2023年6月21日
経済 台湾

TSMCインパクト 工場建設進む熊本に異変?

世界的な台湾の半導体メーカー「TSMC」。半導体の受託生産が世界一で、技術はトップレベルとされています。

その企業の工場が、2023年内に熊本県で完成し、2024年12月までに生産を開始する予定です。

しかし、その熊本ではある異変が…。

いったい何が起きているのか、取材しました。

(熊本放送局記者 馬場健夫)

相次ぐ内定者の辞退

「正直、今までの人事活動の中で初めての現象だったので、すごく戸惑いました」

こう話すのは、熊本県内に拠点がある半導体製造装置メーカー「くまさんメディクス」の人事の担当者。

2023年春の入社に向けて行った採用活動では、新卒の学生26人に内定を出しました。

しかし、その後、半分が内定を辞退したのだといいます。

例年であれば、内定を出した学生のうち、8割から9割が入社するということで、半分が辞退するというのは、まさに“異常事態”でした。

一方で、この会社の白瀬嗣久社長は、この事態を予期していたと話します。

くまさんメディクス 白瀬嗣久社長

「やっぱりなと思いました。業界はもともと人手不足でしたが、人材の獲得競争は、今までにない厳しさが出てくると思っています」

なぜ、社長は大量の内定辞退を危惧していたのでしょうか?

それには、ある世界的な企業の動向が関係していました。

“あの企業”の工場が熊本に!

2021年10月、熊本にビッグニュースが飛び込んできました。

半導体の受託生産で世界最大手の台湾の企業、TSMCがソニーグループとともに、半導体の新しい工場を熊本県内に建設することを検討していることが分かったのです。

その後、会社は正式に工場を建設する方針を明らかに。

自動車部品メーカーのデンソーも出資することになりました。

建設が始まった頃のTSMC熊本工場

TSMCは、さまざまなメーカーの委託を受けてスマホや高性能PCなどの半導体を製造する受託生産を行っていて、その技術力は世界トップクラスとも言われています。

アメリカのインテルも、最先端の製品はTSMCに頼っているほか、ソニーのゲーム機「プレイステーション5」の心臓部に使われている半導体はAMDというアメリカメーカー製ですが、生産しているのはこの会社です。

さまざまな産業に必要な半導体を国内で供給できるという利点は、経済安全保障の観点からも重要であるだけでなく、関連の部材メーカーや製造装置メーカーを国内に残りやすくするという点でも、大きな意味があります。

また、熊本県にとっては大きな経済効果が見込まれていて、地元の金融機関「九州フィナンシャルグループ」は、TSMCの工場への設備投資に加えて、関連企業の進出、工業団地の開発、住宅の整備、就業者や消費の増加をあわせると、10年で4兆3000億円の経済波及効果があると試算しています。

大量の雇用が過熱する

熊本県菊陽町で建設が進んでいるTSMCの工場。

2023年内に完成、2024年12月までに生産が始まる計画で、現地では24時間体制で建設が進められています。

建設が進むTSMC熊本工場

これにともない熊本県では大量の雇用が生まれることも予想されています。

先ほどの金融機関は、半導体の関連企業の約80社が新たに進出したり増設したりすると想定していて、TSMCが雇用する約1700人を含めて約7500人の雇用が見込まれるとしています。

こうしたことから、熊本県によると、TSMCだけで約1000戸の住宅が必要になると見込まれていて、相次ぐ関連企業の進出によって、住宅や工業用地の獲得競争も起きています。

このため、2022年9月に公表された地価調査では、菊陽町の工業地の上昇率が31.6%(2021年比)と全国で最も高くなりました。

また、2023年3月に公表された地価公示でも、菊陽町の商業地の上昇率が21.7%(2022年比)、住宅地が9.7%と、熊本県内で最も高くなりました。

「土地の価格、相場も2倍以上。本当にバブルにさしかかっている。一般の人が買えない価格に跳ね上がってきている」

地元の不動産関係者がこう漏らすほどの、過熱ぶりとなっています。

高まる人材獲得競争

熊本県内でこうした大きな環境変化があったため、前出の半導体製造装置メーカー「くまさんメディクス」の白瀬社長は、「今までにない人材の獲得競争」を危惧していたのです。

白瀬社長によると、26人の内定者のうち辞退した半分は、初任給が高いTSMCや、別の大手企業などに流れたということです。

実は、TSMCの熊本工場では、大卒の初任給を「28万円」で求人を出しています。これは熊本県内の製造業よりも7万円余り、3割以上も高い水準です。

「くまさんメディクス」にとって、TSMCの熊本進出は大きなチャンスであるだけに、激しい人材獲得競争は、非常に悩ましい問題です。

会社は増産に対応するため、2022年に工場を5つ増やして21拠点に拡大し、今後さらに2つ増やす計画。

従業員も900人増やして2800人になりました。

従業員の研修の様子

人材の獲得競争が激しさを増す中、2023年春入社の大卒初任給を約10年ぶりに引き上げ7%アップするだけでなく、従業員全体の昇給も行い、2024年入社の大卒初任給については、さらに引き上げる予定だといいます。

