恐怖心を乗り越えて取れたメダル

冨田せな

スノーボード

北京オリンピック、スノーボード女子ハーフパイプで銅メダルを獲得した冨田せな、22歳。この種目で日本女子初のメダリストとなった彼女にとってこのオリンピックはかつてない恐怖との戦いだった。

新潟県出身の冨田がスノーボードを始めたのは3歳の時。
スノーボード好きの父親に連れられて近所のスキー場に通い始めた。
雪は自然と身近にあるものだった。

「物心ついたときには滑っていたので、滑り初めの記憶はない。生活の一部のような感覚だった」

空中に飛び出していく気持ちよさと、多種多様なスタイルに魅せられ、小学1年生から本格的にハーフパイプを始めた。
初めてのオリンピックは高校3年生、18歳で出場した前回のピョンチャン大会。8位入賞を果たした。

順調にキャリアを積んでいた冨田に試練が訪れたのは2019年の12月。
北京オリンピックと同じ会場で行われたワールドカップの練習中に転倒し、頭を強く打ちつけた。
大けがを負い、3か月間の絶対安静が必要だと診断された。

「自分が休んでいる間にほかの選手がうまくなったり、結果を出したりするのを見るのがつらかった。引退も考えた」

それでも家族などの支えで競技に復帰し、たどり着いた2回目のオリンピック。ともに代表に選ばれた2歳年下の妹、るきとともに活躍を誓った大舞台だったが、練習でコースに立った冨田に再び、試練が訪れる。

「滑るのが怖い」

会場は3年前に大けがを負ったあの場所。
当時の記憶がよみがえり、かつてない恐怖心に襲われた。

「大会自体に出たくない、怖すぎて滑りたくないっていう気持ちになってしまった」

棄権も考えた冨田だったが、背中を押してくれたのはコーチやスタッフ、そしてSNSを通じて日本から届いた応援のメッセージだった。

「恐怖心を正直に打ち明けたらみんなが『少しずつでいいよ』と言ってくれた。SNSでもたくさんのメッセージが来て、応援してくれている人がこんなにたくさんいるというのが本当にうれしかった。ここでやめるわけにはいかないと思ったし、この会場で『かっこいい滑りをするぞ』っていう気持ちになれた」

覚悟を決めた冨田は持ち味の高いエアを次々に成功させて銅メダルを獲得。つらい記憶が残る場所をみずからの滑りで最高の思い出の場所に変えた瞬間だった。

「恐怖心を乗り越えて取れたメダル。本当に自信になった」

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