2023年3月27日
世界の子ども カナダ ウクライナ

ロシアのウクライナ侵攻から1年 引き裂かれた家族はいま

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が始まって1年。

国外に避難しているウクライナ人はいまも800万人を超えています。

「願いがひとつ叶うなら、明日にでもウクライナの勝利で戦争が終わってほしい」

1年前、私がポーランド国境で出会った母子はいま、ウクライナから遠く離れた異国の地で、1日も早く家族がまた一緒に暮らせるよう願っていました。

(エルサレム支局長 曽我太一)

ウクライナから逃れてきた母子

ナターシャ・ビグレンコさんと息子のプラトーン君(9歳)、そして娘のマリアちゃん(5歳)。

ポーランドに到着するナターシャさん母子

ウクライナ南部のへルソンから逃れてきたナターシャさんたちに出会ったのは、去年の3月2日。ロシアがウクライナへの軍事侵攻を始めて1週間後のことでした。

氷点下の厳しい寒さが続くなか、当時、ポーランドには連日10万人という数の人たちがウクライナから逃れてきていました。

ナターシャさんたちも親せき家族とともに5日間かけてポーランドに避難。しかし、国境を越えることができたのはナターシャさんと2人の子どもたちだけでした。

男性の出国は制限されていたため、夫のオレクシイさんとは離れ離れになり、ナターシャさんたちの1年が始まりました。

ポーランドで見せてくれた9歳の日記

ナターシャさんたちは、ウクライナとの国境から車で1時間ほどのところにあるジェシュフという町に一時的に避難し、小さなアパートの1室で親せき家族とともに避難生活を始めました。

このとき、9歳だった息子のプラトーン君が私に読み聞かせてくれたのが、軍事侵攻をきっかけに書き始めたという日記でした。

プラトーン君の日記

プーチンが近づいている
ぼくはウクライナに戦争は来ないと思っていた

冬の日、2022年2月24日にウクライナで戦争が始まった

最初は信じられなかったけど、本当だった

おばあちゃんから電話がきた

僕たちは怖くて心配していた

ロシアの戦車がおばあちゃんとおばさんの住む町を包囲した

一緒に避難したかったけれど、できなかった

パパは避難用のスーツケースを用意してと言ってテレビのニュースをみた

パパはとても緊張していると思った

ぼくたちは避難用のスーツケースを用意したけど、避難するとは思わなかった

そのあとぼくも緊張し始めた

そこには9歳の子どもが体験した、「戦争」の恐怖が綴られていました。

そして、プラトーン君が日記を読み上げると、母親のナターシャさんは涙ながらに私たちにこう訴えたのです。

ナターシャさん
「戦争を止めてください。再び家族が一緒に暮らせるようにしてください。私たちウクライナ人は戦います。プーチン大統領を止めるためだったらどんなことでもします。私たちには世界中の手助けが必要です」

侵攻から1年 ナターシャさんたちは

あれから1年。

ナターシャさんの願いもむなしく、ロシアによる軍事侵攻は終わりの見えない状況が続いています。ナターシャさんたちはポーランドに避難したあと、親せきがいたチェコに移動。

その後、夫のオレクシイさんに会うため、一時ウクライナ西部に戻りました。しかし、ふるさとのヘルソンはロシア軍に占領されている地域がすぐ近くにあり、戻ることはできません。

そして去年7月、知人のつてをたどり、子どもたちが安全に暮らせる場所を求めて、多くのウクライナ人を受け入れているカナダへの避難を決めたのです。

変わってしまった日常

ことし2月、私はカナダ西部の人口1万あまりの小さな町ラコンブで夫の妹家族と7人で暮らすナターシャさんたちを訪ねました。

カナダ アルバータ州ラコンブの街並み

カナダではもちろん空襲警報がなることはありません。

しかし、そこに夫オレクシイさんの姿はなく、ヘルソンにいたころの写真を見返して、涙を流すこともあると言います。

ナターシャさん
「私にとっては子どもたちが安心できることが最も大切でした。なぜこんなに遠くまで来たのかとも思いましたが、カナダは安全な場所で安心できます。
しかし、これは私が自ら望んだ生活ではありません。いきなり誰かが武器をもって私のところにやってきて、ウクライナに残るか去るか決めろと言われたのです。選択の余地はありませんでした」

支援者の紹介でパートタイムの調理師の仕事をしているナターシャさん。

食料を無料で提供してくれるフードバンクなど、地元の人たちの支援を受けながら、なるべく生活費を切り詰めて暮らしています。

しかし、軍事侵攻の長期化はナターシャさんたちの生活にも重くのしかかっています。

カナダの自治体が続けてきた家賃補助も、侵攻から1年となった2月で打ち切られてしまいました。1800カナダドル、日本円で17万円ほど(3月23日のレートで計算)の家賃は、これから自分たちで全額支払わなければなりません。

