「イスラエルの国家の存立と安全のために立ち上がることがわれわれの使命だ」
これはイスラエルと強い同盟関係にあるアメリカ大統領の言葉ではありません。
ドイツ・ショルツ首相の言葉です。
イスラム組織ハマスとイスラエルとの軍事衝突で、一貫してイスラエル寄りの姿勢を示すドイツ。
そこにあるのは、ナチスによるあの負の歴史です。
しかしー、いまその「国是」とするイスラエル寄りの方針に反発の声も高まり始めています。
ドイツでいったい何が起きているのでしょうか。
(ベルリン 田中顕一支局長)
ナチスの反省を受け継ぐドイツ
11月9日、ドイツは「水晶の夜事件」から85年を迎えました。日本人のなかには知らない人もいるかもしれませんが、ドイツ国民の記憶に深く刻み込まれた事件です。
ヒトラー率いるナチス政権下にあった1938年11月9日から10日にかけて、ナチスのメンバーがユダヤ人の住宅や商店を襲撃。ユダヤ教の礼拝所シナゴーグも破壊され、多くのユダヤ人が殺されました。割られて散乱したガラスが月明かりで「水晶」のように光ったとしてその名で呼ばれるようになりました。
のちに600万人にのぼるユダヤ人が虐殺された「ホロコースト」につながった事件として、毎年各地で、追悼行事が開かれています。
そのひとつ、ベルリンの中心部から少し外れた駅に残る鉄道のホーム跡地で開かれた行事。このホームは、ナチス政権下のベルリンで暮らしていたユダヤ人をアウシュビッツなどの強制収容所に送るために使われました。
9日夜には、地元の高校生など数百人が集まってろうそくをかざし、命を奪われたユダヤ人に祈りを捧げました。ドイツでは、こうした行事が毎年行われ、社会全体でナチスの反省を共有し、「ホロコーストを繰り返さない」という誓いを受け継いできました。
イスラエルの安全は「国是」と語る首相
そのドイツにとって第2次世界大戦後に建国されたユダヤ人国家、イスラエルは特別な存在です。イスラエルを守ることには歴史から生じる特別な責任があるなどと言われ、ドイツ政府は今回の軍事衝突でも一貫してイスラエル寄りの姿勢を示しています。
その姿勢を象徴するのがショルツ首相が使う「国是」という言葉です。ショルツ首相は、10月17日、軍事衝突開始後、G7=主要7か国の首脳として初めてイスラエルを訪れました。そして、イスラエルの安全のために取り組むことは「国是」だと述べました。
ショルツ首相
「イスラエルとその国民の安全はドイツの『国是』だ。ドイツの歴史とホロコーストから生じたわれわれの責任により、イスラエルの国家の存立と安全のために立ち上がることがわれわれの使命だ」
今回の衝突をめぐりドイツ政府は「イスラエルにはハマスの攻撃に対して自衛の権利がある」と常に強調。民間人の犠牲は避けるべきで、人道物資の搬入を目的とした戦闘休止は支持する一方、停戦については否定的な姿勢を示し、イスラエルに攻撃をやめることまでは求めていません。
国内で上がり始めた反発の声
ただ、ドイツ国内ではイスラエルによるパレスチナのガザ地区への激しい攻撃で民間人の犠牲が増えるにつれ、政府のイスラエル寄りの姿勢への反発の声が上がり始めています。
各地で政府に対して停戦を呼びかけるよう求めるデモや集会が開かれるようになっていて、11月4日にはデュッセルドルフで1万7000人、ベルリンで9000人(いずれも参加者数は地元メディア)が参加しました。ハマスの攻撃以降で最大のパレスチナ寄りのデモでした。
集会の参加者で目についたのが中東などにルーツを持つ人たちでした。多くは、戦後、移民としてやってきた人や移民の子どもとして生まれたドイツ人です。
取材を通じて、会社員のサラー・サイード(32)さんと出会いました。両親がパレスチナの出身で、サイードさん自身はベルリンで生まれました。
ドイツ人として育ったサイードさんは、ナチスの教訓、そしてその反省にたったユダヤ人を守ることの大切さも理解していると言います。しかし、ガザ地区で多くの子どもを含む民間人が犠牲になることも避けなければいけない、そう強く感じていました。
サイードさんは、10月29日、ベルリン中心部の公園で仲間たちと停戦を求める集会の開催を初めて呼びかけました。ドイツでは当局がパレスチナ寄りの集会を反ユダヤ主義の扇動やハマスの賛美につながるなどと判断して中止を命じるケースが相次いでいました。
サイードさんは事前に警察に何度も説明に赴くなどして開催にこぎ着けることができました。しかし、当日の集会には警察官が何人もいて、参加者のプラカードに反イスラエル的な主張が書かれていないかなど、細かくチェックしていました。
サイードさんは、現状についてこう不満を語りましたー。
サイードさん
「ドイツにおいては、ホロコーストの責任を忘れてはならないし、反ユダヤ主義をどんなかたちであっても許してはいけないと思います。ただ、いまの問題は、ドイツ政府や政治家が『反ユダヤ主義』と『イスラエル批判』を混同し、声を上げないことです。民主主義国家として戦争犯罪を非難し、少なくとも停戦を求める責務があるはずです」
さらに、集会には外国にルーツのないドイツ人も参加していました。
ドイツ人の女性
「私はドイツの歴史を理解しています。過去にこのドイツで起きてはいけないことが起きました。だからこそ『不正義(ホロコースト)はもう2度と繰り返さない』と大きな声で言わなければいけません。それは“誰に対しても”です」
ドイツ人の男性
「戦後のドイツは、国際的なスタンダードからみて自由で開放的な国だとみられていると思います。私たちは模範を示すべきだと思います。ドイツという国が、たとえイスラエル寄りだとしても人権の擁護に重点が置かれるべきです」
ドイツの世論に変化も?
