「ありがとうございます!」
17歳の川村選手はいわゆる今どきの高校生。
初めて取材に行ったときも練習の合間には、チームメートとTikTokに投稿するダンスを撮影していました。
ウォータープールの練習中には自分の好きな音楽をかけて気分を盛り上げます。
部屋にはたこのぬいぐるみが置いてあったり、いたるところで女子高生らしさがかいま見えます。
どんな時でも相手に好印象を与える気持ちのよいあいさつを欠かさない、礼儀正しい高校2年生です。
「おはようございます」
「ありがとうございます」
「よろしくお願いします」
練習では1本滑るごとに映像でフォームをチェックし、コーチにアドバイスをもらう、そのたびに何度もお礼を言って雪上へ。そうした姿が自然と人を引きつけます。
強さの秘密は
こぶが連なる200メートル以上の斜面を滑り降りるモーグルは、「ターン」が得点の6割を占めます。
川村選手の強みは、その得点の大半を占めるターン。上半身がぶれず、フィニッシュまで安定した姿勢を保つことができます。
そのターンは小学生から中学生にかけて繰り返し行っていた男子選手の後ろについて滑り、ターンの軌道を体で覚える練習で培ってきました。
当時、指導していた白鳥貴章さん
「あんりはしつこいので。人より何本も多く練習する。降りて、板を勝手に外して上がっての繰り返しだった。男子のような技術で滑れれば絶対に世界のトップにいけると思った。女子で男子並みの技術を身につけるには男子のあとを滑らせようと」
子どものころからの多くの練習量で培ったターンは、世界の舞台でも結果につながっていきました。
中学3年生の時、初めて出場したワールドカップでいきなり2位に入り、一躍、モーグル界のニューヒロインとして注目を集めました。
磨いた“ハイブリッドターン”
川村選手はさらなる高みを目指して昨シーズン、大きな決断をしました。
それは、板を縦に向け直線的にこぶに向かう「カービングターン」の習得でした。
このターンはコブから受ける衝撃が大きく体がブレやすくなります。安定して滑ることが難しく、女子選手で滑れる選手はほとんどいないと言われます。
カービングターンの名手で、男子のエース、堀島行真選手と練習する機会があれば、幼いころのように堀島選手の後ろを滑って、その軌道を体に覚え込ませようとしました。
川村あんり選手
「今までやってきたものとは180度違うような。新しいことをどんどん取り入れてチャレンジできないと勝てないなという風に思っていて、今持っているものを捨てるというか、1回、忘れる勇気が必要だなという風に思った」
川村選手は、カービングターンの習得に取り組みつつ、初めて出場するオリンピックで勝つためのターンを模索しました。
それが、これまでの「スライドターン7割」と「カービングターン3割」という割合で作られた「ハイブリッドターン」です。
川村あんり選手
「カービングターンができるように取り組んでいること、今、私ができるターンをさらによくしてくれる。今すごくいいバランスが取れていいターンができている」
この「ハイブリッドターン」で今シーズンのワールドカップで大きく飛躍した川村選手は、初優勝を果たし、オリンピックまでに3勝を挙げて個人総合トップにも立ちました。
メダル候補として 重圧と戦ったオリンピック
ワールドカップでの強さの証し、「1」のビブスを着用して臨むことになった北京オリンピック。金メダル候補に名を連ね、北京に入ってからは、日に日に期待が高まりました。
現地での公式トレーニングの日、会場を訪れると川村選手が遠くから大きく手を振ってくれました。
いつもの笑顔のように見えた川村選手ですが、この時、実は“金メダル候補”としての重圧と戦っていました。
3日の予選は日本勢トップの5位で準々決勝進出を決めたものの、エアのミスが響き得点を伸ばすことができませんでした。
川村あんり選手
「最後のワールドカップからすごいプレッシャーを感じていて、つらいときが多かった」
夢の舞台で見せた“諦めない姿”
プレッシャーだけでなく、憧れ続けてきた大舞台に立てている幸せも感じながら迎えた決勝。
川村選手は作り上げてきたターンを見せることができましたが、メダルには届きませんでした。
川村あんり選手
「最後の1本はプレッシャーとかはあんまり気にせず、自分が頑張ってきたものを見せられたのかな」
それでも大粒の涙があふれ出ました。
川村あんり選手
「本当にここに来られてよかったなという、うれしい涙でもあるし、やっぱりメダルを取りたいなと思っていたのが達成できなくて悔しい気持ち。メダルは取れなかったが、最後まで諦めずに頑張って滑る姿はお伝えできたかな」
そして最後にー。
川村あんり選手
「これからもモーグル全体で頑張っていきますのでよろしくお願いします。寒い中、ありがとうございました」
大一番で敗れた直後のインタビュー。
悔しさや気持ちの落ち込みようは大きかったはずですが、17歳の川村選手が発したのは、どんなときでも相手を気遣うことができる人間性がかいま見えた彼女らしい言葉でした。