今までで一番走った これでだめなら辞めてもいい

松田瑞生

陸上

2020年1月、大阪国際女子マラソンは、松田瑞生にとって東京オリンピックの切符をかけた最後のチャンスだった。その直前の取材で松田が話した。

「今までで一番走った。これでだめなら辞めてもいい」

この時24歳の松田にとっては、まだ4回目のレース。
そこまで追い詰められるのには理由があった。
優勝候補と言われながら臨んだ2019年9月のMGC。オリンピックの代表を選ぶ最初にして最大の選考レースで、松田はまさかの4位。2位までに与えられるオリンピックの切符を逃し、人目をはばからずに泣きじゃくった。

「MGCにすべてを懸けてきた。
だめだったから、はい、次とは切り替えられない」

失意のどん底で、引退も頭をよぎったという。
1か月ほど休みを取った松田。
再び戦う力を与えてくれたのは、いつも一緒に戦ってくれていた母、明美さんのことばだった。

「まだ再起不能になってないんやろ?
つぶれるくらいやって、日本記録を目指せ。つぶれたらその時に考えろ」

厳しいことばの裏にある励ましが嬉しかった。

「もう1回、とことんやろう」

地元で開催される大阪国際女子マラソンに照準を合わせた松田は、設定タイムの2時間22分22秒をはるかに超える2時間19分12秒の日本記録を目標に掲げた。
最後の追い込みの場となったアメリカ・アルバカーキでの高地合宿。
起伏の激しいコースでの長距離走や、トラックでのスピード練習で設定した距離やタイムは過去最高レベル、1か月間で実に1300キロを走り込んだ。
それもこれも「自信を持ってスタートラインに立つ」ため。
背中を押したのは母の「つぶれるくらいやって、日本記録を目指せ」ということばだった。
本番直前に語った「だめなら辞めてもいい」ということばは、自信の裏返しだったのかもしれない。

そして大阪国際女子マラソン。
レース序盤から日本記録に迫るペースで引っ張った松田は、設定タイムを大幅に切る2時間21分47秒の日本歴代6位の好タイムでフィニッシュ。オリンピックの代表に大きく前進した。

しかし3月8日の最後選考レース、名古屋ウィメンズマラソンの結果、松田は代表から落選。
一度はつかみかけた切符に手は届かなかった。
その4日後に開かれた代表内定選手の記者会見。補欠として会見に出席した松田は、今後の目標を問われると、涙をこらえることができなかった。

「正直なところまだ気持ちの整理がついていないので…
再スタートを切れるぐらい気持ちを戻して、体を整えてからまたチャレンジしたい」

名古屋ウィメンズマラソンのあと、松田は自身のツイッターに家族から「納得してんのか?ここで辞めるのは勿体ないんちゃうか?また挑戦しよや!美味しいもん食べよ!」と声をかけられたことを明かした。
そしてこう綴った。

「また笑顔をお見せできるよう頑張ります」

MGCの挫折を乗り越え、さらに強くなった松田。オリンピックにあと少し届かなかった悔しさを胸に松田が次にどんな走りを見せてくれるかが楽しみだ。

陸上