2023年2月2日
ウクライナ ロシア

賄賂にスマホ検査… ロシア支配地域から逃げた女性の証言

「ロシア軍に協力して働き始めた人もいます。私はそうしないという決意を持って必死で避難したのです」

こう話すのは、ロシア軍が掌握した地域に住んでいた女性です。

そこから逃げ出すためには、スマートフォンを兵士に検査されたり、警官に賄賂を渡したりしなければならなかったといいます。

女性はどうやって逃げ出すことができたのか?話を聞かせてくれました。

(国際部記者 松田伸子)

話を聞かせてくれたのは?

ウクライナ東部ドネツク州のマリウポリという都市で独り暮らしをしていたミレーナさん(41)です。

2022年12月 取材時のミレーナさん

マリウポリは東部の要衝で、ウクライナ軍とロシア軍の激しい戦闘が続き、2022年5月にロシア軍が完全に掌握しました。

その後、プーチン大統領は9月にマリウポリのあるドネツク州など東部と南部の4つの州の一方的な併合を強行し、支配の既成事実化を進めようとしています。

ミレーナさんは、マリウポリでIT関連の仕事をしていましたが、5月にポーランドに避難しました。

ポーランドはウクライナの西側と国境を接しており、通常であれば首都キーウを経由して西に向かうはずですが、わざわざ“敵国”ロシアを通り、バルト三国経由で避難せざるを得なかったということです。

その間、常に危険と隣り合わせだったと話してくれました。
(以下、ミレーナさんの話です)

今のマリウポリの状況はわかりますか?

人づてに聞いたり、現地のニュースやSNSの発信を見たりしていると、町やその周辺には武装した兵士たちがたくさんいる危険な状態で、抵抗などできる状況ではないようです。

また、町の中には検問がいくつもあって、車や通行人をチェックしていて、常に身元の確認があるといいます。

もしも「親ウクライナ」と口を滑らせたら、拷問する場所に連れて行かれてしまうようです。だから、黙っていないといけないのです。

一方で、ロシア軍に支配されたことで、ロシア軍に協力して働き始めた人もいるといいます。食べ物を得るため、爆撃されていない農地や家を守るためです。

ただ、私は攻撃してきた人のために働くなんて許せません。彼らは、爆弾を落として戦車で走り、銃を突きつけているんです。

なんで、そんな人たちに従わなければならないのか?好きなところに住み、好きなことをしていたのに、なぜ彼らのために働かなければならないのか?

私は、そうしないという決意を持って必死で避難したのです。

ロシア支配下の生活はどんなものでしたか?

3月に入って、私たちが住んでいたところに爆撃が迫っていたので、母親の家の地下室に避難しました。電気、インターネット、通信は使えなくなっていました。攻撃される可能性があったので、1週間は地下室から顔を出すことすらできませんでした。

その後、水をくみに行く時だけ外に出ました。でも、井戸の近くには地雷が仕掛けられたり、スナイパーが隠れたりしているんです。井戸の近くにはいくつもの遺体がありましたから。

ですから、なるべく井戸に行かなくて済むように、雨水や雪解け水をためて布で濾過したあと、沸騰させてから使っていました。

私たちが住んでいた地域は、ロシア軍に占領され、食べ物などを保管していた倉庫もロシアのものになってしまいました。ロシア兵たちは、もともと私たちのものだった食べ物を市民に配布すると言って、倉庫を開放しました。

倉庫に入るためには何時間も長い列に並ばなければならず、1度に10人くらいの女性が一緒に入って、食べ物を袋に入れるのですが、その間、周りには6、7人の兵士がこちらに銃を向けていました。

その後も、ロシア側が「人道支援」だとする物資が届き始めたと聞いたので、5キロ先の場所まで取りに行ったこともあります。ただ、近くで爆撃が行われている中を行くのはとても怖かったです。それなのに、一日中待ってももらえないこともあるのです。

一方で、ウクライナ側からの物資は届かず、ロシア軍が途中で止めたり、運んできたものを盗んだりしたと聞きました。物資を運んできたボランティアを殺したという話もありました。

避難する機会はありましたか?

ラジオを聞いていると、人道回廊と呼ばれる避難ルートが設置されるという知らせがあったので、母と私は集合場所に行って、かなり長い時間待ちました。でも、避難のためのバスは来ませんでした。

国連や赤十字のバスが90台出るとラジオでは言っていたのですが、実現しなかったのです。

結局14台しか出ず、そのうち11台は、マリウポリの人を乗せてドネツク州の親ロシア派が支配する地域に向かい、ウクライナの別の都市に避難できたのは3台で79人だけだったということです。

「次こそは」と思って、何度も待ちましたが、その後、人道回廊の話はなくなってしまいました。

どうやって避難することができたのですか?

