”命の守り手”が 命の危険にさらされる
多くの防災関係者が、災害が差し迫る過酷な状況の中、人知れず地域や住民を守ろうと努力しています。住宅地や農地の浸水を防ぐ「排水機場(はいすいきじょう)」も現場の1つ。佐賀県では大雨対応のさなか、排水機場の操作員が亡くなる痛ましい事故が起きています。「地域の守り手がなぜ…」取材を進めると、全国に潜むリスクが見えてきました。
(佐賀放送局 アナウンサー 竹野大輝/記者 渡邉千恵)
2022年に放送されたニュースの内容です
排水機場で起きた死亡事故
2021年8月。発達した雨雲が帯状に連なる「線状降水帯」が発生し記録的な大雨となる中、佐賀県にある排水機場で操作員のひとりが事故に遭いました。場内にある設備に巻き込まれて死亡したのです。
小城市の操作員、石井和夫さん(当時75歳)。
定年退職後、地元の区長や寺の総代など、地域のために精力的に活動しながら、10年ほど前から地域を浸水から守る排水機場の仕事を担っていました。
石井さんと同じ町内に住む長男に話を聞くことが出来ました。事故があった当日、被害が心配で実家の様子を見に行くと、休憩のため排水機場から一時帰宅した石井さんがいたそうです。
疲労した様子だったという石井さん…。再び排水機場に向かう前、長男が見た生前最後の姿となりました。
石井さんの長男
「もう疲れている、感じですかね。それだけです。排水機場に行って仕事しているというのは、ただ、ポンプを稼働している、それぐらいかなって思っていました。大雨のなか、2日も3日も寝る間も惜しんで地域のために働いて、突然あんなことになるなんて、納得できませんでした」
“水防の砦”排水機場
石井さんが事故に遭った「排水機場」とは、そもそもどのようなものなのか。
有明海に面し、広大な耕作地帯に恵まれた佐賀県。海抜が低く平らな土地は雨水が自然に排水されにくく、古くから繰り返し水害に遭ってきました。その浸水被害を軽減するために整備されているのが「排水機場」と呼ばれる水防施設です。
大雨の際には、施設内に設置された「排水ポンプ」を稼働。
大雨で溜まった雨水や小さな川からあふれた水など、行き場を失った水をくみ上げ、近くの大きな川へと放流することで周辺地域を浸水被害から守る役割があります。
こうした排水機場は、川に面した低い土地を中心に全国各地で整備されてきました。
国土交通省によると、国と都道府県管理の排水機場は、全国に865施設(2019年時点)。とりわけ低い土地が多い佐賀県にはこのうち117施設があり、都道府県別で最多です。このほか、市町村が管理する比較的小規模な施設も多くあり、排水機場は私たちの生活空間のすぐそばに存在しています。
”地域の守り手” 排水機場操作員
排水機場の要「排水ポンプ」を制御するのが、「操作員」と呼ばれる人たち。担い手は、一部を除いて排水機場のある自治体が確保することになっています。佐賀県では、市と町が地元住民や地元企業に声をかけ、年間数十万円の報酬で「業務委託」し、1施設あたり3人程度を配置しています。
仕事は「平常時」と「緊急時」で分かれます。
「平常時」は、毎月数回の設備点検や周辺の除草などの清掃です。
しかし大雨など「緊急時」になると、数時間以内に排水機場に出向き、決められた要領に従ってポンプを運転。 また、停電などの設備トラブルにも対応することになっています。
技術的な資格は必要ないものの、ポンプの稼働が必要な時に、「すぐに駆け付けられること」が担い手の条件。そのため佐賀県では、退職者や農業従事者など限られた層が務め、約6割が65歳以上の高齢者となっています。
事故に遭って亡くなった石井和夫さんもこの「操作員」でした。
長引く大雨…排水機場事故の状況は?
