
平等に競技ができる機会のために主張し続ける
北京パラリンピックのスノーボードで金と銅の2つのメダルを獲得したブレナ・ハッカビー。小さいころから体操に打ち込んでいたハッカビーは15歳のときに骨肉腫が見つかり、右足の太ももから下を切断した。
「夢も希望もなくなり自分が何者なのかわからなくなった」
ハッカビーが17歳の時に出会ったのがスノーボードだった。
初めて出場した2018年のピョンチャンパラリンピックでは2つの金メダルを獲得。その後、2児の母となっても子育てとトレーニングを両立し、パラリンピック2大会連続の金メダル獲得を目指してきた。

しかし、その前に立ちはだかったのが障害の“クラス分け”という壁だった。
北京パラリンピックでは出場する選手が少ないため、これまで出場していた「障害が重いクラス」がなくなり出場が認められなかったのだ。
それでもハッカビーは諦めなかった。

大会出場を求めて裁判に訴えるなどの行動に出た結果、自分よりも障害の程度が軽い選手たちと同じクラスであればパラリンピックへの出場が認められた。
「膝上切断という大きな不利がある。でもレースに出場できない選択の方が私にとってはダメージが大きい。出場しないか、不利な状況でも出場するかのどちらかだったが、自分に何ができるか世界に示そうと思った」
迎えた北京パラリンピックの最初の種目、スノーボードクロス。
ほかの選手との接触がありながら最後まで諦めない滑りで銅メダルを獲得した。
逆境を乗り越えて手にした銅メダルは、ハッカビーにとってこれまでのどのメダルよりも重みがあったという。

「メダルを取るために戦い抜いた自分自身を誇りに思う。この銅メダルはこれまで私が獲得したどの金メダルよりも大きな意味を持つ」
そして、2種目目のバンクドスラロームでは2回目に会心の滑りを見せて逆転の金メダルを手にした。それでもハッカビーは手放しでは喜ばなかった。
「ここで最高の選手たちと一緒にレースができるのは、とても光栄なことだが、大会が終わったら本来の障害が重いクラスに戻りたい。私は平等に競技ができる機会のために主張し続ける」
2大会連続の金メダリストとなったハッカビーは、パラスノーボードという競技をさらに発展させていくために新たな覚悟を誓った。
