
「明らかに異常で、間違っていると思います」
強い言葉で怒りをあらわにするのは、ひとりの中国人の若者です。
路上で行われていた抗議活動を撮影しようとしたところ、その場で警察に拘束され、暴力も振るわれたのだといいます。
しかし、この若者のように、当局に対して異を唱える市民を見つけることは、今の中国では非常に難しくなっています。
(上海支局長 道下航)
撮影していただけなのに…
「路上での撮影が拘束する理由になるのでしょうか。当局は、市民に真実を追求されることを恐れていたのです」
匿名を条件に取材に応じてくれたのは、20代の中国人男性の張さん(仮名)です。

張さんが拘束されたのは、経済都市・上海の路上。
当時そこで行われていた中国政府の政策に対する抗議活動をスマートフォンで撮影しようとしたところ、拘束され派出所に連行されたといいます。
拘束が解かれたのは丸1日たってから。今でも、なぜ拘束されたのか、はっきりした理由はわからないと話しました。
市民の不満が爆発
2022年11月下旬。
中国各地では、ある政策に対する抗議活動が広がっていました。

それは「ゼロコロナ」政策。新型コロナウイルスの感染拡大を封じ込めるため、強制的な隔離や厳しい行動制限などを伴う政策です。
感染者が確認されると、その地区や建物などが封鎖され、上海でも2022年3月末から2か月あまりにわたり、厳しい外出制限が続き、社会や経済に大きな影響が出ました。
この厳しい行動制限を伴う政策に対してたまった市民の不満が、1つの出来事をきっかけに爆発します。
2022年11月24日、新疆ウイグル自治区の高層マンションで火災が起きました。10人の死亡が発表されたあと、インターネット上では厳しい感染対策のため通路が封鎖され、住民の避難と救助が遅れたという情報が広がったのです。
地元政府は記者会見で否定しましたが、人々の間では「『ゼロコロナ』政策の犠牲になった」といった反発が強まりました。
そして、新疆ウイグル自治区から始まった不満の大きな波は、3000キロ以上離れた上海にも波及します。
集まった市民と体制批判の声
火災から2日後の上海。
11月26日夜に行われた追悼活動が27日未明にかけて、抗議活動に発展。
参加者は、中国では極めて異例の体制に対する批判を公然と口にしたのです。
「習近平は退陣せよ!共産党は退陣せよ!」
通りに集まった人たちが、大きな声で訴えていました。
上海で抗議活動が行われていることを知った張さんは、現場では何が起きているのか、自分の目で見たいと、抗議活動が始まってから数時間後には現場に駆けつけたといいます。
その現場では、警察官が抗議活動の参加者を容赦なく捕まえては、警察車両に連行していました。

張さんの目の前でも、1人の男性が、4、5人の警察官に抱え込まれて連れて行かれようとしていました。
張さんはとっさにその瞬間を記録に残そうとスマホを取り出し、撮影を始めます。
それを見た警察官たちは、撮影を止めてその場所を離れるよう張さんに詰め寄りました。一度はその場を離れた張さんですが、少し移動した場所で再び撮影を始めると、今度は、後ろから警察官たちが駆け寄ってきました。
「なぜ、まだここにいるんだ」
警察官たちはそう言うと、張さんを抱え込んで力ずくで警察車両に連行しようとします。
張さんは、抵抗しようとしますが、車内に押し込まれ強く頭を殴られたといいます。
どこに連れて行かれるのかも告げられず、車は走り出しました。
警察による連行と暴力
連れて行かれた場所は派出所でした。
しかし、その派出所は収容するスペースがなく、別の派出所に向かうことになりました。張さんと同じように拘束されて、すでに派出所に収容されていた人たちが大勢いたのです。

