原子力

福島で暮らす韓国人女性が見た韓国処理水視察団

福島で暮らす韓国人女性が見た韓国処理水視察団

2023.05.24

「来て、見て、話しをして、顔を見て。そうこうしているうちにほどけてくる、何かが生まれてくる。」

 

福島で20年あまり暮らしてきたひとりの韓国人女性が語ったことばには、厳しい日韓関係や風評被害を乗り越えようと、地道な交流を続けてきたことへの自負がにじんでいた。

 

原発事故のあとも福島で暮らし、人生で一番大事な場所と思うからこそ、知ってほしいのはありのままの姿。

 

女性は今月、韓国政府が派遣した、福島第一原発の処理水に関する視察団を、特別な思いで見つめていた。

(福島放送局 矢部真希子 潮悠馬 科学・文化部 吉田明人 ソウル支局 大谷暁)

「説明会」か「局長級協議」か

5月12日。金曜日の深夜にも関わらず、話し合いは延々と続いていた。韓国・ソウルで行われていたのは、韓国政府が派遣する処理水視察団受け入れに向けた日韓両政府による事前調整だった。午後2時頃に始まった会議は、日付をまたぎ延々半日ほどに及んだ。しかし、協議はそれで終わらなかった。

この日の打ち合わせを、日本側は韓国政府への「説明会」と呼んだ。これまでも各国に対し折に触れて行ってきた一般的な処理水に関する説明という位置づけだという。

一方の韓国側は、当初、視察団の派遣に関する「局長級協議」だとした。視察の内容についてハイレベルで詰めるためのより重要な場であるという認識をにじませた。

日韓関係改善の流れを受けた好機?

5月7日。就任後初めて韓国を訪問した岸田総理大臣と、韓国のユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領の会談は、10年以上途絶えていた「シャトル外交」の本格的な再開として注目され、両者は日韓関係の改善が軌道に乗ったとする認識で一致。この際、合意されたことの一つが、東京電力福島第一原発の処理水に関する韓国の専門家による視察団の派遣だった。

福島第一原発にたまるトリチウムなどの放射性物質を、基準を下回る濃度に薄めて海に放出するという日本政府の方針に、韓国政府は繰り返し懸念を表明してきた。
2021年に方針が決まった際には、隣国を含む世界の海洋環境に影響を及ぼしかねないなどとして「絶対に受け入れられない」と反発。当時のムン・ジェイン(文在寅)大統領は「憂慮は極めて深い」として、国際海洋法裁判所への提訴を積極的に検討するよう指示した。

その後、当時の外相が「IAEA=国際原子力機関の基準に適合する手続きに従うなら、あえて反対するものではない」と述べ、IAEAの調査団に韓国の原子力安全の専門家が参加するなど、安全性の検証について韓国政府として積極的に関与する姿勢を示したが、韓国国内の懸念は根強く、政権交代で最大野党に転じた「共に民主党」などが放出に反対し続けている。

こうした中での視察団派遣は、日本側にとって日韓の関係改善の流れを追い風にした、理解を得るための好機とも見えた。

にも関わらず、事前の調整は難航した。12日から13日にかけての会議のあとも、両国の担当者はオンラインなどで繰り返し打ち合わせを持ち、大まかな日程が明らかになったのは視察団が韓国を発つわずか2日前のことだった。

韓国の空港を発つ視察団長のユ・グクヒ(劉国熙)原子力安全委員会委員長

視察団の位置づけを巡る思惑に違い

なぜここまで調整が長引いたのか。そこには今回の視察団の位置づけをめぐる、日韓の思惑の違いが浮かぶ。それは端的に言えば、この視察が「説明の機会」なのか「検証の場」なのかという違いだ。

西村経済産業大臣は、5月9日、視察の目的について、「あくまで韓国側の理解を深めてもらうための対応で、処理水の安全性について評価や確認を行うものではない」と述べた。

一方、同じ日に、韓国大統領府の関係者は、処理水に関連する設備について「ちゃんと作動するのかなど、点検と調査が必要だ」と述べ、独自に安全性を検討する姿勢を強調した。

韓国のユン政権にとっては、今回の視察団の派遣で、韓国が主体的に安全性の議論に関わり、日本に対して必要な要求をしていく姿勢を国民にアピールする狙いがあるとみられる。

背景には、韓国国内では処理水への懸念の声が依然として多いことが上げられる。来年4月に韓国の総選挙を控える中、野党側は、ユン・ソンニョル政権が処理水の放出をめぐって日本に譲歩しているなどと批判を強めている。

