苦難を乗り越えることができればその先に必ず大きな幸せが待っている

阿部翔人

野球

東日本大震災から1年後の2012年春のセンバツ。
選手宣誓の大役を務めたのは21世紀枠で出場した宮城県の石巻工業高校の主将、阿部翔人だった。

「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは、苦しくてつらいことです。
しかし、日本が1つになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています」

石巻工業では震災による津波で校舎の1階が浸水。野球道具はほとんど流されたうえ、グラウンドは泥で埋め尽くされた。それでも選手たちは、ボランティアの力も借りて泥をかきだし、40日後に練習を再開。全国から贈られたボールやバットなどを修理しながら練習を続け、初めての甲子園につなげた。
選手宣誓には、復興への強い思いと野球ができることへの感謝の気持ちを込めた。

「日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔。
見せましょう、日本の底力、絆を。
我々、高校球児ができること。それは、全力で戦い抜き、最後まで諦めないことです。
今、野球ができることに感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います」

困難を乗り越え夢を叶えたセンバツから8年。
阿部は関東の大学を卒業後、地元に戻り、もうひとつの夢だった教職員の道を歩んでいる。
石巻市内の高校で非常勤講師として働き、野球部でコーチも務める。
2020年、新型コロナウイルスの影響で春のセンバツは中止に。全国で春の県大会も相次いで中止となり、夏の大会も見通しが立たない状況が続く。
今、生徒や選手たちが抱える不安は、あの時の自分たちの比でないと阿部は感じている。

「目標があるからこそ頑張れると思うが、今の子どもたちはその目標が見えない。
今の状況に答えが見つからない」

それでも阿部は、こんな状況だからこそ目標を掲げることの大切さを伝えたいと言う。

「将来自分の歩みを振り返った時に、精一杯頑張れたと思えることがあるかないか。
それがこの先の人生の糧となると思う。
僕が甲子園に出て学んだことや震災を経て学んだことを生徒や選手にしっかりと伝えていきたい」

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