災害列島 命を守る情報サイト

これまでの災害で明らかになった数々の課題や教訓。決して忘れることなく、次の災害に生かさなければ「命を守る」ことができません。防災・減災につながる重要な情報が詰まった読み物です。

水害 避難 教訓

西日本豪雨 7月6日夜 広島で起きていたこと

その朝、衝撃的な映像がテレビに映し出されました。広島の上空を飛ぶヘリコプターがとらえた泥水で覆われた街です。
「4年前の土砂災害の悲劇がまた繰り返されたのか」
「みんな避難できたのだろうか」
同時に前の日の夜、私たちがあちこちで目にした光景を思い出しました。自宅に帰る途中で起きていた激しい渋滞です。その意味を考えました。
(広島放送局記者・秦康恵・大石理恵)

2018年7月放送の西日本豪雨ニュースに関連する内容です

目次

    2人の記者の7月6日

    前日の6日朝。4年前に土砂災害に見舞われた広島市安佐南区に住む私・大石は、ふだんどおり、小学生の長男と朝食をとっていました。いつもと違ったのは、大雨警報が出て長男の学校が休校になったこと。「学校に行けなくて退屈だ」とぼやく長男を母に預けて出勤しました。

    この記事を書いているもう1人の私・秦は、今回大きな被害が出た呉市に住んでいます。隣接する広島市に電車で通学する中学3年の長女を早朝に送り出した後、次女を母に、3歳の長男を保育園に預け、「きょうは一日中、雨の取材だな」と思いながら職場に向かいました。

    被害が出る前に帰宅を

    雨は昼ごろから本格的に降り出しました。

    午後になると県内の自治体に避難勧告などが相次いで出されるとともに、比較的小さな川の水位も上昇。

    JRも多くの路線で運転取りやめとなり、こうした情報を次々と原稿に書く作業に一日中追われました。

    それでも夕方に雨はいったん小ぶりになり、家に子どもを残している私たちは、被害が出る前に帰宅しようと夜遅くまで、あるいは泊まり込みで対応する同僚や上司にあいさつをして、午後7時ごろには帰路につきました。

    車の中から見たものは

    このうち秦は、広島市内で働く夫に車で迎えに来てもらいました。

    このあとまもなく、激しい雨が降ってきました。道路の一部が冠水し、おもわず車内からスマートフォンで撮影したほどです。それでも時間はかかっても家に着くことを疑うことはありませんでした。

    大石も電車が止まっていたため、しかたなくタクシーを拾って安佐南区の自宅を目指しました。

    渋滞、そして…

    別々の方向に向かっていた2人は、まもなく激しい渋滞に巻き込まれました。ふだんなら決してないのろのろ運転。

    ニュースでは、通り道の近くで土砂崩れが起きたことも伝えていました。

    広島県で初の大雨特別警報

    午後7時40分。広島県で初めてとなる大雨の特別警報が出ました。

    車内のテレビでそのことを知った大石は、「直ちに身の安全を」というアナウンサーの呼びかけが気になりました。

    夫からも電話で「危ないと思ったら高い建物に飛び込んで」と言われました。

    「ひょっとしたら私は今、災害に巻き込まれつつあるの? でも、高いビルやマンションに簡単に立ち入ることもできないし…」

    心の中で繰り返しますが答えは出ません。「職場へ引き返したら」とも言われましたが、川の橋を渡る必要があり、この渋滞の中で引き返すのも疑問に思い、自宅を目指すことにしました。

    自宅は4年前の土砂災害が多発した地区。少しでも早く車が前に進むことを祈りながら、山沿いと川沿いを避けて自宅方向へ向かいました。冠水しやすい端の車線も避けました。空いていれば20分ほどの道ですが、なんとか家にたどりついたのは午後8時をすぎてからでした。自宅で祖父母と一日を過ごし、退屈しきっていた長男がふてくされながら「おそかったね」と話す表情を見て、無事に帰ってきたことを実感しました。