遺族の証言や国土交通省、小城市への取材をもとに、石井さんが事故に遭った当時の状況を振り返ります。
2021年8月11日。佐賀県では大雨が予想されていました。徐々に強まる雨のなか、石井さんは、家のすぐそばにある牛津江排水機場に向かいました。
排水機場には当時、石井さんを含め70代の操作員が3人いました。
複数ある排水ポンプを、制御盤のボタンで操作。川の水位や周囲の浸水状況に合わせて、稼働と停止を繰り返します。このため大雨の峠を越えるまでは、誰かが排水機場に滞在し続ける必要がありました。
石井さんが対応を始めたのは8月11日。その後も雨は続きます。
12日、13日と断続的に雨が強まり、ピークの14日には小城市にある国土交通省の観測所で、累積870ミリを超える記録的な雨量となりました。
石井さんたちは、長引く雨の間、ほとんど夜通しで作業にあたりました。
疲労はやがて限界となり、3人は風呂や食事のために交代で家に帰ることにしたということです。 こうしたなかで石井さんは事故に遭いました。対応を始めて4日目の14日の夜、1人で作業をしていた時でした。
屋外設備の「除塵機(じょじんき)」。石井さんは排水ポンプに入り込むゴミを取り除くこの設備に挟まれた状態で見つかりました。
目撃者がいないため事故の詳しい原因はわかっていませんが、地域を水害から守ろうという使命感のもと、この場所で石井さんが働いていたのは事実です。
石井さんは、この年のお盆に、孫たちと遊ぶことを心待ちにしていたそうです。
石井さんの長男
「本当に無口な父で。あの時、盆に、バーベキューするって言って。バーベキューコンロも準備をしていたみたいです。夫婦で旅行に出かけるとか、楽しみなことはまだまだたくさんあったと思います」
国土交通省によると、排水機場操作員の死亡事故が起きたのは、全国で初めてだということです。
―ほかの排水機場でも同様の危険があったのではないか?
佐賀県の排水機場で働く操作員の多くは、自治体を通じた委託契約で、雇用契約ではありません。原則、ケガなどがあっても労災には当たらず、報告するかどうかも自治体ごとに対応が異なります。これまでに危険があったのか、実際には詳しくわからないのが現状です。
私たちは現場の声を聞いてみることにしました。
操作員アンケート 業務に潜む危険は?
佐賀県内の排水機場の全操作員402人を対象にアンケートを実施(2022年4月)し、業務内容や感じている課題について尋ねました。その結果、6月までに約4割の156人から回答を得ました。
回答者の中に業務でケガを負ったという人はほとんどいませんでしたが、「長時間の拘束による疲労」を課題とする操作員は101人。そして、石井さんが事故にあった「除塵機に関する作業の危険性」は41人、「単独での作業」を挙げた人は39人いました。
石井さんも「単独」で「除塵機」における事故で亡くなっていて、事故の直前には「疲労」している姿を長男が目にしています。こうした事故が別の排水機場でも起こりかねないことを示していると思える結果でした。
「単独作業になる事もあり 事故が怖い」
「ここ数年は1⽇当たりの稼働時間も⻑くなり、⾁体的な負担が⼤きくなった」
アンケートで、操作員が吐露した思いです。近年、毎年のように大雨災害が相次ぐ中で、操作員業務の課題が顕在化しているように思いました。
課題をより深く知るため、私たちは、アンケートに答えてくれた操作員を訪ねることにしました。
寝る間ない操作員の「疲労」
小城市在住の武冨哲さん(77)。アンケートで「疲労」や「危険性」を訴えていました。公務員を退職したあと、市内の前満江排水機場で操作員となりました。
佐賀県を襲った2021年8月の大雨でも、5日にわたって排水ポンプを稼働しました。
武冨哲さん
「とにかく水害にならないように早めにポンプを回して水位を下げようと、即刻ポンプ場に向かって来ました。一旦止まったら取り返しがつきませんから、疲れていても休むことなどは絶対にできません」
アンケートでも連続滞在期間を武冨さんと同じ「5日間」と答えた人が31人いました。中には、1週間以上の滞在をした人もいて、多くの操作員が疲労を感じながら長期間の業務にあたっていたことが伺い知れます。
「危険とわかって」なぜ除塵機に
そして武冨さんが、最も危険を感じると話したのが「除塵機(じょじんき)」。大きさは異なりますが死亡事故が起きたものと同様の設備です。
除塵機は、排水機場敷地内の屋外に設置されています。排水ポンプの吸水口に取り付けられ、コンベアの要領で、流れ着く水草やゴミを取り除きます。ポンプがつまらないようにする重要な設備です。
しかし、大きな流木などが引っかかると除塵機自体が動かなくなることがあります。その時、武冨さんたち操作員は、ゴミを直接、手や竿で取り除くこともあったといいます。
―なぜ、そのような危険を冒してまでやるのか?