これに対し日本側としては、処理水の対応をめぐり、韓国を含む周辺国の理解を得る上で重要な機会になるという期待は大きいものの、懸念していたのが、「韓国の理解を得なければ放出はできない」といった誤解を招くことだった。

日本政府は、IAEAに要請し各国の専門家で作る調査団によるレビューを繰り返し受けている。この調査団には韓国や、放出により強く反発している中国の専門家も含まれる。IAEAは6月にも包括的な評価報告書を公表する見通しで、日本としては第三者の客観的・専門的な評価として国際的な理解につなげたい考えだ。

そうした中で、韓国が現地視察を通じて独自に検証を行い、調査結果を公表することになれば、ほかに懸念を持つ国々からも独自検証を求められ、IAEAの評価をもとにした説明の役割が揺らぎかねないと考えていた。

最終的に視察団は5月21日から6日間日本を訪れ、福島第一原発での現地視察にも2日間を費やすという日程が決まったが、韓国政府は視察団出発前の19日「韓国の海や水産物にどのような影響を及ぼすか徹底的に確認し、必要な措置を直ちに実行していく」とコメントするなど、両者のずれが埋まったとは言えない状況だ。

視察前日の会合 日本政府は「意見交換」と称し、韓国メディアは「協議」と伝えた(画像提供:経済産業省)

福島と韓国の間で

今回の視察を特別な思いで見守る人が、福島市にいる。福島と韓国の架け橋として、20年以上交流事業を続けてきたNPO法人「ふくかんねっと」の理事長、チョン・ヒョンスク(鄭鉉淑)さんだ。

今回の視察団の派遣と受け入れを、福島の状況が韓国の人たちに伝わっていく第一歩と歓迎する。

(チョン・ヒョンスクさん)
「一歩も進まないでいたので、『視察に行きます』、『はい受け入れます』というのが、まず第一歩。
できればお互いに望むところが明確になること、透明になることがまず一歩かなと思いますね。韓国側は福島の科学的根拠による説明がちゃんと理解でき、日本側も誠実に事実を解明していくことを期待しています」

福島第一原発事故のあと、福島の状況、特に農水産物の安全性については、隣国である韓国から厳しい目が向けられてきた。日韓の関係が難しい状況にあった時期とも重なり、相互理解を進めることは容易ではなかったという。

日本文学を学ぶため1984年に来日し、2000年、家族の勤務先である福島に移り住んだチョンさん。原発事故に直面したのは、福島に住んで10年が過ぎた頃だった。

韓国の家族や知り合いからは、福島で暮らし続けることへの不安が強く、帰ってきてほしいという声も聞かれたという。それでも、福島に残ることを決めたのは・・・。

(チョン・ヒョンスクさん)
「私の人生で一番、福島で暮らした10年が非常に大事だと気づかされたのは、この震災がきっかけでもあったんですよ。たくさんの仲間ができ、自分も知らないうちに福島人になってたっていうかね。それで、福島に住んでいる福島人としての立場を韓国に伝えたいというように自然体でなったんだと思います。」

苦悩とよろこびの12年

東日本大震災と原発事故の直後には仲間たちとともに福島県内の避難所を巡り、炊き出しなどの支援を行ったチョンさん。

事故の1年後、福島市内にオープンさせたのは、地元の食材を使う韓国料理店だった。福島県産の農産物が深刻な風評被害にあう中で、その安全性やおいしさを多くの人に知ってもらいたいと考えたという。

福島の食の魅力を伝えたい相手には、もちろん韓国の人たちも含まれていた。しかし、それは苦難の連続だった。

事故から4年後の2015年には外務省の交流事業の一環で、韓国から学生が日本に招かれ、チョンさんは福島の魅力を伝える事に。

2015年の交流事業のパンフレット

しかし、この時、韓国から来た人たちには、福島の水産物を使った料理を食べてもらう事ができなかった。チョンさんによると、受け入れに当たって、水産物は韓国のものを準備することが条件とされていたのだという。

せめてものもてなしをと、農産物は福島県産のものを使い料理をふるまったものの、韓国からの参加者たちは当初、手をつけようとしなかったという。

(チョン・ヒョンスクさん)
「最初の何日間は食べ物も食べないとか、韓国から水産物を持ってきてとか。もうすごいですよ。全ての食べ物とか物に全部線量を測る方が専属でいたりね」。

