アスリート×ことば

悔しいが、自分の冒険はここまで

悔しいが、自分の冒険はここまで

水谷隼 卓球

東京オリンピック、卓球のすべての試合が終わった翌日、水谷隼は現役引退の意向を表明した。開幕の1か月前、競技人生の集大成と位置づけていた東京オリンピックへの思いを水谷は話していた。

「オリンピックでのメダルがひとつの目標であり、夢であったが、リオデジャネイロオリンピックでそれを達成して、さらに上を目指したいという気持ちでこの5年間やってきた」

2008年の北京オリンピックで初出場、前回のリオデジャネイロ大会では日本のエースとして、男子団体で銀メダル、男子シングルスでは個人種目で日本選手初となる銅メダルをつかみ取った。

男子卓球界の第一人者として長年、日本チームを引っ張り続けてきた。
さらなる高みを目指した東京大会。
しかし、その舞台に立つことは容易ではなかった。この5年で14歳年下の張本智和が大きく成長し、エースの座を譲った。
ボールが見えにくくなるなど目の不調を感じていることを明らかにし、照明の影響を避けるため、サングラスをかけて試合に出場。おととしの1年間をかけて争った東京オリンピックの代表選考では思うような結果を残せず、シングルスの代表を逃した。

「心が折れてもおかしくなかった状況をずっと耐えた1年だった。なかなか競技と向き合えなかったし、卓球が嫌いになりそうだった」

それでも過去の実績などを買われたどりついた4回目のオリンピック。水谷は、伊藤美誠とペアを組んだ混合ダブルスの決勝で卓球王国・中国のペアをフルゲームの末に破って日本卓球界初の金メダルを獲得した。

「苦しい時期を耐え続けたからこそ、金メダルを取れたと思っている。本当に幸せな瞬間」

その後の男子団体では、銅メダルまであと1勝の試合を持ち前の勝負強さで勝ちきり、この種目で日本に2大会連続のメダルをもたらした。

その翌日、水谷は、目の不調を理由に現役引退の意向を表明した。

「目が完治するなら、40歳でも50歳でも卓球をやりたいと思っている。しかし、現状、今は治療法もない。悔しいが、自分の冒険はここまで」

目の不調と向き合いながら戦い抜いたこれまでの道のりを「冒険」と表現した水谷。日本男子卓球界の先頭を走り続けた32歳は、バトンを次の世代につないだ。

「東京オリンピックで張本のプレーを見ていて、頼れる後輩がいることはすごくうれしい。日本卓球界の男子はこの先も明るいと思う」