上皇さまのあゆみ
昭和天皇の長男で、皇太子として生まれた上皇さまは、戦争が続く中で子どもの時期を過ごし、11歳の時に疎開先の日光で終戦を迎えられました。
戦後の復興期に青春時代を送り、日本が独立を回復した翌年の昭和28年(1953)、19歳の時に昭和天皇の名代としてイギリスのエリザベス女王の戴冠式に参列するため初めて外国を訪れ、欧米14か国を歴訪されました。
そして、大学生活を終えた翌年、軽井沢のテニスコートで上皇后さまと出会い、25歳で結婚されました。
一般の家庭から皇太子妃が選ばれたのは初めてで、祝賀パレードに50万人を超える人たちが詰めかけるなど、多くの国民から祝福を受けられました。
上皇后さまと国内外で公務に励むとともに3人のお子さまを手元で育て、新たな皇室像を示されました。
昭和天皇の崩御に伴い55歳で、今の憲法のもと初めて「象徴天皇」として即位されました。
上皇さまは、翌年の記者会見で「日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴として現代にふさわしく、天皇の務めを果たしていきたいと思っています」と述べられました。
上皇さまは、上皇后さまとともに、一貫して戦争の歴史と向き合われてきました。戦後50年を迎えた平成7年(1995)には「慰霊の旅」に出て、被爆地広島と長崎、そして沖縄を訪ねられました。先の大戦で激しい地上戦が行われ20万人以上が犠牲になった沖縄への訪問は、合わせて11回に及びました。
戦後60年には、太平洋の激戦地サイパンを訪問し戦没者を慰霊されました。上皇さまの強い希望で実現した異例の外国訪問でした。そして戦後70年には、悲願だったパラオのペリリュー島での慰霊も果たされました。
上皇さまは、毎年8月15日の終戦の日に「全国戦没者追悼式」に臨み、戦争が再び繰り返されないよう願うおことばを述べられてきました。
上皇さまは、また、上皇后さまとともに全国各地の福祉施設を訪れるなどして、社会で弱い立場にある人たちを思いやられてきました。障害者スポーツにも強い関心を持ち、「全国身体障害者スポーツ大会」が開かれるきっかけをつくるとともに、平成に入って天皇皇后両陛下に引き継ぐまで、大会に足を運んで選手らを励まされました。
大きな災害が相次いだ平成の時代。上皇ご夫妻は被災地に心を寄せ続けられました。
始まりは平成3年(1991)。雲仙普賢岳の噴火災害で43人が犠牲になった長崎県島原市を訪れ、体育館でひざをついて被災者に言葉をかけられました。
その後も、平成7年(1995)の阪神・淡路大震災など大きな災害が起きるたび現地に出向き、被災した人たちを見舞われてきました。
東日本大震災では、上皇さまが異例のビデオメッセージで国民に語りかけるとともに、上皇后さまと7週連続で東北3県などを回り、その後も折に触れて被災地を訪ねられました。
国民に会い、話に耳を傾け、寄り添うことを大切にされた上皇さま。上皇后さまとともに、即位後15年で全国47のすべての都道府県への訪問を果たし、平成29年(2017)には2巡目を終えられました。
即位後これまでに訪問した市区町村は562を数え、訪ねられた島々は皇太子時代も含め50余りに上ります。
また、上皇さまは、上皇后さまとともに、国賓などとして日本を訪れた各国の元首らと会見し宮中晩餐会などでもてなしたほか、平成4年(1992)に歴代の天皇で初めて中国を訪問するなど即位以来、36か国を訪ねるなどして国際親善にも尽くされました。
国民に寄り添い、世界の平和と人々の幸せを願われてきた上皇さま。退位が決まったあとも、「象徴」としての務めを果たし続けられてきました。