どうすれば韓国の人たちの不安を払拭できるか。その後も交流を続ける中で考え続けたチョンさんがたどり着いたのは、「現場に足を運んでもらう」ことだった。

福島大学にて

2017年.韓国の農業関係者らを受け入れた際、チョンさんは彼らを福島大学に案内。原発事故のあと福島の生産現場で行われている放射性物質の検査の仕組みを、専門家や、生産者に説明してもらうなど、実際に見て聞いて考えてもらおうと取り組んだ。

用意した浴衣を渡して、夏祭りに参加してもらうこともあったという。

こうした「顔が見える」交流の中で、韓国の人たちが福島に抱いていたネガティブなイメージが大きく変わっていくのを感じたという。

韓国からの参加者たちは日本を去る際に涙を流し、「福島はこれだけ人が優しく、これだけ普通に暮らしている福島について、私たちは何を誤解していたのだろう」と思いを伝えてくれたといい、チョンさんは心と心が通じ合った出来事だったと振り返る。

(チョン・ヒョンスクさん)
「分からないでいるって言うことが福島の風評被害の始まりなんですよね。ですからもっと知ってもらいたいって言って来てもらうわけですよ。どういう形であっても交流があってこそだと思うんですよ。やはりお互いに知ることが必要なんですね。」

避けてきた処理水への言及 それでも

処理水の放出をめぐっては、さらなる風評を懸念する声が、韓国国内だけでなく、日本国内でも上がっている。

実はチョンさんは、それぞれの人が複雑な思いでいる中、処理水の放出についての是非を明言することを、あえて避けてきたという。厳重な処理がされることは信じているとしながらも、人から問われれば、「政府や専門家が調査し判断することだ」と伝えてきた。

日韓の交流をはかるなかで、自分のことばが意図せず政治的に利用されることや、政治的な動きに加担してしまうことが、市民同士の関係にマイナスに働くことを懸念してのことだという。

それでも科学的な事実を知った上で、互いを知ることは、両国の政治状況に翻弄されてきた福島と韓国の人たちの関係を近づけ、いわれなき風評をなくしていくことにつながると信じているという。

(チョン・ヒョンスクさん)
「どういう形であっても交流があってこそだと思うんです。もちろん(政府間には)市民とは違っていろんな思惑があるかもしれないんですけど、少なくとも人と人が会うと、また別のプラス思考の何かが生まれてくる、そこで解決策をお互いに模索していく。そういうことってあるんじゃないかなと期待しています。自分たちも最初は福島について、ありとあらゆるマイナス思考のことを言われましたが、来て、見て、話しをして、顔を見て、そうこうしているうちにほどけてくる何かが生まれてくるわけです。そうしたプラスアルファが、処理水の問題でも出てくるといいなと思います。」

思惑の違いも超えて

今回の韓国専門家による視察は「説明の場」か、「独自検証」か。歩み寄りに向けた第一歩を踏み出しながらも、日韓の思惑はなおすれ違いを見せる。

処理水の処分方法を検討する国の小委員会のメンバーも務めた福島大学の小山良太教授は、日本政府がIAEAによる評価のみを頼るのではなく、疑問や懸念を受け止めながらともに検証していく姿勢が求められると指摘する。

(小山良太教授)
「処理の方法が妥当なのか、安全性を担保できるのかなど科学的な性質の問題を、科学者同士が実際にプラントを見て議論することは、もっと早い段階で実現させたかった。IAEAの意見だけで安全だと全部決めつけるのではなく、韓国側と一緒に検証していく姿勢をあえて見せながら、懸念があれば議論していくことがあるべき姿だと思う。」

タガタメ ともに考え続けていくこと

処理水の問題は、安全性についての科学的議論にとどまらず、原発に対する考え方の違いや漠然とした不安、事故の起きた原発で発生した放射性物質の放出は認められるのかという倫理的な問いかけにもさらされ、いつどのように処分することが正しいのか、「唯一の正解」を得ることはできない状況が続いている。

日本政府や東京電力がことし夏ごろまでの放出開始を打ち出し着々と準備を進める中、地元福島だけでなく、全国、そして世界各地に、この問題に関心を持ちながら置き去りにされていると感じている人たちはいないだろうか。

放出にあたって政府と東京電力が理解を得るのは、あくまで「地元をはじめとする関係者」だとしているが、30年続くとも言われる放出が将来にわたる対立の種とならないよう、心を砕いていく必要があるのではないか。

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