    この時、私は秦記者が無事に帰れたのか気になってメールをしたのを覚えています。

    大石 「帰れました?」

    秦 「まだ坂(町)の方。(土砂崩れの)現場行こうかと思ったけど、デスクが『危ないからやめて』って。すごい混んでた」

    大石 「冠水や山沿いに気をつけてください」

    渋滞で動けない

    この時間、広島では私たちと同じように渋滞に巻き込まれた多くの人たちがその状況をツイッターに投稿していました。

    「広島で講習がおわり1キロもすすまない今、無事にかえれるのか!!」
    「渋滞でいつもよりかなり時間がかかってしまいました。ネットで調べると冠水しとるらしいです」
    「広島31号線はいまだに渋滞中。ドライバーの皆さん止まれるところがあったら止まって待機しましょう」

    公共交通機関が運転を見合わせる中、迎えに来てもらった車などで自宅に急ぐ人たち。そこに冠水や土砂崩れで道路が次第に寸断され、動くに動けない、避難しようとしてもすでにできない状態が各地で出現していました。私たちが遭遇した渋滞は、今にして思えば日常生活が災害に見舞われたことを示す、境目の出来事だったのです。

    これ以上進んではいけない

    呉市の自宅を目指し渋滞に巻き込まれた秦は、午後9時ごろ、広島市から10キロ余り進んだJR坂駅付近にいました。

    片側2車線のすべてが15~20センチ程度冠水。ほとんど進まない車の中で、「子どもたちのために早く帰りたい」と気ばかりがあせりました。この時自宅で子どもと待つ母親に送ったメールです。

    21:51
    「土砂崩れがあったらしく、車が動かない。かなり遅くなる」

    自分が災害に巻き込まれはじめたことを自覚した瞬間かもしれません。状況はさらに悪化します。冠水がひどくなり、乗用車5、6台が水が深くたまった交差点で、故障して立往生しているのを見ました。

    「これ以上進むと危ないからここにとどまろう」

    ハンドルを握っていた夫はそう言い、JR坂駅前の大型商業施設の駐車場に車を乗り入れました。ここは道路より高く浸水していなかったのです。再び母にメール。

    22:10
    「帰れそうにない。冠水して動けん。坂のショッピングセンターの駐車場で車で休む」

    帰宅を諦めた私は、JR坂駅前の冠水の様子を伝えないといけないと思い、スマートフォンで撮影し広島放送局に送りました。

    ふと周囲を見渡すと、駐車場には同じように帰宅できなくなった人がたくさんいました。救いだったのは、大型ショッピングセンターに自動販売機もトイレもあったこと。少しでも寝ておこうと車のシートを平らにして横になりましたが、車の屋根にたたきつける雨の音がひどく、不安な思いを抱えたまま夜が明けるのを待ちました。

    結局、私たちは広島市内まで戻って、夫は呉行きのフェリーに乗り、私はいったん職場に戻りました。

    日常と災害の境目 見つける難しさ

    私たち記者は、災害が予想される際に、いつも「警戒」や「早めの避難」を呼びかける原稿を書いています。しかし、私たちの「日常」がいつ、「災害」に変わるのかを見極めることはとてもむずかしいと感じます。

    特に今回の雨は、短期間に集中して降る“わかりやすい豪雨”ではなく、長期間にわたって降り続けたことも、その境目を見えにくくした要因かもしれません。

    同時にいち早く避難行動をとることの難しさも考えさせられました。今にして思うと職場にとどまる選択がいちばん安全だったのかもしれません。ただ、街はほぼいつもどおりの光景、家で待っている子どもがいると思うと、そこまでの選択を行う自信はありません。できることは、地域に潜む危険を考え、安全な道を選んで帰る。それでも無理な時は、帰ることを諦め安全な場所に待避する。災害に巻き込まれつつあると感じた時に、今できることを冷静に考えることが避難行動につながると、自分たちの行動を振り返りながら考えています。

    広島では、今も災害が続き、不明者の捜索も行われています。土砂に襲われた街の再建もこれからです。その現実を伝えながら、これからの豪雨災害にどう向き合ったらいいのか、考え続けたいと思います。


    banner
    NHK防災・命と暮らしを守るポータルサイト