
ウクライナの東部や南部の4つの州の一方的な併合を決めたロシア。しかし、軍の士気の低下が再三指摘される事態に陥っています。
今回の軍事侵攻にも参加した元ロシア兵の男性が、前線の実態や軍の内情を告発する手記を公表し、注目を集めています。
“プーチンの戦争”の影でロシアの兵士たちが置かれた知られざる内実とは。
(国際部 横山寛生、ヨーロッパ総局 渡辺信)
ロシア軍の内実を告発したのは?
ロシア南部のボルゴグラード州出身のパベル・フィラティエフ氏(34)です。かつてチェチェン紛争に参加した経験があります。

一時、軍を離れていましたが、2021年8月に復帰。配属されたのは8年前にロシアが一方的に併合したウクライナ南部クリミアに駐屯する部隊でした。
今回の侵攻は何も伝えられないまま戦闘が始まっていたといいます。
4月に目のけがで戦線を離脱して帰国。戦地で起きている真実を伝えたいという思いから、手記をまとめました。
公開された手記は20万語
手記は8月1日、ロシアのSNS「フコンタクテ」上のフィラティエフ氏の個人ページで公開されました。実に141ページ、計20万語にのぼっています。

死と隣り合わせの戦地から帰り、記憶をたぐってまとめられた手記。こうコメントが添えられています。
「これはウクライナで戦争に参加したことと、ロシア軍の現状についての話、そしてなぜ、僕がこの戦争をなるべく早く終わらせなければならないと思うかについての話だ」
2月、突然の給与の上積み
ロシアの軍事侵攻が始まる2022年2月。フィラティエフ氏の所属部隊はクリミアの射撃場で演習をしていました。ロシアとウクライナの緊張が高まる中、部隊では「ウクライナがクリミアやドネツク州、ルハンシク州を攻撃した」という話が出回るようになっていたといいます。
フィラティエフ氏の日記から
2月20日ごろ
“全員荷物をまとめて移動するよう命令が下った。行き先のわからない行軍にかり出された。「ウクライナを攻撃して、キエフ(キーウ)を3日で制圧するんだ」と冗談で言う人もいたが、笑えなかった。「もしそうなっても3日で制圧なんかできない」と言い返した”
2月23日
“師団長が来て、翌日から日給が69ドルになると告げた。当時のレートで月給20万ルーブル以上で、プラス基本給。重大なことが起きる明らかな兆候だった。大騒ぎになり、「ヘルソンを急襲する」といううわさも流れたが、妄想にしか思えなかった。あすどうなるかは誰にもわからない。長いこと圏外でインターネットも使えなかった”
何も知らずに、軍事侵攻は始まった
2月24日
“おそらく2時ごろ目が覚めた。エンジンを止め、ライトを消し、全員が敵味方を見分ける白い腕章を巻くよう指示が来た”
“朝4時ごろ、目を開けるとゴロゴロ、ドーンと地面の振動を感じ、火薬の刺激臭が漂っている”
“何が起きているのか全くわからなかった。ウクライナ人に向かって射撃しているのか?それともNATOか?”
“とにかく何かしらの計画はあるんだ。軍隊は質問できる相手がいないようにできていて、指揮命令はその場で段階的に出されるようだ。誰も何も説明してくれない”

何も告げられないまま始まった軍事侵攻。
ヘリコプターが飛び交い、戦車が走り回り、爆発音が聞こえる、まさに前線のまっただ中にかり出されていたといいます。
進軍しては戦闘を繰り返す中、徐々に状況を把握していったフィラティエフ氏。ロシア軍の統率がとれていない状況を目の当たりにしました。
手記にはその時のとまどいも記されていました。
“命令はヘルソンに向かってドニエプル(ドニプロ)川にかかる橋を押さえろというものだった。ウクライナを攻めていることがわかった”
“ひらけた野原の真ん中に30分も立っていたら、理想的な標的だ。敵に気づかれたらおしまいだ”
“僕たちの上を戦闘機が低空飛行していった。どこの所属か誰にもわからなかった。司令部とは連絡がつかない”
2月25日
“朝5時に全員起こされた。無防備な陣地なのに、夜中に誰も砲撃してこなかったのは驚きだった”
“負傷した兵士がずっと寒いと言っていたので、寝袋をかけてやった。後にこの男は死んだと聞いた。アメリカ映画みたいな思いやりのある看護師のいる病院には収容してやれず、ブレーキがないウラル(トラック)に積んだ地雷の箱に載せて、敵陣までずっと走った”
“午後4時ごろ、隊列は森の中で止まった。すぐに砲撃に備えるよう命じられた。車両は燃料が切れかけていて、通信にも問題があるという”
“話しかけた兵士の旅団では50人が生き残ったという。あとはおそらく死んでしまった”
2月26日
“ロシアの装備品が大量に現れた。ほとんどが歩兵戦闘車やトラックで、移動中に壊れて放棄されていた”
“ドニエプル(ドニプロ)川を渡ると、何体か死体があるのに気づいたが、どちらのものかはわからなかった。そこで戦闘があったようだった”
2月27日
爆発音がして車両が燃える。
“目の前の人に「何が起きているのか」と尋ねるが、誰も何もわかっていない。爆発が繰り返される。若い中尉(上官)も何が起きているのかわからないまま、「迫撃砲を準備しろ」と命令する”
2月28日
“数時間後、われわれは撤退命令を受け、ヘルソン襲撃に向けて荷物をまとめ始めた。なんとも言えない感覚だった。疲れが口をついて出たのか、全体像が見えないのか、誰も本当に何も知らない、聞く人もいない、すべてがぎりぎりになってしまう”
極限状態 略奪に走る兵士たち
侵攻から6日目。フィラティエフ氏は自軍の兵士たちの略奪を目撃しました。そしてみずからも加わったことを記していました。

