自分の弱さや甘さと今まで以上に向き合っていかなければならない

山西利和

陸上

東京オリンピックの「金メダル候補」と言われた選手の中でも、陸上男子20キロ競歩の山西利和は「有力」の2文字がつくほど国内外から実力を認められていた。
直近となる2年前の世界選手権で優勝、世界ランキングも1位だった。みずからも「金」を公言して本番のレースに臨んだ。
しかし、結果は「銅」だった。

レース直後の取材で聞いた。
「このメダルは、悔しいメダルか?」
感情を表に出すことがふだんは少ない山西。この時は違った。

「そうですね、悔しいというか…まあ、悔しいですね。はい、悔しいです」

猛暑を避ける目的で会場を東京から札幌に移したレース。にもかかわらず、スタート時間、夕方4時半の時点の気温は30度を超えていた。多くの関係者にとって「予想外」だった札幌の暑さ。
ただ、この点に関して山西はいたって冷静だった。

「オリンピックのレースはたぶん、大体どこでもこんなもの。選手は与えられたコンディションの中でどう戦うのかを考えるべきで、札幌の気温や湿度が格段、特別なものではなかったと思う」

思いどおりでなかったのは、最も大切な自分自身のレースの進め方だった。山西の発言を振り返ると、この日のレースを予感させるようなことばを発していた。
半年近く前、神戸市で行われた日本選手権で優勝したあとの会見だった。

「オリンピックでの金メダルという目標は変わらないのでベースアップを図り、最後の勝負どころで勝ちきれる勝負強さをつけていかなければならない」

最後の勝負どころでの勝負強さ。
結果的に、初めてのオリンピックでは、これが欠けていた。
「そこで行く」と決めていた17キロすぎ、先頭集団にいた山西はスパートを仕掛けた。ただ、ほかの選手を一気に引き離すほどのスピードはなかった。日本の池田とイタリアのスタノがついてきた。

「そこで決めきれなかった。それまでの“ムダ”が多かった。勝てると想定していた自分の甘さだと思う」

そのまま1キロほど並んで歩いたが、逆に2人から後れを取った。それまでの“ムダ”とは何なのか。
レースは序盤、4キロ手前で中国の選手とインドの選手が前に出て、山西たちは3位集団で追う展開となった。その後、12キロすぎで中国の選手に追いつき再び先頭が集団になったが、このときのことを指している。

「(3位集団から)行くなら行く、追うなら追う、追わないなら追わない。その判断があまりにも中途半端だった」

どんなレース展開にも冷静に対応してきた山西らしくない姿だった。序盤から中盤にかけて生じたこうした「迷い」が、知らず知らずのうちに、終盤に必要な体力や精神力を奪っていったのだろう。

世界チャンピオンとして臨んだオリンピック。「打倒・山西」で向かってきた世界からのプレッシャーはなかったのか。そんな見方は否定した。

「特にそこまで感じたものはなかった。それよりも、きょうは自分の立ち回りが悪すぎた」

敗因は、周囲にはなく、あくまで自分。「準備の段階で何かしら甘さや至らないところがあった」と、ひたすらに、かたくなに、みずからの責任という姿勢を貫いた。
翌日、山西は東京の国立競技場で行われたメダリストの表彰式。悔しさはまだ残っていた。

「できることなら表彰台の真ん中に立ちたかったという思いがいちばん強い」

そして一夜明けても「自分」を見つめていた。

「本当にまた次を考えるのであれば、今回見つかった自分の弱さとか甘さというところと今まで以上に向き合っていかなければならないと思っている」

雪辱を期す3年後のパリへ、自分自身と徹底的に向き合った先に頂点は確かに見えるだろう。

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