バチカン特別機
取材団は全部で70人近く。
長くバチカン取材を続けてきたヨーロッパ出身の記者とともに、私たちはタイ、日本をめぐる8日間の旅を始めました。
フランシスコ教皇は、国家としてのバチカンの元首ですが、政府専用機はありません。民間機をチャーターしてローマ近郊の空港を飛び立ちました。機内には特別機ならではの演出が。
座席のカバーにはフランシスコ教皇の紋章の刺繍がデザインされています。搭乗機の説明をする冊子もフランシスコ教皇の紋章入りです。
ひとりひとりに挨拶
離陸後すぐに行われたのが、同行する記者団へのあいさつでした。
フランシスコ教皇は記者ら一人一人の席を回って挨拶をします。
中には写真撮影に応じることも。
この時には質問をしてはいけないルールになっているので、どんな言葉をかけたら答えてくれるのか、考えあぐねた結果、私はスペイン語であいさつすることにしました。
アルゼンチン出身のフランシスコ教皇の母国語です。
親指
フランシスコ教皇が若い頃から日本訪問を願っていたというエピソードはよく知られています。
そこで「日本行きの夢がかなっておめでとうございます」と声をかけることに。
何度も練習して声をかけたところ、フランシスコ教皇は、きょとんとした表情で、意味が伝わらなかったのかも…。
そこですかさず、一緒に同行したイタリア在住のカメラマンが「日本への訪問がようやくかないましたね」とイタリア語で声をかけました。
すると親指をたてて満面の笑顔を見せてくれました。
握手した教皇の手は温かく、人柄がにじみ出るようでした。
ユーモアも
機内では、こんなサプライズも。
同行の男性記者が「結婚します」と報告したところ、フランシスコ教皇は「なんだって? いつ、ろう屋に行くの?」とユーモアを交えて聞き返してきたそうです。その後、再びこの記者のところに戻ってきて、「これは苦難のためです」と言って、結婚を祝う贈り物としてロザリオをそっと手渡してくれたといいます。
この記者は、フランシスコ教皇の祝福をうれしそうに私たちに教えてくれました。
雨の長崎で訴えた核廃絶
日本に到着した翌日は、1日で被爆地の長崎と広島を回る強行軍でした。
最初の訪問地、長崎で雨の中、レインコートを着て待っていた多くの人を前に、フランシスコ教皇が打ち出したのが核廃絶にむけた鋭いメッセージでした。
「核兵器のない世界が可能であり必要であると確信しています。政治のリーダーの方々、核兵器は、国際社会や国家の安全保障を脅かすものから私たちを守ってくれるものではないということを心に刻んで下さい」
私は、教皇の様子がこれまでと違うことに気づきました。
用意したスピーチの原稿を読みあげるのではなく、顔をあげて集まった人たちに訴えかけるような仕草を見せ、時折、手を振りあげて語りかけたのです。
いまの国際社会にある相互不信が、新たな核兵器の軍拡競争を招きかねないというフランシスコ教皇の危機感の強さを感じました。
使用も保有も倫理に反する
次の訪問地で強調したのは、被爆の記憶を受け継ぐことの大切さです。
ここでのスピーチで、フランシスコ教皇が唯一、事前に配られた原稿にないことを付け加えた箇所があります。
「核兵器の使用も保有も倫理に反します」
もとの原稿では「使用は倫理に反する」と書かれていたものの、保有までは言及していませんでした。
バチカンはおととし、核兵器禁止条約を各国に先駆けて批准しました。
核兵器を使うことはもちろん、開発することも、持つことすらも一切禁止する国際条約です。
これは、核兵器を持った国がお互いをけん制し、使用をふみとどまる「核抑止論」の考え方をも明確に否定することを意味します。
フランシスコ教皇が、核兵器については歴代のローマ教皇より踏み込んだ立場をとるようになった決意のうちには、各国政府に具体的な行動を促したいという思いがあったとみられます。
若者へのメッセージは
もうひとつ、印象的だったのが若者との集いです。人生に役立つことをひとつ、話したいと言って語ったのがこの言葉です。
「自分が上で相手が下だと思ってはいけない」
誰かが起き上がる時には手を差し伸べてほしい。
他人のために時間を割き、耳を傾け、共感し、理解する。それがあって初めて、自分の人生を切り開けると訴えました。
教皇という、ローマ・カトリック教会の頂点にいる人が語った言葉が「相手を下だと思ってはいけない」ということに、フランシスコ教皇が目指す「開かれた教会」のあり方が見えたような気がしました。
変化を恐れない改革者
訪問を終え、バチカンへ帰国する機内でフランシスコ教皇は記者会見を行いました。
被爆地への訪問を経て、核兵器の使用と保有が倫理に反するということを、「カテキズム」というカトリックの教えを解説する文書に明記することを明らかにしました。
「カテキズム」は信者にとって、いわば信仰の「教科書」のような存在で、強い影響力があります。核兵器の廃絶に向けて後戻りはしないという決意にも感じられました。
被爆国でありながら、日本はアメリカの核の傘の下で安全を享受しています。核兵器を持つこと自体も倫理に反するという教皇のメッセージは日本にとっても重い問いかけです。
機内での記者会見を原稿にしながら、以前インタビューした、バチカン取材40年のイタリア人ジャーナリストの言葉を思い出しました。
「教皇は絶対の権力者だと誰もが思っているが、それは保守的であればという条件がある」
数百年以上の歴史があるカトリック教会で「何かを変える」ということは大きなエネルギーが必要で、強い反発を招く可能性もあります。
実際にフランシスコ教皇は、中央集権的ともいわれるカトリック教会で、できるだけ現場の声を反映させようとするなど改革を進めてきましたが、そのたびに反発や批判を受けてきました。
核兵器についても、従来よりも踏み込んだ方針を打ち出すことは、決して簡単なことではなかったはずです。
82歳にして「変化を恐れない改革者」であり続ける。そのエネルギーに圧倒された同行取材でした。
- ヨーロッパ総局 記者
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小島 晋
平成12年入局
和歌山局、国際部などをへて
現在、ヨーロッパ総局