ここで粘らないと新たな自分は見つけられない

松田瑞生

陸上

2021年3月の名古屋ウィメンズマラソン。このレースは松田瑞生にとって特別なものだった。
1年前、オリンピック代表の残り1枠を決める最後のレースだったこの大会を、松田は大阪の自宅で見ていた。その2か月前にもう一つの選考レース、大阪国際女子マラソンで自己ベストを更新して優勝、この時点でオリンピックに最も近い選手だった。
しかし、松田の目に飛び込んできたのは一山麻緒の圧倒的な走り。国内最高タイムで優勝し、オリンピックの切符は松田の手からすり抜けていった。

「どん底に落ちた。大阪ですべてを出し切って代表を勝ち取ったと思った後に、それを上回る記録だったので負けたと思ったし、心にぐさぐさときた」

走っていないのに、自らの完敗を実感することになった名古屋ウィメンズマラソン。松田は再起の舞台にこのレースを選んだ。すべてはレースで優勝し、去年の自分に勝つため。勝利の先に新しい自分がいる、そう信じたからだ。
スタートラインに立つまでの1年は、松田にとって地獄の日々だった。トラックのレースに出てもつきまとうのは、これまで感じたことがない感情。「また負けるのではないか、理由もなく怖いという感情が芽生えてきた」という。
打ち勝つには練習するしかない。松田は恐怖心を振り払うかのように走り込みを重ねた。その距離は1か月で1400キロ以上にのぼり、過去最高の練習を行った。

「あとは自分をどれだけ信じられるか」

そう心に誓ってスタートした名古屋ウィメンズマラソン。しかし、レースは風が強く、時折体が揺さぶられる厳しい条件だった。それでも松田は序盤から先頭集団を引っ張り、22kmすぎから独走に入った。得意のレース展開と思えたが、折り返し地点で異変を感じていた。

「向かい風が本当にきつくて、風にあおられないように下を向いて走っていたが、前に進んでいるという感覚が全くなかった」

風で体力を奪われ、30kmからはペースダウン。心が折れかけたとき自分に言い聞かせた言葉があった。

「ここで粘らないと新しい自分は見つけられない」

自分の練習を信じて苦しい終盤を持ちこたえ、35kmから40kmでは再びペースが上がった。2時間21分51秒の好タイムでぶっちぎりの優勝。実に1年2か月ぶりにつかんだ栄光だった。

それでも松田は、フィニッシュ直後にぼろぼろと悔し涙を流した。自己ベストをわずかに更新できなかったからだ。
復活を印象づけたレースで見せた悔し涙は、速く走るというマラソンランナーの渇望の表れだ。走る恐怖を乗り越え、粘って粘って走りきった新しい松田が再出発の力強い一歩を踏み出した。

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