“まじめでしっかり”もの
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今月24日、長崎市の爆心地。 雨が降りしきる中、フランシスコ教皇の到着を待つ被爆者や市民の中に、ある高校生の姿がありました。
長崎市に住む高校2年生、内山洸士郎さん(16)です。
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私が内山さんに初めて会ったのは、ことし5月。
「被爆者の高齢化が進む中で、悲惨な過去が忘れられるのではないかという危機感がある。核兵器の無い世界に向けた強い思いを訴えたい」
念願だった“高校生平和大使”に選ばれた内山さんは、私たち記者に囲まれながらこう抱負を語りました。
「遊びたい盛りの高校生なのに、まじめでしっかりしているな」というのが私の第一印象でした。
核兵器廃絶へ 署名集める高校生
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“高校生平和大使”は、核兵器廃絶を求める署名を集め、国連に届ける活動をしています。
平成10年にインドとパキスタンで核実験が相次いだことを受け、危機感を抱いた長崎の被爆者などが、地元の高校生を国連に派遣したのがその始まりでした。
その後、高校生の発案で署名活動が始まりました。
ことしは、全国からこれまでで最も多い23人が選ばれています。
みずからバチカンへ 教皇に訪問要請
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核兵器廃絶に向けて積極的に取り組んできたフランシスコ教皇に会って、被爆地・長崎への訪問を直接働きかけたい。
こう考えた内山さんは、翌6月、バチカンを訪れていました。
そして毎週水曜日に行われている教皇の一般謁見に参加しました。
原爆の犠牲者の写真に加え、英語で「広島・長崎 平和の使者」と書いた横断幕を手に持っていた内山さん。
するとフランシスコ教皇が歩み寄り、
被爆の惨状を忘れず、世界平和のための活動を続けなさい
と内山さんに声をかけたと言います。
このとき胸に込み上げてきた思いをこう振り返ります。
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「まさか、フランシスコ教皇と会話ができるとは思っていなかった。会えた瞬間は緊張で何も考えられなかったが、被爆の実相を伝える活動を続けていくことが本当に大切なんだということを再確認できた」
署名携え国連にも
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フランシスコ教皇のことばが、活動を続ける原動力になった内山さん。8月には、集めた署名を届けにスイスのジュネーブにある国連ヨーロッパ本部を訪れました。
内山さんの代の平和大使が届けた署名は、過去最多となる21万5000筆余りに及びました。
“憧れ”から“使命”に
当初は、世界を駆け回って活躍する先輩への憧れから署名活動に携わった内山さんですが、内山さんの家族に被爆者はいません。
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この日は、被爆者の話に耳を傾けようと、長崎県西海市の原爆ホームを訪れていました。
内山さんの原爆ホーム訪問は、活動を始めてから3回目。ホームでは、大田スズ子さん(89)から話を聞きました。
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「口から血の塊をはき続けました。原爆の惨状と平和の尊さを、薄らいでいく記憶の中で上手に言うことができません。次の世代のみなさんに伝えてください」
被爆体験を語るのが難しくなっているという話を聞いた内山さん。
被爆者との交流を重ねるにつれ、自分に与えられた使命を、強く意識するようになっていました。
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“何も感じない” 活動の壁
一方、私が取材を続ける中で、内山さんが「落ち込んでいるのでは」と思う場面もありました。
内山さんたち平和大使は、同年代の高校生に自分たちの取り組みを紹介する活動も行っています。
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この日、内山さんは、授業を終えたあと長崎市内のホテルに向かいました。
そして、夜7時すぎから、修学旅行で訪れた愛知県の高校生を相手に、2時間ほどのプレゼンテーションを行いました。
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「核兵器には抑止力という面もあるので、そう簡単に無くなることはないのでは」
「特に何も感じない。祖父母がそういう体験をしたことがないので、聞いたことがないからよく分からない」
修学旅行生からは、活動に対する称賛の一方で、冷ややかな反応もありました。
フランシスコ教皇のことばに勇気づけられ、使命感を胸に活動を続けてきた内山さんですが、原爆の脅威になじみのない人たちから、共感を得ることの難しさに直面していました。
「全員が同じ意見だとは思っていない。『この活動に何の意味があるんだ』と思う人の考えをどう変えていけるかは、これから考えていく課題の1つだと思う」。
教皇のメッセージに答え
迎えたフランシスコ教皇の長崎訪問。
内山さんには、教皇が爆心地でろうそくに火をともす際、その火を渡す役割が与えられました。
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およそ半年ぶりに対面した教皇と直接ことばを交わす時間はありませんでしたが、雨が降りしきる中、教皇が訴えたメッセージには、内山さんの悩みに対する答えがありました。
核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です
フランシスコ教皇は、核兵器のない世界が実現可能であり必要だという確信を持って、核保有国・非保有国を問わず、各国の政府に、そして、すべての人たちに一致団結して核兵器廃絶に取り組むよう呼びかけました。
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フランシスコ教皇のメッセージのあと、内山さんは雨に打たれながら、私に笑顔を見せてくれました。
「自分にはこの活動を続ける義務があり、核兵器廃絶に向けて歩んでいかなければならないと改めて実感した。無くせる、無くせないの方法論ではなく、核兵器は無くさなければならないものなんだと強く思った」
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そして最後に、「自分がどんな状況にあっても、きょう感じた思いだけは、持ち続けていたい」と話した内山さん。
フランシスコ教皇のメッセージは、宗教を超えて、1人の青年の背中を押しました。
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- 長崎放送局記者
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保井美聡
平成26年入局
仙台局をへて
現在、長崎局で長崎市政・原爆取材を担当