別の派出所に着くと、付けられていた手錠が外されました。手首からは血が出ていたといいます。
続けて、正面と左右から写真を撮られ、指紋と瞳の虹彩も採取されました。
警察官は、張さんの血液も採取しようしましたが、何に使われるのかわからず怖くなり拒否すると、採取されずに済みました。
張さんが入れられた派出所内の部屋には、当初、張さん1人だけでした。
しかし、しばらくすると次から次へと拘束された市民が部屋に連れて来られていました。多くが張さんと同じような若者でした。
そして、その部屋で張さんは取り調べを受けるだけでなく、暴力も振るわれました。無理矢理、手を後ろに回され、頭を強く壁に押しつけられました。頭も殴られたということです。
なぜ連行され拘束されているのか、なぜ暴力も振るわれないといけないのか。張さんは、全くわかりませんでした。
拘束を解かれたのは、丸1日ほどがたってから。
派出所を離れるときには、一列に並ばされている市民の姿が見えました。引き続き多くの市民が拘束されているようでした。
「この国に失望した」
警察に拘束されてから数か月。張さんが取材に応じてくれたのには、理由があるといいます。
「ゼロコロナ」政策で厳しい行動制限が課されただけでなく、抗議の声を上げただけで、国家権力によって身体を拘束されてしまう。
そんな今の中国の現実を、1人でも多くの人たちに知ってほしいからだといいます。
そして、中国のメディアは、張さんのような「声」自体を取り上げることは難しいので、海外メディアを通して伝えることで、自分たちの存在を「なかったこと」にしてほしくないというのが張さんの願いです。

「この国には失望しました。自分の身に起きたことに対して、本当に頭にきていますし、残念に思っています。それでも、抗議活動に参加したことは後悔していません。抗議活動は、非人道的な感染対策に対する、市民の不満が頂点に達したことから起きたのだと思います。そして、抗議活動によって中国政府は、市民が本当に求めていることを知ることになったと思います。そういう意味では、抗議活動には一定の効果があったはずです。今後、同じようなことが起きたなら、また、現場に駆けつけます」
“なかったこと”にされるゼロコロナ
中国各地で起きた抗議活動では、張さんのように多くの若者が当局に拘束されました。
中国の人権活動を支援するインターネットサイトなどによりますと、一部の人は今も拘束されていて、連絡が取れないままになっているといいます。
こうした抗議活動のきっかけとなった「ゼロコロナ」政策のもとでは、感染対策を優先するあまり多くの悲劇が起きました。
陰性証明が取れないため、病院に入れずに亡くなった人や流産した妊婦。
施設で大勢の高齢者が亡くなったにもかかわらず、面会できなかったため家族がどんな最期を迎えたのか、いまだに伝えてもらえない親族たちもいます。
「ゼロコロナ」政策が2022年12月に大幅に緩和されると、今度は、各地で感染爆発が相次ぎ、多くの人たちが亡くなりました。

しかし、「ゼロコロナ」政策と突然の方針転換に対する怒りと不満は、中国国内ではあたかも“なかったこと”のように扱われています。
以前は新型コロナの危険性を強調していた共産党指導部や政府。
3月5日から始まった全人代=全国人民代表大会では、新型コロナ対策について、「発生からの3年あまり、党中央は、人々の命と健康を守り、決定的な勝利を収めた」などと誇示し、「ゼロコロナ」政策の緩和後、各地で死者が増加したことにはひと言も触れませんでした。
こうしたなか市民は、自分たちの思いや考えを公然と口にすることはありません。
家族や親戚が亡くなったことへの気持ちを取材しようとしても「家族や仕事に影響が出る」と言って、口を閉ざす人ばかりです。
ただ、市民の中には、当局に対する不満をくすぶらせている人は間違いなく存在しています。
感染が爆発した2022年の年末から複数の親戚を亡くしたという男性は、次のように打ち明けてくれました。
「万全の準備ができていない状態で感染対策が緩和され、多くの人たちが亡くなりました。この3年間、政府は何をしていたのか?疑問を持たざるを得ません」
上海の町の様子を見ていると、一見、コロナ禍前のにぎわいを取り戻しているようにも感じます。まるで、何もなかったかのように…。
ただ、現実には「ゼロコロナ」政策と突然の方針転換が残したものは、今もくすぶり続けています。
