ただスポーツをやるだけがアスリートなのか、自問自答を続けていた

三宅諒

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2020年4月、三宅諒は深い悩みの中にあった。 2012年のロンドンオリンピック、男子フルーレ団体で銀メダルを獲得した29歳が、20年以上に及ぶ競技生活で初めて抱いた思いだった。 新型コロナウイルスの感染拡大で目指していた東京オリンピックは延期。緊急事態宣言が出され、大会への出場はもとより、剣を持って練習することすらままならなかった。 三宅は自問自答を続けていた。

「オリンピックって今、この状況で必要なのか。いったいスポーツ選手って何だろう、いったい僕って何なんだろう」

それまで「まるで神様のように」無条件に信じていた、オリンピック、そしてスポーツの価値が揺らぐ中で、三宅は一つ決断をする。それはスポンサーとの契約を「保留」することだった。 海外遠征を繰り返す三宅が競技のために負担する額は、年間300万円近くに及ぶ。そのほとんどをまかなってくれていたスポンサーからの支援の受け取りをいったん辞めることにしたのだ。

「『いつ試合があるかわかりません。どのようにオリンピックの選手を決めるかわかりません。ですが、2021年に向けて頑張りますので、応援してください』というのが、どうしても言えなかった」

4月末、三宅は行動を起こす。みずから活動資金を稼ぐため、配達代行サービスのアルバイトを始めたのだ。

「何か一つでも、1円でもいいからその夢のために進んでいるっていう実感が欲しかった」

1日数時間働いて、得られるお金は数千円に過ぎないが、その一歩は三宅の心を奮い立たせた。 さらに三宅は、自分の抱いた疑問を社会にも問いかけていく。SNSで自分の悩みを定期的に発信。動画投稿サイトにも自分のチャンネルを作り、「社会におけるアスリートの価値」について元オリンピアンやジャーナリストと話し合った。三宅自身も、「これが答えになっているかわからない」というがむしゃらな模索。その姿勢が、多くの共感を呼んだ。国内のみならず、海外のメディアからも注目を集め、三宅を励ます声も数多く寄せられた。

「『オリンピックに出たい』って思っていいんだってわかった。それがアスリートとしてのスタート地点なんだと思う。それを自分の中で見出すための作業だった」

7月20日。三宅は支援を保留していたスポンサー企業のもとを訪れた。今、自分はオリンピックを目指すことに迷いはない。その決意を伝えた。三宅の行動を、社長も見ていた。
「感心しましたよ。僕らに何か言うわけではなく、自分の行動で、メディアも巻き込んで、機会を生み出している」
企業側はこの場で契約延長を決定し、来年の東京オリンピックまでの支援を約束。三宅も晴れやかな笑顔を見せた。

「アスリートとして社会に何を還元できるかというのは、自分が活動を続けていかないと見つけられないかなと思う。社会に応援してもらって、一緒に夢を目指してもらえるようなアスリートになりたい」

新型コロナウイルスで存在基盤を揺るがされているスポーツ。初めて直面する困難の中で、悩み、苦しみ、自分に問いかけ続けながら、三宅は再びオリンピックの舞台に立つことを目指していく。

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