2021年03月02日
(聞き手:伊藤七海 佐々木快)
バスケットボール解説者として活躍する佐々木クリスさん。プロバスケットボール選手のほか、歌手やモデル、テレビ番組のMCも務めた異色の経歴の持ち主です。キャリアを変えることに不安はなかったのか? 佐々木さんの答えは「興味があるなら、まずトライ!」。
学生
伊藤
これだけキャリアを転々とされる予定でしたか。
あはは(笑)
佐々木クリスさん
転々とする予定ではなかったですけど、楽しかったですね、どれも。
軸はあんまりずれてないんです。
バスケを広めるっていう?
そうそう!
例えばテレビで音楽のを話していて、音楽詳しいお兄さんだなって思ってもらえて。
そのお兄さんのバスケを今度見に行こうかなってなれば大成功。
タッチポイントはたくさん作ったほうがいい。
そのつど自分のできるベストをやってみて、トップになれなかったとしても今の自分の肥やしになってるって言えます。
学生
佐々木
そもそものバスケとの出会いを教えてください。
実は野球部で活動していた中学時代だったんですが、非常に変わっていまして、朝練に集まっても必ず野球をするわけではなくて。
朝練でバスケをやってる時期があって、バスケってこんなに面白いんだって思ってたところで、父が「NBAっていうのがテレビでやるらしいぞ」って紹介してくれて。
へー!
見たらもう、「何じゃこりゃ!」って感じで。
人間こんなことできるんだって衝撃受けて。
こんなふうになりたいなって思ったのがきっかけで、野球部をやりながら市民体育館とかでバスケの練習をし始めて、高校ではバスケ部に入部しました。
高校のバスケ部は強かったんですか?
めちゃくちゃ弱かったです(笑)
めちゃくちゃ弱かった!!笑
球技大会で野球部に負けちゃうぐらいの衝撃的な弱さでした。
でも高校に行ったらとにかく四六時中バスケしたいなって思って。
夏休みはアメリカの祖父母のところに行って、アメリカの高校生たちとバスケットキャンプに通ったりして、もう年中バスケ漬けでした。
そこから強豪の大学に進学されて、エリートばかりの中で大変なことってありましたか。
大変なことしかなかったですね。
チームで日本一になったりすばらしい経験をさせてもらったんですが、1プレーヤーとしては挫折続きでしたね。
全国のエースクラスの選手たちが入ってくるので、基礎体力だとか基本的なシュート力だとかそういったものから圧倒的に違ったんです。
それこそ、泣いたことは数え切れない。
そうなんですか。
青学の体育館って複雑な構造になっていて、地下に部室があってそこから2階まで上がって体育館なんですよ。
なので3階分階段を上がっていかなきゃいけないんですけど、1年生の時はもう本当に足の裏を階段から一段、一段はがすぐらいの感じで上って・・・
えぇ・・・
とにかく1年生はつらかったんですけど、実は一番つらかったのが4年生でしたね。
何があったんですか。
徐々に選手としてよくなっているかなという中、4年生には副キャプテンになったんですね。
すごい光栄な事だったんですけども、僕としてはキャプテンをやりたかった。
そうなんですね。
圧倒的に足りなかったのはゲームに出てなかったんです。
やっぱりアスリートの世界って厳しくて、同じ力を持っている4年生と1年生がいたら、1年生を出すんですよ。
僕は去り行く人だからやっぱり優先順位が下がっちゃうんですよね。
そんな中でもバスケを好きでいられたんですか?
そうなんですよね。不思議ですよね 笑
在学中から音楽活動やモデル業もされていたということですが、バスケとも関連していたんですか。
音楽は高校生のときから大好きで。
ミュージッククラブとかも20歳になって行けるようになって、いろんな方にお会いしました。
でも、必ずしも音楽をキャリアにしたいと思ったわけではなくて。
当時のバスケって全然盛り上がってなくて。
体育館に誰も見に来てないレベルだし、青学が優勝しようがニュースの片隅にも載らない。
へー。
自分が活躍できないということ以上に「なんでこんなに盛り上がってないんだ」「世界中の人が熱狂しているのに」ってもやもやして。
音楽の仲間も増えていく中で「バスケだけでPRしていくのって難しいから音楽の人たちも巻き込んで」って話したら、「お前、面白いじゃん」とか言ってくれて。
僕と友人がラップしてる時に後ろでボールを使って、パフォーマンスしてもらうとかそういうのはけっこうやってましたね。
バスケを広めるための音楽活動だったんですね。
そうですね、どちらかというと。
当時は「音楽やりたいの?バスケやりたいの?」って言う人もいたけど、「どっちも100%です」っていう感じではいました。
どっちも100%。佐々木さんはしっかりとやれたということですね。
同時に100%は絶対無理なので、それぞれをやってる時はそれに100%っていう言い方が近いですね。
今はどっぷりこれをやる、次はこれやると、その瞬間、瞬間に対して100%です。
なるほど!
就活にも役立つ、情報の使い方を聞いた【前編】はこちら↓
大学時代、進路を決める就活の時期ってどうされてましたか?就活は・・・
しませんでした。
えっ、なぜですか。
就職っていう概念にあんまり魅力を感じなかったですね。
徐々に音楽のきっかけをつかみつつあったっていうのと、あとは当時プロバスケってなかったんですよ。
だったら、自分たちでプロチーム作っちゃおう!みたいな思いがあったんですよ。
おー!
