商品価値があり この世界にいられるのであれば、いちから頑張りたい

新谷仁美

陸上

東京オリンピックの陸上女子10000mで新谷仁美は、常に追い求めてきた「結果」を残すことができなかった。
トラックを25周するレースの3周目ですでに集団の後方に位置することになり、5周を終えた2000mの時点では先頭集団から10秒近く離されてしまった。先頭でレースを引っ張るいつもの新谷らしい姿がまったく見られなかった。この種目の日本記録保持者は完走した24人中21位。惨敗だった。

取材エリアに現れた新谷。その目から次から次へと涙があふれてきた。口を覆っていたマスクを引き上げて顔全体を覆った。
不本意な結果の要因について聞いても、ただただ「力不足だった」というだけ、「ふだんの行動を含めてただの力不足だったというのを痛感した」と「力不足」ということばを繰り返した。

新谷にとってはロンドン大会以来2回目のオリンピック。この間、一度は引退し会社員も経験した。復帰後は、パフォーマンスはもちろん、その歯にきぬ着せぬ発言にも注目が集まった。
東京大会の代表には2020年12月に内定。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて大会を開催するべきか、中止や延期をするべきか、賛否が分かれる中でも発言をやめなかった。

「アスリートとしては賛成だが、一国民としては反対」
「アスリートが活躍する場所を作り出してくれるのは国民。その理解が得られなければ大会を開催しなくてもいいのではないか」

大会直前になっても収まらない中止や延期の声。代表の「辞退」さえ考えるほど、新谷の「心」は追い込まれていった。最終的に翻意して出場を決めたが、精神面のコンディションが十分と言えないことは明白だった。
この舞台に立って何を感じたのか。

「私はやっぱり五輪も含めて試合が怖い。楽しめるほどの余裕はない」

スタートラインに立つ時にいつも彼女を襲う「恐怖」。今回も同じだった。「だけど…」と続けた。

「改めて思ったのは、私たちアスリートは応援してくれる人、そして、そうではない人たちにも生かされているということをつくづく感じた」

声援を送ってくれる人たちはもちろんのこと、所属先やスポンサーとなる企業からの資金面の支援がなければトップアスリートであり続けることは難しい。だから「結果」を残すことで支援に応えるという思いに一切のブレはない。
ただ、今回はその結果を出せなかった。だから涙が止まらなかった。
それでもいるはずだ。そのひたむきな走りを見て、どんな結果でも心を動かされる人たちが。記者がそう水を向けると、新谷は答えた。

「私に商品価値があり、この世界にいられるのであれば、もう1回いちから頑張りたい」

「商品価値」という独特の表現に続けて、ようやく前向きなことばを発した。

「仕事で力を発揮する。しっかり1つ1つの試合をやっていかなければならない」

涙は流れ続けた。ただ、日頃から強く持ってきた「プロ意識」が失われた様子は一切なかった。

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