長崎・広島の記者が案内! 法王訪問先ガイド

11月23日から4日間の日程で、日本を訪れるフランシスコ法王。

2日目の24日には、東京を離れて長崎・広島に向かい、被爆地やカトリックゆかりの場所を訪ねることにしています。

訪問の際、どこに注目すればよいのか。

NHK長崎放送局と広島放送局の現地記者が、一足早く法王の訪問先をガイドします。(長崎放送局・広島放送局 ローマ法王取材班)

目次

朝早く起床、長崎へ

11月24日、フランシスコ法王は朝早く起床。

早速、チャーター機で羽田空港をたち、長崎に向かうことにしています。

午前9時すぎには、長崎空港に到着。

核兵器廃絶に向け、積極的な取り組みを続けてきた法王が最初に目指すのは、長崎の爆心地です。

爆心地で核廃絶に向けたメッセージ

被爆直後の浦上地区

1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、アメリカ軍の爆撃機が投下した原爆は、長崎市の浦上地区の上空でさく裂しました。

この地区にはかつて迫害を受けながらも、潜伏し、信仰を守り継いできたカトリック信者が多く住んでいて、その半数以上にあたる8500人が原爆で亡くなったと言われています。

被爆地に立つ石碑

爆心地には、高さ6.6メートルの石碑「原爆落下中心地碑」があり、近くには、原爆で破壊されたカトリック教会、浦上天主堂の壁の一部が再建にあたって移されています。

フランシスコ法王は、ここに被爆者や近くの小中高校生などを招き、核廃絶に向けたメッセージを打ち出すことにしています。

「焼き場に立つ少年」写真パネルも

「焼き場に立つ少年」(撮影 ジョー・オダネル)

爆心地には、アメリカ軍の従軍カメラマンだったジョー・オダネル氏が、原爆投下後の長崎で撮影したとされる「焼き場に立つ少年」の写真パネルを置く方向で調整が進められています。

この写真は、フランシスコ法王が、おととしの年末、みずからの署名と「戦争がもたらすもの」というメッセージを添えて配布するよう教会関係者に指示したことから、再び注目を集めました。

この場には、オダネル氏の親族も招かれる予定です。

「日本26聖人」の殉教地

西坂公園

次に向かうのは、西坂公園。

NHK長崎放送局の裏にあるこの公園は、1597年、豊臣秀吉の伴天連追放令に背き、外国人宣教師や日本人信者26人が処刑された殉教の地です。

処刑の様子は、当時、長崎にいたイエズス会の宣教師によってヨーロッパに報告されました。
そして処刑から265年が経過した1862年、当時のローマ法王、ピオ9世により、この26人は聖人の列に加えられ、「日本26聖人」と呼ばれるようになりました。

日本二十六聖人記念碑

その100年後の1962年(昭和37年)には、記念碑と記念館が建設されました。
1981年(昭和56年)に長崎を訪れた、当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世もここを訪問。フランシスコ法王もまた、日本26聖人に祈りをささげることにしています。

大司教館では潜伏キリシタンの証しも

カトリック長崎大司教館

全国で最もカトリック信者の割合が高い長崎には、長崎県内だけを管轄する長崎大司教区が置かれています。大司教区は、国内で東京と大阪、それに長崎の3つだけ。

フランシスコ法王は、長崎大司教が執務・生活する長崎大司教館で昼食をとる予定です。

浦上天主堂

大司教館は、再建された浦上天主堂の向かいにあります。

大司教区は、信仰が守り継がれてきたことの証しとして、かつてこの地区の潜伏キリシタンが長崎奉行所に取り上げられ、いまは東京国立博物館に所蔵されている没収品を法王に見せたいと考え、博物館に協力を要請してきました。

マリア観音像(写真提供 東京国立博物館)

そして、国の重要文化財に指定されている「マリア観音像」など5点について、特別観覧の許可が下りたことから、その一部を館内に展示し、フランシスコ法王に見てもらうことにしています。

3万人規模のミサ「被爆マリア像」が祭壇に

昼食を終えたフランシスコ法王は、3万人規模のミサを執り行うため、長崎県営野球場に向かいます。

列福式(2008年)

長崎県営野球場は、2008年(平成20年)に、江戸時代の殉教者188人が「聖人」に次ぐ「福者」の列に加えられたことを受け、日本で初めてとなる「列福式」が開かれた場所でもあります。

ミサの開始は午後2時。祭壇には、破壊された浦上天主堂のがれきの中で見つかった「被爆マリア像」が置かれます。

頭部だけとなったこのマリア像は、元は高さおよそ2メートルの全身像で、天主堂正面の祭壇に置かれていました。

被爆マリア像

2010年(平成22年)には、原爆の悲惨さを伝えるため、長崎大司教が、このマリア像を持ってバチカンを訪問。当時のローマ法王、ベネディクト16世に謁見しています。

高見長崎大司教(左)とパン・ギムン国連事務総長(2010年)

続いて訪れたニューヨークの国連本部では、当時のパン・ギムン(潘基文)事務総長にも、被爆マリア像を見せ、核兵器廃絶を訴えました。

ミサを終えたフランシスコ法王は、長崎空港から再びチャーター機に搭乗し、広島空港に向かうことにしています。

平和公園で平和のための集い

フランシスコ法王が、広島で訪れるのは、毎年8月6日の広島原爆の日に、平和記念式典が開かれる平和公園です。

一帯は、もともと市内有数の繁華街でしたが、原爆投下で壊滅。

戦後、犠牲者の慰霊と平和を訴える場所にするよう求める声があがって整備が始まり、1965年(昭和30年)に完成しました。

平和公園

およそ12ヘクタールの公園内には「原爆ドーム」「原爆資料館」「原爆慰霊碑」などがあります。

フランシスコ法王は、午後7時ごろから、この場で、被爆者や信者らが集まって開かれる「平和のための集い」に参加し、世界に向けてスピーチを行います。

集いのあと、法王は、広島空港からチャーター機で東京へ戻ることにしています。

38年ぶりのローマ法王訪日

38年前に、当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が日本を訪問した際にも、東京以外に訪れたのは長崎と広島でした。

ヨハネ・パウロ2世の足跡とともに、今回のフランシスコ法王の訪問先を、皆さんもぜひ訪れてみてください。

長崎放送局記者

畠山 博幸

昭和59年入局
長崎局は2度目の勤務
被爆者の証言を残すニュースの企画シリーズを担当

長崎放送局記者

吉田 麻由

平成27年入局
金沢局を経て、8月に長崎局に異動
遊軍として、国際・世界遺産などの取材を担当

長崎放送局記者

榊 汐里

平成31年入局
長崎局が初任地
事件・事故のほか、在留外国人などの取材を担当

広島放送局記者

岩田 純知

平成27年入局
警察担当、尾道支局を経て、
現在、広島市政で原爆問題などを取材。

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