自分たちがプレーする場所がないなら作っちゃえっていうことで。
例えばショッピングモールに交渉しに行って、駐車場とか大きな広場にリング立てて、DJブースを作って、音楽かけながら試合してもいいですかって。
そうすると人がわんさか来るから商業施設にもプラスになるよって、当時は僕らのファンなんて誰もいないのにハッパかけて言ってました。
えー 笑
徐々に注目されて、ウエアとか活動費をサポートしますみたいな(契約)、今でいうプロアスリートと一緒ですよね。
すごいなぁ。
ほとばしってたと思います。
でも、そう思えるだけの夢があったってことですよね。
そうですね、本当に恵まれていると思う。
皆さんに言うのは、少しでも興味があってやってみたいと思うことは、まずトライしてみようよってこと。
はい。
それがどういう方向に進むかって絶対分からないから、まずトライすること。
それがいくつあってもいいと思う。
僕は最終的にこれでいきたいっていうのを見つけたけど、いろんなトライをしていくと次のトライに生きるものが絶対そこにある。
そのトライで言いますと、30歳の頃にプロ選手になられたんですよね。
年齢としてはアスリートのピークは過ぎてるとは思うんですけど。
僕が25、6歳の時に今のBリーグの前身のプロリーグができて、かつてストリートバスケでプレーしてた選手たちもそのリーグに行って。
最後に試したいなって思いました。
そうなんですね。
もう1つ、もっとファンを増やしたり、のめりこませるような(バスケットの)解説ってあるんじゃないかなって漠然と思っていて。
解説者って、30歳以降のキャリアとして現実的にプランを立てた時、「プロを経験した選手」ってスタンプは押しておいたほうがいいなって思ったんです。
2シーズンで引退されたんですよね・・・。
1シーズン目は17分しか出てないんですが、チームが変わって2シーズン目は800分以上出たのかな。
2年目になってようやく自分のパフォーマンスができるようになってきた。
はい。
でも、2年目が終わった時点で、当時NBAを中継していた局のプロデューサーさんから解説者のオファーをいただいたんです。
それまでの2シーズン、選手をやりながら同時通訳の仕事をしてたんです。
徐々に評価いただいて、NBAのチャンピオンを決める試合にリポーターとして現地に送ってもらえたんです。
五感を使って感じた現地の空気感を自分の視点で伝えることが初めてバスケットの仕事としてできて。
それで、「次のシーズンは、クリスさんにも解説やってもらいたい。そのかわりスケジュールはコミットして下さい」って言われて。
ああ、それは「引退してくださいね」っていう意味だなって思って引退しました。
不安定な時に自分がやりたい方向に進んでいくっていうのは、なかなか難しいところもあると思うんですけど。
支えになったものってありますか。
すごい難しい質問ですね・・・
大学卒業して、銀行の通帳記入しにいって、「お〜残高これかよ」ってなんども入れ直してみたいな 笑
経済的にも決して成功をすぐにする事ができたわけじゃない。
でも、圧倒的にあったのが、根拠のない自信。
何で自分ならできるって強く思えたかっていうと第一に家族。
あと、やっぱりスポーツだったと思います。
やっぱり、スポーツ。
スポーツで得た仲間。
自分は混血で東京で育って、小学校の時はミックスの子なんてほとんどいなかったし、人との違いはやっぱり意識する。
全然知らない人に心無い言葉を投げかけられるとか、じろっと見られるっていうのも子ども心に「アウトサイダーとして見られているのかな」みたいな感覚もあった。
でも、野球とかバスケをやってる時ってみんな兄弟みたい、全然僕をアウトサイダーとして見ない。
スポーツをやってる時の安心安全な感覚、自分は自分らしくいていいんだって。
これはもう感謝しかないです。
軸がしっかりあるなって印象を持ったんですけど。
就活とか将来を考えていくうえで、ぶれない秘けつって何かありますか。
そうですね、自分の軸…。
もし悩んでたとしたら、新卒で3年間というのは企業が育成する側だと思うんですよ。
3年間給料いただいて育ててもらえるっていうのは大きなメリットだと思います。
はい。
ずる賢い言い方かもしれないけど、生活の基盤を提供してもらいながら3年間自分のやりたいことが探せる。
究極、その企業に最終的にごめんなさいしてもいい時代だと思うんですよ。
なるほど。
一人一人が自分の人生に対してオーナーシップを持つのが理想的です。
自分がオーナーシップを持ったうえで、組織の中で働く選択をするのか、そうじゃないのか。
就職活動自体がすごく大変なことだと思うんですけど、就職してもあと3年間社会勉強しながらもっと自分の強みが何なのか探せる。
そういった捉え方でいいんじゃないかな、ちょっと無責任だけど。
勉強になります。
クリスさんにとって仕事とはなんですか。
自己表現と、時々、自己実現。
あくまでも、自分らしくあるためのツールかなって思います。
これだけ充実感が得られているのは自己表現の場であるということです。
それから、自己実現につながってるっていうこと。
これができるかぎりは難しいことがあっても乗り越えられると思うし、仕事を続けていきたいなって思いますね。
本日はありがとうございました!
編集:加藤陽平 オンラインカメラマン:本間遙
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