【取材の現場から】目と耳をふさいだ小さな手

その男の子と出会ったのは、ウクライナ西部のリビウ郊外にあるキャンプ場でした。森の中にコテージが建ち並び、夏休みには家族連れで賑わう場所です。

本来なら、この時期は閑散期ですが、今は、ウクライナ各地からの国内避難民を受け入れていて、30家族ほどが身を寄せていました。

ティモフェイ君もそのうちの1人でした。母親と祖母、曾祖母とともに3月初旬に東部のハルキウ(ハリコフ)から避難してきていました。キャンプ場にたどり着いたのは、ちょうど3歳になった誕生日だったといいます。

自宅を守る父親を残したまま逃げてきたというティモフェイ君の一家。「町では何もかもが破壊されました」と祖母のガリナさんが涙に暮れていました。

ティモフェイ君はというと、ずっと部屋の一番奥で、母親のスビトラさんの陰に隠れて泣いていました。「こっちにおいで」と言いながら、近づきましたが、泣き声は大きくなるばかりでした。苦しそうな表情で、両手で目や耳をふさいでいます。まるで“見たくない、聞きたくない”と言っているかのようでした。なぜなのかー

スビトラさんは、爆撃音を繰り返し聞いてきたこと、逃げている途中にも銃撃を受けたことを説明したあと、こう打ち明けました。「それ以来、男の人を見ると、兵士が来たと思って、とても怖がるようになっているんです」ガリナさんが、付け加えました。「あなたの横にいるカメラマンが持っているカメラを兵器だと思って、孫が怖がっています」

ティモフェイ君が泣いていたのは、私たちのせいだったのです。「怖がらせてごめんね」と言いながら、その場を去ることしかできませんでした。

その日、ボランティアによって粘土細工の教室が開かれました。避難してきた子どもたち10人ほどが集まりました。

ティモフェイ君もやってきました。表情は最初は暗いままでしたが、しばらくすると、周りの子どもたちをまねて、粘土をさわり始め、笑顔も戻ってきました。30分後、作品ができあがりました。クリーム色の壁に紫の三角屋根。作ったのは森に囲まれた家でした。

一緒に作ったスビトラさんが説明してくれました。「明るく生きられるように、明るい色で作りました。わが家が一番です」

国連によりますと、3月下旬の時点で、ウクライナで家を追われた子どもの数は450万人以上。心のケアが求められています。

ティモフェイ君の小さな手。恐怖から目や耳をふさぐためのものであってはなりません。その手で、なんとか困難をはねのけ、自分の人生を築き上げていってほしい。粘土をこねるその姿を見ながら、心から願いました。

  • ヨハネスブルク支局

    別府 正一郎

    国連や中東での取材を経て2018年から現職。今回ウクライナ入りして取材。