法王に会った日
おととし12月。
クリスマス前のバチカンのホールに、法王との謁見を待つ大勢の人が集まっていました。
法王の登場に湧く信者たちの中に広島からある思いを伝えにきた女子高校生がいました。
重政優さんです。
「主とともに~私の核廃絶~」
訪問のきっかけは、日本とバチカンの国交75年を記念した作文コンクールです。
最優秀賞に選ばれれば、法王に謁見できる機会が得られます。
敬けんなクリスチャンでもある重政さんの作文が、見事、選ばれたのです。
「主とともに~私の核廃絶~」と題した1000字余りの作文は、重政さんのライフヒストリーそのものでした。
“ハーフ”と呼ばれ…
重政さんは広島県福山市出身です。
フィリピン人の母親と、日本人の父親のもとに生まれました。
幼いころから母親に連れられ、よく教会に通っていました。
作文には、外国人の面影がある外見から、いじめに苦しんだ経験がつづられています。
「幼い頃から『ハーフ』と呼ばれた。肌がすこし濃いことから『汚い』などと言われ、いじめられた。それが悲しく、母のことを隠すようになった。教会にも、母と一緒に通わなくなった」(重政さんの作文より)
重政さんは次のように語ります。
「母親が外国人だと知れわたり、さらに傷つけられるのが怖かったです。母親を遠ざけ、学校の参観日に『来なくていい』と言ったこともありました。母親の寂しそうな顔が忘れられません」(重政さん)
被爆者との出会い、そして
転機となったのが、高校の部活動を通じて、多くの被爆者たちと出会ったことでした。
語られた想像を絶する被爆体験。
「私の経験なんか比べようもない悲しみを背負いながらも、復しゅうや敵対を超え、平和を願う姿に胸を打たれました」(重政さん)
重政さんは、核兵器廃絶を求める署名活動に力を入れるようになっていきました。
その過程で、徐々に、自身の生い立ちとも向きあえるようになったといいます。
そんなある日。教会で、聖書のある一節が目にとまりました。
ひとり目にした聖書の一節。
「イエスは神の無条件の愛、受け入れてゆるす愛をつねに説きました」
それはどんな時もみずからを受け入れ、見守ってくれた母の姿そのものでした。
重政さんは、作文に次のようにつづっています。
「核廃絶を願って平和活動する私が、最も身近な家族との“平和”に気付くことができなかったのである。母を受け入れず、遠ざけた自分を責め、悔いた」
被爆者との出会い、そして聖書の教えが重政さんを前向きに変えていきました。
「“ハーフ”ではなく、2つのアイデンティティを持った“ダブル”だと思えるようになりました。肌の色や文化などが違うことで、悲しい思いをしている人たちに、私だからこそ寄り添えると信じています」
“平成の遣欧少年使節”
作文を手にバチカンへ向かった重政さん。
彼女を含め、日本各地から受賞した4人の若者が派遣されました。
400年余り前のヨーロッパ派遣団、「天正遣欧少年使節」の歴史になぞらえたものでした。
重政さんたちは、バチカンでの謁見の最前列で、法王に作文を手渡すことになりました。
「破天荒」と「平和への情熱」と
姿を現したフランシスコ法王。
その時、参列者のひとりが突然、法王に帽子を差し出しました。
すると法王はそれをかぶり、もともと身に着けていたみずからの帽子をその参列者にあげました。
「これまでの法王とは違う、よい意味で破天荒な印象を持っていたのですが、まさにそのとおりの方でした。おちゃめで、フレンドリーな姿に親しみがわきました」(重政さん)
重政さんはこのとき、法王にあることを伝えようと決めていました。
「フランシスコ法王は、核兵器の問題に繰り返し言及していたので、広島から来たことを必ず伝えようと思っていました。被爆者の思いを受けてきたのだから、何とかインパクトを残したかったのです」
ミサが終わり、参列者のもとに歩みを進める法王。
目の前にやってきた法王に、重政さんは折り鶴を添えた作文を手渡し、英語でこう語りかけました。
「私は広島から来ました。核兵器廃絶のため、ともに祈ってください」
笑顔だった法王が、“Hiroshima”というワードを聞いた瞬間、真剣なまなざしに変わりました。
法王は、こう答えたといいます。
「核兵器の恐ろしさを私は知っている。今も苦しむ被爆者のことを忘れてはならない」
短いやり取りでしたが、重政さんは「世界の問題に向き合おうという情熱を感じた」と振り返ります。
核兵器廃絶へ 大きな力に
あれから2年。
重政さんは高校を卒業し、今はアイルランドに留学しています。
「広島訪問が決まったと聞いて驚くとともに、私が被爆者の思いをお伝えしたことが、多少なりとも法王の心に響いていたのだとすればありがたいです。ただ、訪問の場に立ち会えないのは残念ですね」(重政さん)
法王が広島を訪れる11月24日。重政さんは、いつもの日曜日と同じように近くの教会へミサに行くことにしています。
そして遠く離れた広島を思い、祈りをささげるつもりです。
平和な世界の実現を願って。
重政さんは最後に、次のように語ってくれました。
「法王が被爆地を訪れること自体、世界は核の問題に向き合うべきだとの大きなメッセージになります。被爆者の目を見て、彼らが何を目の当たりにしてきたのか、その手を握って、彼らがどう生き抜いてきたのか感じていただきたい。核に抑えつけられた世界からの脱却へ、明確なことばを発信してほしいです」
核兵器廃絶を願う被爆者と、その意志を継ぐ若者の思いに法王はどう応えるのか。広島の期待は高まっています。
- 広島放送局記者
-
辻英志朗
平成16年入局
京都局、徳島局、首都圏放送センターなどをへて
現在は、広島局で原爆や災害取材を担当