2022年10月7日
トルコ ロシア

 “戦争”が他人事ではなくなった トルコに逃れたロシア人の告白

「私たちは2月に始まった“戦争”を追認してしまった」

地中海に面するリゾート地・トルコ南部のアンタルヤにはいま、プーチン大統領による動員の招集を逃れようと、多くのロシア人の姿が。

国外に逃れたロシアの人たちに、その思いを聞きました。

(イスタンブール支局長・佐野圭崇)

ロシア人大挙するトルコの観光地では

9月29日。

トルコ南部のリゾート地アンタルヤの国際空港は、もう夏も終わるというのに大勢の人でごった返していました。

その多くはロシアから。彼らの顔にバカンスの高揚感はありません。

欧米各国がロシアからの航空便の受け入れを停止する中、トルコは今も往来が続く国の1つです。

ロシア人は短期滞在であればビザは必要ありません。

アンタルヤはロシア人からも人気が高い観光地で、トルコ航空だけでモスクワからの直行便は1日14便ありました。

それでも今月21日に部分的な動員が発表されたあとは、連日、満席となっていました。

モスクワから来たという23歳の大学生、ウラジーミルさん。

出国前のモスクワの様子について「多くの若者が不安を感じながら暮らしている」と話しました。

「若い男性は身を隠すように暮らしています。
当局が18歳から28歳の兵役につくような男性を見張っているからです」

「トルコに来たのは部分的動員が原因?」

「そうです。私は学生ですが、兵役についたことがあり戦場に送られるかもしれません。

ロシアの占領地で戦闘が起きれば、動員はより現実のものになります。

私は人を殺したくないんです」

 

 

いつロシアに戻れるのか、いまは全くわからないというウラジーミルさん。わずかな手荷物を持って、街へと向かいました。

次に話を聞いたのは19歳の大学生、ガムザさん。

「プーチン大統領は特別軍事作戦に学生を招集しないと言ったので心配していない。すべてのロシア人が逃げているわけではありません。モスクワの空港だっていつも通り、静かでしたよ」

「自分は休暇でアンタルヤに来ただけ。この時期にロシアを離れる人を一様に“逃げた”とは言わないでほしい」と話すガムザさん。

ただ「学生も動員されることになったらどうしますか?」と尋ねると、しばらく沈黙したあと「考えたこともなかった。いまは答えを持ち合わせていません。私は中立の立場です」と慎重に言葉を選びながら、そう答えてくれました。

“知恵”を使ってロシアを出国した人も

「兄弟同然」といういとことの再会を喜んでいたのはセミョン・ベラコフさん(23)。

第三国を経由してトルコに来ました。

空港でいとこと抱擁を交わすベラコフさん

まずロシアの隣国ベラルーシに向かい、そこからトルコを目指したベラコフさん。

ロシアから出国するときが最も緊張した瞬間だったと振り返りました。

「22日にバスでモスクワからベラルーシの首都ミンスクに向かいました。

 出国審査で係官に『なぜ軍隊に行かないのか』、『いつ戻るのか』などしつこく聞かれました。

 ふだんは『出国の目的は?』『観光です』というやりとりだけなのに。

 当局が神経質になっているようで、私もストレスを感じました」

このときベラコフさんは「銀行口座をつくるためにベラルーシに行く」と説明した上で、帰りのバスのチケットを見せることで無事、出国審査を切り抜けたといいます。

「ロシアに戻る予定もないのに、なぜ帰りのチケットを?」と疑問をぶつけるとスマートフォンを見せてくれました。

SNSのチャットグループ、その名も「国境のチェックポイントに関するチャット」。

チャットではさまざまな出国審査の“傾向と対策”が共有されていて、あらかじめ頭に入れていたといいます。

その1つが「帰りのチケットを買って係官に見せることで出国審査を通過できる」というノウハウでした。

このグループチャットに参加しているのは実に6万人。

トルコだけでなく、国別に必要な情報を共有するグループもできていました。

本当の“表現の自由”は出国してから

アンタルヤに到着して2日目というイーゴリ・フィリモノフさん(32)は、自分のスマートフォンに、ある写真を忍ばせました。

「戦争反対」と書かれたプラカードを手に硬い表情を浮かべるフィリモノフさん。

ロシアの反体制派の指導者で服役中のナワリヌイ氏の解放を求める文言も書き添えました。

「私が住んでいたのは小さな町です。

 これまで抗議デモは1度もありませんでした。

 ただ、プーチン大統領の発表を聞いて“沈黙の時は終わった”と思いました。

 怖がるのをやめて声をあげなくてはいけないと」

記者と話すフィリモノフさん

抗議デモに参加したのは動員令が発表された21日の夜。

フィリモノフさんは捕まりませんでしたが、各地で抗議デモをした人が当局に拘束されたというニュースを見て怖くなったといいます。

日付が変わった夜中の午前1時半、タクシーに飛び乗り、およそ400キロ離れたカザフスタンとの国境に向かいました。

ロシアで写真をSNSで公開したら国境で拘束されるかもしれないと考えたフィリモノフさん。

無事カザフスタンに入国してから写真を公開。するとすぐに反応が寄せられたといいます。

「勇気をもらったという人や応援してくれる人もいました。

 ただ口汚くののしる人もいました。

 その中に警察官がいるかもしれないと考えると

 カザフスタンも安全ではないと思ったのです」

旧ソビエトの構成国であるカザフスタンで捕まれば、ロシアに強制送還されるかもしれない。

フィリモノフさんは不安を抑えきれず、すぐさまトルコ行きのチケットを買いました。

ロシア人の中に戦争を支持している人がいることに絶望を感じながらも、フィリモノフさんはあくまでも戦争には反対だと言います。

「戦争を支持する人は1つの情報源しか信用しません。

 政府のプロパガンダをうのみにしているのです。

 私はウクライナで民間人を殺している政府を認めません。

 ロシアは侵略者です」

できることなら離れたくなかった

帰りのチケットを見せて出国審査を乗り切ったベラコフさん。

アンタルヤにあるいとこの家に着くと少し落ち着いた様子で質問に応えてくれました。

いとこと話すベラコフさん

「私はロシアという国を愛しています。 

 モスクワは素晴らしい都市で、できることなら離れたくなかったです。

 今回の動員令はロシアを離れる決定打でした。

 動員される人に明確な基準がないことが問題です。

 すでに友人やその家族に招集がかかっています」

モスクワに残る18歳の弟が徴兵され、戦地に送られないか気がかりだと話すベラコフさん。

それでも、取材中、笑顔を見せることも多く、その理由を尋ねると。

「状況は確かに前向きではありません。

 ただ、悪いことだけに目を向けたら生きていけません。

 少しでも前向きに過ごすことが一種の防御反応なんです」

そう応えたあと、ベラコフさんの表情が曇りました。

ベラコフさん

「2月に始まった“戦争”を私たちが追認してしまったことでこれまでの日常というものは消えてなくなってしまいました。

 軍事侵攻がはじまって1週間、仕事が手につかず、ベッドの上で反戦を訴える人たちのインタビューをただ見つめていました。

 意思のないロシア人たちがこの状況を作ってしまった。

 恐ろしいことだと思います」

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から7か月。

プーチン大統領による「予備役の部分的な動員」の発表で、これまでどこか、ひと事にしていた“プーチンの戦争”をようやく“自分たちの戦争”として向き合わざるを得なくなった人たちの姿がありました。

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