それでも白瀬社長は、人材不足について厳しい状況は変わらないと危機感を強めています。

「賃金はさらに上げていかないと、競争には勝てません。ただ、私たちがTSMCの熊本工場と同じような給与体系にはできません。我々の企業から人材が離れていかないようにしていかなければならないし、成長を考えるならば、新たな人材の獲得もしていかないといけません」

喉から手が出るほど“人材”がほしい

こうした激しい人材獲得競争にさらされているのは、当然「くまさんメディクス」だけではありません。

このため、企業の中には新たな戦略をとるところも出てきています。この中には“未経験者”の採用を積極的に進めている企業があります。

2022年に三重県から熊本県大津町に進出した、半導体工場のインフラ運営管理などを行う「ジャパンマテリアル」です。

作業をするジャパンマテリアルの従業員

この会社ではすでにTSMCの熊本工場向けの配管加工を始めていて、熊本を中心に経験者の求人を出して150人を採用する計画でしたが、予定通りに集まっていないといいます。

そこで会社では、経験者にこだわらず“未経験者”も含めて、広く求人を出すことにしたのです。

学生向けのオンライン説明会では、理系に限らず文系も含めて「半導体を勉強していない学生」にアピール。

他業種からの中途採用にも力を入れ、すでに熊本の拠点では「元銀行マン」「自動車部品会社の元従業員」が働いています。

さらにジャパンマテリアルでは、人材獲得競争はさらに激しくなるとみて、国内だけでなく海外にも人材確保の活路を求めています。

向かったのはベトナム。

会社の幹部が直接出向いて、理工系の学部を卒業したベトナム人50人を採用したのです。

ベトナム人材の研修の様子

給与や待遇は日本人と同じにし、三重県の本社に新たにトレーニングセンターを設け、半年間かけて研修を実施しています。

ジャパンマテリアルの田中久男社長は、TSMCの進出をきっかけに加熱する人材の獲得競争を勝ち抜くため、ありとあらゆる手を打っていくと強調しました。

田中久男社長

「人材はとり合いです。熊本県だけでとろうなんて思っていませんし、もう熊本県だけでは絶対無理です。採用プラス育成、教育面にかなり投資をしていかないといけないと思っています」

“半導体人材”獲得に向けて

5G、ビッグデータ、AI、自動運転、データセンターなど、幅広い分野で今後も需要の拡大が見込まれている半導体。

こうしたことから半導体業界では、工場の新設や増設が相次ぐ中、エンジニアやオペレーターなど、技術者に対するニーズが高まっています。

しかし、1990年代後半以降、日本の半導体産業が国際競争力を失うのにともなって、業界への就職を目指す若者が減り、人材が不足しています。

電機メーカーなどでつくる業界団体、電子情報技術産業協会(JEITA)によると、国内の主要8社だけで、今後10年間で必要になる“半導体人材”は、4万人に上るといいます。

この中には、今回、熊本に進出するTSMCは含まれず、必要な人数はさらに膨れ上がるとみられます。

こうした事態に国も人材育成を強化する方針で、2022年10月、TSMCの熊本工場の建設現場を視察した西村経済産業大臣は「日本が直面する課題を、積極的な人材への投資で乗り越えていけるよう、取り組んでいきたい」と述べました。

また、地元にある熊本大学は2024年の春に、半導体やデータサイエンスを学ぶ、新たな学部にあたる組織を設置する予定です。

熊本大学が新たな学部を設置するのは75年ぶりです。

半導体の材料や画像センサーのほか、3次元積層実装プロセスといった最先端の研究を行って、“半導体人材”の育成を強化する方針です。

熊本大学で半導体人材の育成の様子

TSMCの進出をきっかけに、走り出した企業や教育機関の取り組み。

一方で、海外の規模やスピード感と比べると「物足りなさ」があるのは否めません。

例えば、韓国では今後10年で15万人の“半導体人材”を育成する戦略を打ち出し、台湾では、大学と企業が連携して半導体に関する修士課程を設立し、産学連携で人材を育成しようという動きが進んでいます。

日本もスピード感を持って“半導体人材”の獲得・育成を進めることができるのか。

引き続き、日本国内の取り組みに注目していきたいと思います。

国際ニュース

国際ニュースランキング

    特集一覧へ戻る
    トップページへ戻る