平和への思いつなぐ法王の石碑

ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王による訪問を控えた広島市の平和公園。

この場から法王が発するメッセージへの関心が集まります。

平和公園では、38年前にも、当時の法王のヨハネ・パウロ2世が、多くの市民らを前に平和のスピーチを行い、核兵器廃絶に向けた運動を後押しした記憶があるからです。
スピーチのあと、公園内には、法王のことばを刻んだ石碑が作られ、いまも静かにメッセージを投げかけています。

作ったのは、法王のことばに共鳴した市民たちです。

取材をすると、高齢となっても平和活動に取り組みながら、再び法王を迎える機会に期待を寄せる姿がありました。(広島放送局記者 秦康恵)

目次

訴えかける碑

ローマ法王平和アピール碑(広島 原爆資料館)

広島市の原爆資料館の入り口にたたずむ白い大理石の碑。「ローマ法王平和アピール碑」です。

「ヒロシマを考えることは平和に対しての責任を取ることです」

38年前、当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世が、平和公園で語ったスピーチの一節が刻まれています。

今のフランシスコ法王が広島を訪れることが公表されたあと、改めて石碑を訪れてみると、来館者の姿がありました。

話を聞くと…。

「とても重要なことばです。ただ読むだけでなく、深く理解しなければなりません」(メキシコからの観光客)

「この碑があることによって、2度と同じ過ちを起こさないことにつながれば」(長崎からの観光客)

建立に尽力した男性は

石碑の除幕式(1983年2月25日)

石碑の建立は、当時のローマ法王訪問の2年後。

誰の手でつくられたのか。

取材をすると、市民の有志による「建立委員会」が建立したことがわかりました。関係者をたどり、委員会の事務局長を務めた一泰治さんと会うことができました。

当時の建立委員会事務局長 一泰治さん

被爆者の支援活動に携わってきた一さん。
法王訪問後、ほどなくして石碑建立の機運が高まったといいます。

「被爆者の方などから、法王の平和に向けたメッセージを、目に見える形で未来につないでいきたいという提案がありました。私も共感し、なんとか実現したい。その一心で動きだしました」(一泰治さん)

石碑の設立趣意書

一さんは、賛同者を探して歩きました。
中には2度、3度と繰り返し頭を下げて回ったこともあったといいます。

法王の広島訪問から1年近く。
奔走のかいあって平和運動のリーダーや大学教授などが呼びかけ人となり「建立委員会」が発足しました。 発足後、すぐさまとりかかったのが資金調達。建立には400万円が必要だったのです。

一さんたちは、全国に募金を呼びかけました。

「資料を送ったり、街頭活動も行いました。必死の声が届き、修学旅行で広島を訪れた高校生が直接、お金を届けてくれたこともありました。おかげで、費用はすべて募金でまかなえました。1人ではなく、いろいろな人の善意でできた碑だと思います」(一泰治さん)

碑の制作をさせてほしい

活動を知り、「自分に碑を作らせてほしい」と手を上げた人がいます。

彫刻家 杭谷一東さん

広島県出身の彫刻家で、イタリアで創作活動をしていた杭谷一東さんです。

「記念碑を作るんだということで広島へ飛んで行きました。芸術家としては、平和以外に何を表現するんだという思いで、やらせてほしいと頼みました」(杭谷一東さん)

2つの大きな石が引き裂かれたかのような形状の石碑。

原爆投下というあってはならないことが起きたという衝撃を表現したと言います。
また、上部の2羽の鳥が向き合うようなデザインは、ハトが、未来の平和を語り合っている様子をイメージしているということで、1年ほどをかけて制作しました。

「1のみ1のみ、平和への思いを込めて彫りました。先日も原爆資料館に行きましたが、世界中の人が足を止めている場面を見ると、『ああよかった』と感無量です。携わった方、みんなそうだと思うんです」(杭谷一東さん)

碑文に込めた思い

文字に思いを込めた人もいました。

書家で被爆者の森下弘さん

碑文作成に携わった広島市の書家、森下弘さんです。
森下さんは、14歳のとき、学徒動員中に、爆心地からおよそ1.5キロの場所で被爆。自宅にいた母親を亡くしました。

「その日の朝ね、家を出るとき母親がずっと窓からじーっと見つめてるんですよ。それがいつまでも残っている」(森下弘さん)

大学卒業後、高校教諭になった森下さん。

当時のローマ法王のスピーチに心が動かされたと言います。
碑文作成の依頼があったとき、迷わず引き受けました。

「ありがたく名誉なことで、『一生懸命書かないと』という思いが強かったです」(森下弘さん)

森下さんが書いた碑文の控え

森下さんが書いた碑文の控え。森下さんが特に共感しているのは次のことばです。

「過去を振り返ることは将来に対する責任をになうことです」
「ヒロシマを考えることは平和に対しての責任を取ることです」

「自分も、法王自身も、被爆者も、それを知って振り返る人も、広島の惨禍を知った人は、それから逃れられない。行動に移すべき責任があるという訴えに、非常に共感を覚えました」(森下弘さん)

森下弘さん

森下さんは、ことし90歳。38年前のローマ法王のことばが、平和運動を後押しした実感を覚えている一方、被爆者が減るなか、原爆の記憶の風化に対する危機感を募らせています。

そうしたなか迎える、2度目のローマ法王の訪問。
より核廃絶に思い入れのあるとされるフランシスコ法王のメッセージが、次の世代へと平和のバトンをつなぐ推進力になってほしいと願っています。

「これだけ大きな犠牲があったから、人類は愚かじゃないから、核兵器もなくなるだろうと思ったんです。でもいまだになくなっていない。若い人には、何が自分たちにできるか本当に真剣に考えてもらいたい。人類が滅んだらおしまいだというところでみんなの気持ちを1つにしてほしいです」

平和への思いが刻まれた法王の石碑。市民とともに、2度目の法王訪問という新たな歴史を刻む瞬間を見守ります。

広島放送局記者

秦 康恵

平成11年入局
松江局をへて現在は広島局
原爆、福祉、教育などを担当

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