1年前、突然の避難を余儀なくされ、耳にしたロシア軍による砲撃の音。大好きなお父さんにずっと会えない中での慣れない土地での生活。

娘のマリアちゃんはこうした負担から精神的に不安定になることもあり、なるべくそばにいるためにも、パートの時間を増やすことは難しいのが現実です。

ナターシャさん
「もし誰かが、『ナターシャ、あと半年か1年待てば戦争が終わって、家族で一緒に暮らせるようになるからね』と言ってくれるのであれば、待つことができます。でも誰もそんなことは言ってくれません。この状況は本当に苦しいです」

10歳になった息子の決意

プラトーン君とマリアちゃん

9歳だった息子のプラトーン君は10歳になっていました。

1年前に会ったときは、涙ながらに取材に応じる母親のナターシャさんを優しくなでたり涙を拭ってあげたりするような優しい子でした。

ナターシャさんがいないときに子ども部屋で話を聞くと「お父さんがいなくて、お母さんはすごく大変そう」と、子どもながらに母への気遣いを見せ、その優しさは変わっていませんでした。

ただ、ポーランドで私に見せてくれた日記がどうなったのか気になって尋ねると、書くのをやめてしまったと言います。本人はうまくその理由を言葉にできないようでした。

ナターシャさんは「プラトーンにとって、今の状況は複雑すぎて言葉では表現できないのだと思います」と話してくれました。

今はカナダで地元の学校に通っているプラトーン君。

この1年の生活については「大好きなお父さんとも離ればなれになってしまった。国も人も家もすべて変わって大変な1年だった」と言葉少なに答えてくれました。

軍事侵攻から1年を迎える直前の2月3日。この日は子どもたちが朝から何やら嬉しそうにしていました。

父親のオレクシイさんの誕生日だったのです。

学校に行く前、家族そろってビデオ通話を試みました。しかし、ウクライナではインフラ施設が攻撃を受けるなどして電力が安定せず、インターネットがつながらなくなることがよくあるといい、このときもつながりませんでした。

残念そうな表情を浮かべながら学校に向かった子どもたち。ようやくつながったのは、子どもたちが学校から帰宅したあとでした。

オレクシイさんとビデオ通話するナターシャさんたち

去年は軍事侵攻が始まるとは想像だにせず、家族みんなで祝っていたオレクシイさんの誕生日。ことしはビデオ通話で言葉を伝えるしかありません。

電話がつながると、ナターシャさんと子どもたちは「ハッピーバースデー」を歌いました。嬉しいはずのその歌が、父親がいない部屋にどこか空虚に響き渡ります。

そして、プラトーン君はこの日のために書いたお父さんへの特別な手紙を取り出し、読み始めました。

お父さんへの手紙

僕たちはみんな幸せだった

たくさんの楽しい時間があった

悲しみや悩みはなかった

僕たちは仲が良く、いつも一緒にいた

ある時、困難が僕たちの知らない間に忍び寄ってきた

戦争が僕たちを引き離した

もう1年、僕たちは別々に暮らしている

でも、僕はまだ強い望みを持っている

僕たちはまた一緒になるんだ

僕はお父さんに言われた言葉を覚えている

親切で勇敢でいろ お母さんと妹を守れ

賢く、親切で、正直な大人になれ

自分で最初の一歩を踏み出せ

お父さんは神様を愛することを教えてくれた

お母さんにお花をあげること、毎日お母さんを手伝うことを教えてくれた

僕の素敵なお父さんはいつも優しく、強く、かっこいい

決して砕けない岩のようで最高のお手本です

僕はお父さんをとても愛しています お父さんは僕の支えです

スマートフォン越しのオレクシイさん

手紙を聞いて満面の笑みで「それお前が書いたのか?」と聞くオレクシイさん。

それに対し、「ダー(そうだよ)」と誇らしげに応えるプラトーン君。

ちょっと照れくさそうにしながら「でも、お母さんも手伝ってくれたんだよ」と付け足しますが、お父さんは「すごいじゃないか」と息子の成長を褒めていました。

さらに、そのあとスマートフォンを独り占めしたのはマリアちゃん。

学校で勉強したばかりの絵本を持ち出し、お父さんに英語で読み聞かせます。

笑顔で見ていたオレクシイさん。マリアちゃんが読めない単語があると、すぐさま読み方を直してあげます。

どこにでもありそうな親子の日常が、スマートフォン越しにしかできない。侵攻から1年がすぎ、いまだに800万人以上いるウクライナの避難民の現実がそこにありました。

ナターシャさん
「軍事侵攻が今後どうなるのか、そして私たちが今後どこに住むのか、ウクライナに戻るのか、カナダに住み続けるのか、見当もつきません。すべてのウクライナ人が同じ事を思っていると思います。本当にわからないのです。ただ、願い事がひとつ叶うなら、明日にでもウクライナの勝利で戦争が終わってほしい」

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