清貧の法王 フランシスコ

フランシスコ法王はどんな素顔を持つ人なのでしょうか。

質素な生活に徹し、気さくな人柄で笑顔で人々に接する姿が印象的ですが、意外な一面も…。

フランシスコ法王は本名はホルヘ・マリオ・ベルゴリオです。

1936年にアルゼンチンの首都ブエノスアイレスで、イタリア北部から移住した家族に生まれ、現在82歳です。

鉄道会社に勤める会計士の父親と5人の子どもを育てる専業主婦だった母親は敬けんなカトリック教徒で日曜日には家族そろってミサに通っていたといいます。

子どもの頃はサッカー好きで地元ブエノスアイレスのサッカーチームの熱心なサポーターとなり、法王になった後も年会費を払って応援しているほか、タンゴに夢中になり、踊り好きなことでも知られています。

聖職者の道に進んだのは20歳のときでした。
16世紀に日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師、フランシスコ・ザビエルらが創設した修道会、カトリック教会のイエズス会に入会します。

10年以上にわたって哲学や神学を学び教員としての養成期間を経て32歳で司祭となりました。
この養成期間にイエズス会の日本管区長に出会い、広島の原爆や東アジアでのイエズス会の活動について知ったといいます。
そこで日本への派遣を願い出たものの肺の病気で実現しませんでした。

その後、イエズス会のアルゼンチン管区長やブエノスアイレスの大司教となり2001年には当時のローマ法王ヨハネ・パウロ2世から法王の最高顧問である枢機卿に任命されます。

ただ、聖職者としてほとんどの期間はバチカンではなく故郷のアルゼンチンで過ごしました。

力を入れたのが貧しい地区での活動です。
ブエノスアイレスのスラム街で人身売買の被害者や低賃金の労働者のために支援を行ってきました。
地元のマフィアから脅迫を受けても活動をやめなかったといいます。

ローマ法王に就任(2013年3月)

そして、6年前、高齢による体力の衰えを理由に退位したベネディクト16世のあとに266代目の法王に選ばれました。
中南米の出身者としてもイエズス会からも初めての法王です。

就任の際には貧しい人のために尽くした中世のイタリアの聖人、「フランシスコ」を名前に選び、貧しい人たちのための教会を目指す考えを示しました。

ローマ法王庁の公式メディアバチカンニュースのアンドレア・トレニアッリ編集長は、フランシスコ法王の信念の根底には弱い立場の人たちに向けられるまなざしがあると指摘します。
トレニアッリ編集長は「フランシスコ法王は慈しみを強く掲げてきた。人々の苦しみに寄り添いとりわけ貧しい人たちに目を向けている」と述べ、経済的に恵まれない人や政治的な圧力のもとで声を上げられない人たちなどに光を当てることを大切にしているといいます。

また、気さくな人柄やユーモアに加え住まいをこれまでの法王が暮らしてきたバチカン宮殿ではなく聖職者の宿泊施設であるサンタマルタ館を選んだり、昼食時にはビュッフェスタイルの食堂でほかの従業員らと列に並んだりする姿が話題を呼び、「人になった法王」とも評されます。

一方で、バチカンの人員削減や経費の削減、組織の改編などで大なたをふるい「独裁者」と批判する声もあります。

しかし、貧困や内戦、地球温暖化など地球規模の課題について率直に話しときには現場にみずから赴く行動力は世界的に支持を集めてきました。

ヨーロッパ総局 記者

小島 晋

平成12年入局
和歌山局、国際部などをへて、現在ヨーロッパ総局。

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