ドイツの世論の受け止めはどうなっているのでしょうか?
有力紙ウェルトが10月中旬に行った世論調査では、政府がイスラエル寄りの姿勢を明確に示していることについて、66%が「正しい」、16%が「正しくない」、18%が「わからない」と答え、イスラエル寄りの政府の姿勢には一定の支持が寄せられているとみられます。
しかし、その後の世論調査では軍事行動への厳しい見方も出てきています。
公共放送ARDが10月下旬から11月上旬に行った調査では、市民の犠牲を伴うイスラエルの軍事行動についての意見を聞いたところ、「正当化できない」と答えた人が61%で「正当化できる」の25%を大きく上回りました。イスラエルがハマスの掃討を掲げて行ってきた大規模な攻撃に懸念が広がっていることも伺えます。
「国是」は人権や国際法を守るドイツの誓い
では、イスラエルの安全のために取り組むことがドイツの「国是」とする政府の姿勢を専門家はどう見ているのか。
ショルツ首相が使うドイツ語の「国是(Staatsräson=国家理性)」はルネサンスに端を発した哲学の言葉です。その歴史や解釈などに詳しいマックス・プランク研究所のマリエッタ・アウア教授に話を聞きました。
アウア教授は、イスラエルの文脈で「国是」という言葉を使ったのは、メルケル前首相が初めてで、広い意味が含まれていたと解説します。
メルケル前首相は、2008年、イスラエルの国会でドイツの首相として初めて演説。
「“歴史的な責任”はわが国の『国是』の一部である」などと述べた。
マリエッタ・アウア教授
「メルケル氏が使ったドイツの『国是』は、戦後のドイツはナチスの独裁から生まれ変わり、『ホロコーストを2度と繰り返さない』ということを意味します。その意図は広く理解されるべきでホロコーストのようなことがドイツの手を借りて起きることはない。すなわち、戦後のドイツは、人権と国際法、さらに立憲主義にコミットするということも意味しています」
こう指摘するアウア教授は、ショルツ首相が使っている「国是」はメルケル氏の意図とは異なるとみています。ショルツ首相は、ホロコーストを起こした歴史的な責任に基づくイスラエルの安全=ドイツの国是だとしていて、イスラエルの安全を国家の方針と直結させていると分析。ショルツ首相は意図していなくとも、ドイツが重視する価値観に基づいた行動の余地を狭める懸念があると指摘します。
さらに、アウア教授はそもそも「国是」の認識の共有が困難になっているともいいます。
マリエッタ・アウア教授
「メルケル氏が2008年に『国是』という言葉を使った際には、ドイツに歴史的な責任があり、ナチスによる残虐行為やホロコーストに対する社会のコンセンサスがありました。しかし、あれから人口構成は大きく変わり、シリアやパレスチナからの移民も多くなりました。こうした人たちは、ナチスの歴史を踏まえ、自分たちには特別な責任があるという考えを共有しておらず、世論をまとめるのは非常に難しくなっています」
専門家「イスラエルに寄り添いながら可能な限り方針変更を」
今回の衝突では、ハマスによる襲撃でイスラエル側ではおよそ1200人が死亡、多くの民間人が人質として拘束される事態が生じました。一方でガザ地区では、少なくとも1万4854人(ガザ地区当局 11月23日発表)が死亡したとされていて、イスラエルに非難の声も高まっています。
イスラエル寄りの姿勢を取り続けるドイツ政府はどうするべきか。
外交・安全保障政策に詳しいドイツ国際安全保障研究所のハンス・マウル上席研究員に話を聞きました。
ハンス・マウル上席研究員
「戦後ドイツの外交政策は紛争の平和的解決と人権の保護を目指してきましたが、今回ほど難しい問題に直面したことはありません。イスラエルを守るということと、紛争の平和的解決、人権の保護という基本的な原則が緊張関係にあり、相反しています。ドイツのとるべきスタンスは、イスラエルに寄り添いながら、可能な限りイスラエルがその政策を変えるよう影響を及ぼすことです」
マウル上席研究員は、ハマスがイスラエルの安全を脅かし続けている間は、停戦はハマスに勢力を回復させる機会を与えるおそれがあり、ドイツ政府は支持できないとしながらも、イスラエルが民間人の犠牲を回避する行動、そして中東情勢が安定に向かうための行動を誘導する努力をすべきだと指摘しています。
衝突で揺れるドイツ
ヨーロッパ最大の経済大国、ドイツ。その意向は、今回の軍事衝突を巡るEU=ヨーロッパ連合の対応にも影響を及ぼしています。
イスラエルの安全が「国是」だと言い切る首相の言葉からは、ホロコーストの歴史を踏まえた強い責任感や使命感が感じられる一方、政府の対応と国民の受け止めにはズレも生じていて、歴史にとらわれバランスを失いかねない危うさも感じます。
第2次世界大戦後、ナチスの歴史を踏まえ、世界に平和や人権を重んじる国になったとアピールしてきたドイツ。デモや集会に参加する人たちからは、その大方針を貫いて欲しいという思いも感じられます。今回の衝突はイスラエルと強く結びつくドイツを揺らし続けています。
(11月10日 おはよう日本などで放送)