通信がつながる携帯電話を持っていた人から借りて、友人に電話をしました。彼に、避難できる車を手配してくれないかと頼んだのです。

500~600米ドル払えば避難できるとのことでした。親ロシア派の地域内を経由してロシアに入るのです。それ以外にマリウポリから避難する方法がありませんでした。

しかも、車の手配を信頼できる人に頼まないと、強盗に遭ったり殺されたりする危険もありました。幸運にも私たちを乗せてくれた人は約束を守ってくれる人で、とても感謝しています。

最初、車に乗っていたのは母と私の2人だけでしたが、途中から8人乗りの小さなバスに乗り換えてロシアに入りました。一緒に乗っていたのは、全員マリウポリから来た人たちでした。

ロシアに入るまでに、何か所も検問を通りました。

検問ではどんな検査を受けるのですか?

まず、スマートフォンを調べられました。私はデータをすべて消していたのですが、ロシア側の担当者は「なぜ何もないのか」と聞いてきました。私は「新しいスマートフォンだからだ」と答えてその場をしのぎましたが、チェックを受けるたび、とても怖かったです。

2022年8月 取材時のミレーナさん

こうした検問とは別に、ロシアの治安機関による検問もありました。40分ほどにわたって「特別軍事作戦についてどう思うか?」「ロシアの指導者についてどう思うか?」などについて聞かれました。

でも、当然“本音”を言ってはいけないのです。もしそんなことをしたらドネツク州のどこかの地下室にでも入れられることになったでしょう。だから、「中立的なこと」を言わないといけないと思いました。その時点から洗脳が始まっているとも感じました。

男の人は、服を脱がされてウクライナへの愛国を示すタトゥーがないかどうかを調べられていました。

検問以外に必要なことはありましたか?

賄賂が必要でした。

警察官らしき人がいろいろ聞いてきて、いちゃもんをつけてくるのです。なので、賄賂を渡すしかないのです。200米ドルを渡したこともありました。

ロシアに入るまでに、1500米ドルほどもかかりました。マリウポリから100キロも離れていないロシアに行くだけなのにとても高いですよね。

そして、彼らはウクライナの通貨は受け取りません。だから米ドルを持っていたことはとても幸運なことでした。外貨がないと生き残ることができません。外貨がないと、ドネツク州やロシアの収容所に行くほかありません。

ロシアに入ってからどうでしたか?

検問を通って、ヨーロッパを目指しました。

ただ、ロシア国内を移動している時はとても怖かったです。ウクライナのことをよく思っていない人たちの国を通っているわけですから。

実は私はモスクワに7年半住んでいたことがあります。その頃は、とてもきれいな街並みが好きでした。でも、今ではモスクワに住んでいたことは私の恥です。

住んでいた時から、戦争があるかもしれないと感じていました。ウクライナ人に対する憎悪が醸成されていたんです。

モスクワを通る時、窓の外を見られませんでした。あんなに好きだったのに。その国の人たちが私たちを爆撃しているのです。

現在はどうしているのですか?

エストニアの国境で車を降りました。エストニアに入ってからは、ホテルに数日滞在したあと、今の避難先のポーランドに移動しました。大きな寮のような所にいて、ここには200人ほどのウクライナの人たちが避難しています。

IT関連の仕事はリモートで続けていますが、収入は大きく減ってしまいました。ポーランドで仕事を探すため、ポーランド語を勉強していて、これから試験も受けるんです。今は、英語も勉強しています。

でも、ウクライナに戻りたいという気持ちは今も変わりません。ここに避難している人の多くは、長期的な計画を立てられず、とりあえず来年の春までの短期的な計画しか立てられないのです。

自分の家がないことが一番つらいです。帰りたいですが、マリウポリはロシアとの国境に近いですから。まだまだ戦闘は続くでしょうし、ロシアにはミサイルがまだあると思いますし。

戦争が長引き、とても疲れています。でも、私のロシアに対する憎しみ、軽蔑は大きくなっています。

一方で、マリウポリを愛する気持ちは変わりません。ですので、ほんの少しですが、ウクライナ軍に寄付をしています。

また、SNSを通じてウクライナ側から見た戦争について発信を続けています。ロシア人が1人でも目にしてくれたら、自分たちがやっていることの愚かさに気付いてくれるかもしれませんから。

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