試合に戻るという前例のないものに対するモチベーションが高くなった

中村憲剛

サッカー

2020年11月1日。今シーズンかぎりでの現役引退を表明した中村憲剛の表情は晴れやかだった。

「いつかこの言葉(引退)を言う日が来ると思っていた。正直ホッとしているし、スッキリしている」

40歳で現役を引退することは、5年前に決めていた。

「35歳の誕生日を迎えたときに妻と話して、40歳で区切りをつけると決めた。残り5年、1年1年を勝負しようとここまでやってきた」

そのことばどおり36歳の2016年にはJリーグ最優秀選手に選ばれた。続く2017年にはJ1で悲願のリーグ初制覇。翌年に2連覇を達成すると、2019年にはJリーグカップ初優勝を果たした。

「それまでの苦労がうそのようにタイトルが手に入った」

しかし、最後のシーズンを迎える前に、訪れた試練。2019年11月2日、試合中のプレーで左ひざを負傷。前十字じん帯損傷などで全治7か月という大けがだった。
「サポーターに復帰した姿を必ず見せて引退する」という一心で300日に及んだ苦しいリハビリを乗り越えた。

「39歳でけがをしてリハビリに耐え、試合に戻るという前例のないものに対するモチベーションが高くなった。ただ試合に戻るだけでなく、チームの勝利に貢献する」

2020年8月、およそ10か月ぶりにホーム、等々力競技場のピッチに戻った中村は、復帰戦でゴールを決めた。さらに40歳の誕生日を迎えた10月31日にも等々力で先発出場。いったん同点に追いつかれた後に決勝ゴールを決め、チームを12連勝に導いた。

「等々力には神様がいる。誰かが何かを操作しているんじゃないかというくらいの出来事が起きすぎてびっくり。自分のことなのに信じられない」

引退の会見でインタビュアーを務めたフロンターレの先輩、中西哲生氏が鬼木監督から「引退を考え直すよう説得してくれ」と頼まれたことを伝えると、中村は自身の引き際についてほおを緩ませてこう言った。

「オニさん(鬼木監督)のコメントが俺にとってはいちばんの賛辞。この年齢でこれだけ乞われる、求められる選手のまま、引退したいというのが自分の中であった」

会見の最後のことば。海外に移籍する選手が増える中、フロンターレ一筋でプレーし、18年もの長い間、Jリーグの第一線で活躍を続けてきた男のプライドを感じた。

「けがをしたときに、ほかのチームのサポーターからもたくさんコメントをもらい、なんて幸せ者なんだと感じた。これだけ温かいリーグは、世界を見渡してもない、誇れることだと思う。フロンターレ、Jリーグに育ててもらい、サポーターに支えてもらってここまで来ることができた。ありがとうございました」

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