのかどうかを議論すべきだ」

弁護士

今後の裁判は

事件から4年あまりを経て始まった裁判員裁判。期日は、予備日を含めて32回設けられている。このうち青葉被告に検察官や弁護士が質問する「被告人質問」は、9月7日以降、10回程度予定されている。

9月下旬から10月上旬にかけては「証人尋問」が行われ、京都アニメーションの社長や、当時対応にあたった消防の職員が証言する予定だ。

また、裁判では起訴の前と後に被告の精神鑑定を行った2人の医師も証人として出廷。日程の半ばごろから、責任能力の有無や程度について集中的に審理が行われる。

審理は12月7日に終わり、裁判員と裁判官による最終評議を経て、来年1月25日に判決が言い渡される予定だ。

  • 京都放送局 記者 岡本なつみ 2019年入局。警察・司法を担当
    初任地の和歌山局を経て去年から京都局

  • 京都放送局 記者 岡﨑琢真 2017年入局。北海道で6年あまり勤務 ことし8月から京都局で事件・事故の取材を担当