私たちの問いに対し、武冨さんはしぼりだすように答えました。
「危険がないようにしなければいけないとは思っているが、危険だからやめようかと言ったら、今度は浸水を防ぐためのポンプを停止せざるを得ないというジレンマがあります」
アンケートでも操作員の「やりがい」について訪ねたところ、「地域を水害から守りたい」という趣旨の回答をした操作員は75人で、この質問に回答した87人のうちの大部分を占めました。多くの操作員が強い使命感のもとで業務に就いていることを示しています。
国や自治体が対策…根本的解決まだ見通せず
強い使命感のもとで成り立つ業務とは言え、事故があってはならない。 佐賀県の事故を受け国や自治体も、マニュアルの整備や研修会の開催など対策を進めています。
事故のあった排水機場を管理する国土交通省は、除塵機の周辺に転落防止の改修を施すなどしたほか、佐賀県と共同で、操作員へのヒアリング結果などを踏まえた「安全管理マニュアル」を2022年4月に新たに作成。運用を始めました。
このマニュアルをもとに佐賀県内の市と町は研修会を開いて、適切な安全管理を呼びかけました。小城市ではヘルメットやライフジャケットといった装備品の配付なども行っています。
しかし、操作員が危険と隣り合わせの現場で作業をすることには変わりなく、根本的な解決策にはなっていません。
国は、安全な場所から1人の操作員が複数の排水機場を運用できる「遠隔操作」や、そもそも操作員を必要としない「フルオートメーション化」などを検討していますが、いつ実現するのかは、時間・費用の問題から見通せない状況だとしています。
「守り手の被災 あってはならない」
根本的な解決策がない中で、専門家も動き出しています。河川設備や防災行動に詳しい、東京大学大学院の松尾一郎客員教授です。
松尾さんは、東日本大震災で水門を閉める作業中に津波で犠牲になった消防団員の足跡をたどるなど、「命の守り手」が安全に使命を全うするための仕組みづくりを研究し続けています。
松尾さんは今回事故があった排水機場の調査のほか、佐賀県内の操作員に対して聞き取り調査を行いました。
水防施設は、排水機場に限らず、水門、樋門、堤防など、地形や地域によってさまざま。そのひとつひとつに、操作員のような“地域の守り手”が存在している。松尾さんは、今回の事故を教訓とし「地域の守り手の命をどう守るのか考えるべき時に来ている」といいます。
松尾一郎さん
「地域の守り手が災害の時に被災するというのは絶対あってはいけないと思う。『守り手』という意味では、排水機場操作員も、地域の暮らしの守り手だ。その安全を確保し、持続可能な仕事にしていくことは、佐賀だけではなく、全国の排水機場で考えるべき課題だ」
下の図は松尾さんが提言する、安全の取り組みの例です。
ひとつは操作員の防災計画表「タイムライン」を作ること。危険が迫った場合は、操作員も逃げることをルール化することや、逃げるタイミングの基準、その後の応援体制を決めておくというものです。
もうひとつが「水防専門員制度」を作ること。消防団や水防団は、非常勤特別職の地方公務員として処遇が明確化されています。一方で、排水機場の操作員は委託契約として扱われることが多いなど自治体ごとに位置づけが異なります。操作員の位置づけを制度として明確化し、事故が起きた際の補償などの待遇面を改善していくことを挙げています。
知られざる“排水機場操作員”どう守る
「操作員は地域になくてはならない人たちだと思います。排水機場で働く人たちが安全に仕事できる環境を本当に作ってもらいたい」
排水機場の事故で命を落とした石井和夫さんの遺族の思いです。
私たちを水害から守るために人知れず過酷な業務にあたり、危険な目に遭っている現実。
全国で大雨が頻発する中で、水害から地域を守る操作員の必要性も増しています。それと同時に佐賀県の痛ましい事故のように操作員が危険にさらされるケースもこれから増えていくと思います。
「私たちがやっていることを少しでも知ってほしい」
あの事故から1年。これまで私たちが取材した多くの操作員がこう話しました。排水機場に限らず、災害から地域を守ろうと努力している人たちの存在の多くが知られていないままです。
私たちはその人たちに“守られて”います。
頼りきりにするのではなく、私たち自身も存在を知り、安全について考え直す必要があるのではないでしょうか。
佐賀放送局 アナウンサー 竹野大輝
佐賀放送局 記者 渡邉千恵
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