3月1日
“ヘルソンの港に着いた。先行部隊がすでに掌握していた。皆が疲れた様子で、暴れ始めた。僕たちは建物に押し入って食べ物、水、シャワー、そして寝る場所を探した。
誰かがコンピューターや貴重品を奪い始めた。僕も例外ではなく、敷地内の壊れたトラックで帽子を見つけて拾った。
建物を歩いているとテレビがある部屋を見つけた。何人も座ってニュースを見ていた。
シャンパンを見つけたらしく僕も冷たいシャンパンを見て何口か飲んだ”
“調理室と冷蔵庫付きの食堂があった。シリアルやオートミール、ジャム、蜂蜜、コーヒー。全部ひっくり返して、見つけた物を何でも食べた。僕たちは極限まで追い詰められていた。
多くの人は1か月野宿でシャワーもまともな食料もなかったあげく、休む間もなく戦争にかり出されていた“
下がりきった士気 みずからを撃つ兵士も
進軍の行き詰まり。そして、著しい士気の低下。ロシア軍の内実がそこにありました。
“塹壕に隠れ、ウクライナ軍と砲撃を交わし、ロシアの航空部隊の姿はない。陣地を守るだけだ。ひげと泥まみれで、制服も靴も使い物にならなくなった”
“みずからの手足を撃ち、300万ルーブルをもらってこの地獄から抜け出そうとする兵士も出てきた”

戦線離脱 決めた“覚悟”
フィラティエフ氏は4月、砲撃で目に土が入り、失明しかねない状態になったことから、治療のため戦線を離れました。
“こんなくだらないもののために、命と健康を捧げた人たちが気の毒だ。なんのために、誰のためなのか、はっきりしない。国の指導者、軍の上層部にとって私たちは人間ではなく、家畜と同じだということをあらゆる面で証明していた”
“まだ人々が互いを滅ぼそうとしているという事実、そして毎日、相手への憎しみをますます生み出しているという事実の苦しさを手放すことができないでいる”
“僕はほかの人たちと違って生き残った。良心が、僕にこの狂乱を止めようとしなければならないと言っている”
亡命求めフランスへ 取材に語った
フィラティエフ氏は手記の発表後、ロシア当局による拘束を避けるため各地を転々としたあと、8月30日、人権活動家の支援によりフランスに入国しました。
9月上旬、滞在先のパリで、NHKのインタビューに応じてくれました。

Q. 事実を広く知ってもらうことにどんな意義を感じていますか?侵攻を終わらせることに役立つと思いますか?
A.
ロシアの人たちのほとんどがウクライナで起きていることを知りません。まずロシア国内で問題を提起し、影響を与えたかった。
ロシアのテレビは関心を持ちませんが、兵士になってウクライナに行こうとしている人が手記を読んで、10人か100人かわかりませんが、行くのをやめていると思います。戦争を止めるのに小さな役割を果たすかもしれません。
私が参加したのは最初の2か月だけで、まだ双方の死者は少なかった。戦争が長引くほど、いずれも残酷になり、復しゅう心が強くなってしまっていると感じます。
Q. 公表したことで怖い思いはしましたか?
A.
情報機関との間で問題がありました。読んだ人からも「よくやった、支援する、でもとにかく出国してくれ」という反応がありました。
ロシアでは真実を話すのは大変で恐ろしいことです。ソビエト時代でさえ、言論の自由はもっとあったと思います。僕たちは間違った方向に進んでいます。
Q. 国の指導層のことをどう思いますか?
A.
まったく現実離れしていて、完全に国民と切り離されています。自国民の暮らしをわかっていないし、問題を認識していません。全く違う世界に住んでいます。
Q. ロシアに帰国したいですか?
A.
今後のことはまだわかりませんが、何かを変えていくよう努めます。
ロシアには必ず帰るつもりです。すべていい方向に変わっていくと信じています。どの国とも友好関係を築き、どの国をも脅かさないような国になるはず。
甘い考えだと思われるかもしれませんが、そう信じています。
みんな、目を覚まして
命がけともいえる覚悟でロシア兵たちが置かれた内実を国際社会に訴えたフィラティエフ氏。いまだ終わりの見えない“プーチンの戦争”。手記の中でこう呼びかけていました。
“今こそ僕たちは真実を語らなければならない。真実とは、ロシアとウクライナの両国の大多数がお互いを殺すことを望んでいないということだ。”
“さあ、みんな、目を覚まして”